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EP 3

謎の紳士(超大型クライアント)からのダンスの誘いは、断れない新規開拓営業アプローチです

「隣……いや、君の前のスペース、私が占有ロックさせてもらってもいいかな?」

 漆黒の仮面をつけた謎の紳士からの、突然の、そしてあまりにも堂々としたアプローチ。

 普通の令嬢であれば、その圧倒的なオーラと色気に当てられ、頬を赤らめて扇で顔を隠すところだろう。

 しかし、私はヴァルトブルク公爵家が誇るトップコンサルタントである。

 目の前に現れた、規格外のプレッシャー(大企業のCEOクラスの覇気)を放つこの男を、私は『絶対に逃してはならない超大型の新規クライアント(VIP)』であると瞬時に認定した。

「ええ、もちろんですわ。ここは皆様の共有スペース(パブリック・ドメイン)ですから。どうぞ、お好きなようにお使いくださいませ」

 私は仮面の下で、一ミリの狂いもない完璧な営業スマイルを浮かべ、彼に向けて優雅にカーテシー(お辞儀)をして見せた。

「……共有スペース、か。君は面白い表現をするのだな」

 紳士は仮面の奥の瞳を微かに細め、私の手から奪い取ったワイングラスを、背後のテーブルにコトリと置いた。

 その動作一つをとっても、無駄なモーションが一切ない。筋肉の連動性、体幹の安定感……どれをとっても一流だ。おそらく、相当な修羅場(ビジネスの最前線)をくぐり抜けてきた男に違いない。

(それにしても、どこかで聞き覚えのある声ですね……。それに、この上質なシガーとミントの香り、どこかウチの社長(アレクセイ様)に似ているような……?)

 一瞬、私のコンサルタントとしての直感が警報を鳴らしたが、私はすぐにその考えを打ち消した。

(いやいや、あり得ません。アレクセイ様は今、国王陛下への挨拶回り(トップ営業)の最中です。それに、この紳士からは社長特有の『絶対零度の魔力ヤンデレオーラ』が全く感じられません。コハクの魔法で私の気配も完全に隠蔽されていますし、これが社長本人である確率は限りなくゼロに近いでしょう!)

 自らの完璧な論理(大いなる勘違い)に納得し、私は再びビジネスモードへと意識を切り替えた。

「このような華やかな席で、貴方様のような素晴らしい殿方が壁際にいらっしゃるなんて、少しもったいない気がいたしますが?」

「それはこちらのセリフだ。星空を纏ったような美しい淑女が、なぜダンスフロアのセンタートップにならず、このような場所でひっそりと息を潜めている?」

 紳士が一歩、私へと近づく。

 長身の彼に見下ろされる形になり、私は思わず息を呑んだ。

 仮面越しに交差する視線が、ひどく熱を帯びているように感じる。

「……私は、この会場の『空気』を楽しんでおりますの。皆様が楽しそうに踊られているのを拝見するだけで、十分な利益リターンを得ておりますから」

「ふっ……。なるほど、君は踊るよりも、他者を観察(分析)する方が好きだと見える。だが――」

 紳士は、黒革の手袋に包まれた大きな右手を、私の目の前へと差し出した。

「せっかくの舞踏会だ。壁の装飾や料理の皿(原価)ばかり眺めていては、本物の価値を見誤る。……私と一曲、短期的なパートナー契約ダンスを結んではくれないだろうか?」

 その言葉選びに、私はハッとした。

 『短期的なパートナー契約』……! なんというスマートな誘い文句だろうか。彼もまた、私と同じビジネスの言語を理解する側の人間なのだ。

 これは間違いなく、私という人間(人材)のスペックを測るための『実技面接』である。ここで断れば、未来の大型案件をドブに捨てることになる。

「……喜んで、お受けいたしますわ」

 私は迷うことなく、彼の手の上に自らの手を重ねた。

 瞬間、彼の手からひどく安心するような温もりと、わずかな熱が伝わってくる。

「……君のその決断の速さ、嫌いではない。さあ、行こうか」

 紳士は私の手を引き、エスコートの定石通りに私の腰に軽く手を添え、ダンスフロアの中央へと歩みを進めた。

 私たちがフロアに足を踏み入れた瞬間、周囲の貴族たちがサァッと道を開け、ざわめきが波のように広がっていった。

『見ろ、あの二人を……!』

『なんて絵になるんだ。まさに完璧なカップルじゃないか』

『あの圧倒的な威圧感を持つ紳士は誰だ? そして、あの星空の淑女は……』

 数百人の視線スポットライトが私たちに集中する。

 本来なら「目立たず定時退社」を目標としていた私にとって、これは最悪の事態(プラン崩壊)である。しかし、相手が超VIPである以上、ここで恥をかかせるわけにはいかない。

 私は覚悟を決め、姿勢を正した。

 オーケストラが、優雅で、それでいて情熱的なワルツの旋律を奏で始める。

「少し、リードを強めにする。私に全てを委ねなさい」

「ええ、お手並み拝見といきましょう」

 紳士の右手が私の腰をしっかりと抱き寄せ、私たちはステップを踏み出した。

 ――そして、私は開始わずか三秒で、彼の『異常なまでの有能さ』に戦慄することになる。

(……な、なんですか、この完璧なリードは……!?)

