EP 9
器物損壊の賠償は、労働力(終身雇用)による業務提携にて相殺させていただきます
南部の荒野に、白み始めた夜明けの光が差し込む。
破壊されたプレハブ事務所の残骸を赤く染める朝日は、どこか清々しく、そして昨日までの狂騒が嘘のように静かだった。
「……ふぁぁぁ…………」
私は大きく欠伸を一つして、目尻に滲んだ涙を拭った。
目の下には、うっすらと疲労の証が刻まれている。前世のブラック企業時代を思い出すような、完璧な徹夜明けのコンディションである。
「ヒカリ。あまり目を擦るな、肌が傷つく。……疲れただろう、私の腕の中で少し眠るといい」
私のすぐ隣で、この荒野には全く似つかわしくない極上のアンティーク・ソファ(昨晩、アレクセイ様が空間収納魔法から取り出した私物だ)に優雅に腰掛ける氷の魔王――アレクセイ様が、甘い声で囁きながら私を抱き寄せた。
「誰のせいで一睡もできなかったと思っているんですか……ッ!」
私は彼の胸板をペチリと軽く叩いた。
昨晩、キャルルさんがパフェの糖分スパイクで強制睡眠に陥った後。
アレクセイ様が放った「今夜は一睡もさせない」という宣言は、決して冗談ではなかった。
彼は半壊したプレハブ事務所の片隅にソファを設置すると、私を膝の上に拘束したまま、一晩中、南部の復興計画書の作成と、事後処理の決済書類のチェックを『二人三脚(密着状態)』で行うことを強要したのだ。
書類を一枚めくるたびに、髪にキスを落とされる。
計算機を叩くたびに、「可愛いな」「有能だな」「愛している」という糖度1000%の囁きが耳元に投下される。
文字通り『息の詰まるような過剰なスキンシップ』と『終わらない書類仕事』のダブルパンチに、私の精神力はゴリゴリと削られ、朝を迎える頃には灰のように真っ白になっていた。
「きゅぅ……。ご愁傷様なのですよ、ヒカリ。ブラック企業の残業より、ヤンデレCEOの過剰な愛情表現の方が、ある意味タチが悪いかもしれないのですよ」
ソファの肘掛けで丸くなっていたコハクが、ジト目でアレクセイ様を睨みながら念波を送ってくる。
「全くです。公私混同も甚だしい……ふぁっ!?」
私が同意した瞬間、アレクセイ様が私の首筋に顔を埋め、すぅっと深く息を吸い込んだ。
「……ヒカリの匂いは、どんな高級なポーションよりも私の魔力を回復させてくれる。昨晩は暴走した獣人のせいで随分と神経をすり減らしたが、君のおかげで完璧にリフレッシュできた」
「しゃ、社長! 外です! 騎士の皆さんが見ていますから!」
私が慌てて彼の胸から逃れようとすると、視線の先で、地面に寝転がっていた『原因』が、うめき声を上げながら身をよじった。
「う、うーん……。あ、頭痛い……。口の中、あっま……」
ピクピクとウサギ耳を揺らしながら、キャルルさんがゆっくりと上半身を起こす。
カフェインと糖分の過剰摂取による、二日酔いならぬ『糖分酔い』の症状が出ているのだろう。彼女はぼんやりとした目で周囲を見渡し……そして、半壊したプレハブ事務所と、地面に無数に開いたクレーター(自らの蹴りの跡)を視界に収めた瞬間。
「…………あっ」
彼女のウサギ耳が、ピンッ!と垂直に立ち上がった。
「あ、あ、ああああああッ!? ヤバいヤバいヤバいッ!! アタシ、満月の影響でまた記憶飛ばして大暴れを……ッ!!」
キャルルさんは顔面を真っ青にして飛び起き、自分の足元のタローマン安全靴と、破壊の爪痕を交互に見比べた。
満月の夜、月兎族は超絶ハイテンションになる代わりに、その間の記憶が曖昧になることが多いと聞く。しかし、目の前の物理的な損害を見れば、自分が何をやらかしたかは一目瞭然である。
「……おはようございます、キャルルさん。目覚めはいかがですか?」
私はアレクセイ様の腕から抜け出し、居住まいを正して彼女に歩み寄った。
「ヒ、ヒカリちゃん……っ! ごめんなさい! マジで、本当にごめんなさい!!」
ズサーーッ!!
キャルルさんはマッハの速度で土下座(スライディング・ジャンピング・土下座)を敢行し、荒野の地面に額を激しく擦り付けた。
「アタシ、満月見ると自分でも抑えが効かなくなって……そこにあのヤバいドリンク飲んじゃって、完全に理性がパーンって弾けちゃって……! せっかくヒカリちゃんが建てたピカピカの事務所、こんなボロボロにしちゃって……ッ!」
彼女のウサギ耳が、しょんぼりと地面に垂れ下がっている。
「……死をもって償え。私のヒカリが心血を注いで立ち上げた事業所を破壊し、あまつさえ彼女を危険に晒した罪、万死に値する」
私の背後から、氷のように冷たい声が降ってきた。
アレクセイ様が、抜