 ワルツは、二人の重心移動と呼吸の同調が命である。

 普通、初対面の相手と踊れば、わずかな歩幅のズレやタイミングの誤差が生じるものだ。しかし、この紳士のリードは違った。

 私が足を出すよりほんのコンマ一秒早く、彼が最適なスペースを作り出す。

 旋回する際にかかる遠心力トルクを、彼の強靭な体幹が全て吸収し、私には全く負担がかからない。

 まるで、私が次にどう動きたいかを100%予測しているかのような、ミリ単位で計算し尽くされた完璧な導線管理マネジメント

(素晴らしい……! これは単なるダンスの技術ではありません。パートナー(部下)の能力を最大限に引き出し、一切のストレスを感じさせずに目標フィニッシュへと導く、究極のプロジェクト・マネジメント能力です!!)

 私は彼と踊りながら、頭の中で拍手喝采を送っていた。

「……君は、私の腕の中で踊りながら、別のことを考えているな?」

 不意に、紳士が私の耳元に顔を寄せ、低い声で囁いた。

「ひゃっ!?」

 突然の至近距離(コンプライアンス違反すれすれの密着)に、私は思わず肩をビクッと震わせた。

 彼の吐息が私のうなじをかすめ、甘いシガーの香りが脳を直接揺さぶってくる。

「い、いえ! 貴方様のステップの正確さと、完璧な重心移動マネジメントに感銘を受けていたところです。素晴らしい技術ですね」

「……私を評価(査定)しているつもりか? 生意気な唇だ」

 紳士は仮面の下で楽しげに笑うと、私の腰を抱く手にグッと力を込め、さらに私を自らの胸板へと引き寄せた。

 密着度が限界を突破する。彼の硬い胸の筋肉と、力強い心音が、ドレス越しにダイレクトに伝わってきた。

「しゃ、社長……じゃなくて、貴方様! いくらなんでも距離が近すぎます! これは社交ダンスの標準的なレギュレーション(規定)を違反していますよ!」

「違反で結構。……君が他の男の視線に晒されるのは、私の独占欲コンプライアンスが許さないのでね。こうして、私の腕の中に完全に隔離ロックしておきたい」

 紳士の言葉は、ただの社交辞令や口説き文句の域を完全に超え、ひどく重たく、執着に満ちた熱を帯びていた。

(ど、独占欲……!? この人、初対面なのになんて重たい営業トークを仕掛けてくるんでしょうか! まるで、うちのヤンデレ社長みたいな……)

 私は混乱しながらも、彼のリードに従って激しくターンを決める。

 星空のシルクドレスが美しく舞い上がり、光の軌跡を描く。それを見る周囲の貴族たちから、感嘆の吐息が漏れ聞こえてきた。

「君のような、計算高くて、それでいて誰よりも美しい女は……私の庇護下(直轄部署)に置いておきたくなる」

 紳士の顔が、仮面が触れ合うほどの距離まで近づく。

「この一曲(短期契約)が終わったら……次は、一生涯の専属契約プロポーズについて、二人きりで交渉(面談)させてもらえないだろうか?」

 甘く、痺れるような声。

 もし私が普通の令嬢なら、この瞬間に完全に腰を抜かして陥落サインしていただろう。

 しかし、私は鋼の精神を持つコンサルタントである。

「……身に余る光栄オファーですが、私は現在、非常に手のかかる……しかし、誰よりも尊敬できる雇用主ボスと専属契約を結んでおりますの。これ以上の兼業ダブルワークは、リソース的に不可能ですわ」

「……ほう」

 私の返答を聞いた瞬間。

 紳士(アレクセイ様)の口角が、限界まで吊り上がった。

(……ふはっ。私のヒカリは、他の男(私だが)からこれほどの甘い誘いを受けても、決して私を裏切らないのだな。ああ、なんて愛おしい。今すぐこの仮面を引き剥がして、全会衆の前で彼女にキスを落とし、私の所有物だと宣言してしまいたい……ッ!)

 彼は内心で歓喜に震えながら、強引なリードで最後のステップを踏み、ポーズを決めた。

 ジャァァァンッ!!

 オーケストラの演奏が終わると同時に、会場中から割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こった。

「素晴らしい……!」「まるで芸術だ!」

 完璧なダンスを披露した私たちに向けられる、惜しみない賞賛。

 私は息を整えながら、紳士に向かって一礼した。

「素晴らしいリードでしたわ。おかげで、最高の業務ダンスを遂行できました」

「こちらこそ。……だが、先ほどの『専属契約』の件、私はまだ諦めていないからな。少し、夜の風に当たらないか? バルコニーで、君のその『手のかかる雇用主』について、もっと詳しく聞かせてほしい」

 紳士は私の手を引いたまま、バルコニーへと続くガラス扉の方へと歩き出した。

 ***

 その完璧でロマンチックな光景を、会場の端から、血の涙を流さんばかりの形相で睨みつけている女がいた。

「……許せない」

 エルヴィラ・フォン・ローゼンベルク侯爵令嬢。

 彼女の派手なドレスの裾は、怒りのあまり自らが発する微弱な魔力によってビリビリと震えていた。

「あの殿方……顔は隠しているけれど、あの体格、あの圧倒的な魔力と威厳! 間違いない、あれこそが私が探し求めていた最高のパトロン(超大物)よ! それなのに、あの得体の知れない泥棒猫が……ッ!」

 エルヴィラは扇をバキッと真っ二つにへし折った。

「バルコニーに向かったわね。ふふっ……いいわ。あの暗がりで、あの小癪な女の仮面を引き剥がし、恥をかかせて追い出してやる。そして、あの方の隣には、この私こそが相応しいと証明してあげるのよ!!」

 取り巻きたちを従え、エルヴィラは殺気立ってバルコニーへと向かって歩き出した。

 競合他社(ざまぁ対象)による、最悪の妨害工作(コンプライアンス違反)が、静かな夜のバルコニーで幕を開けようとしていた。

読んでいただきありがとうございます。

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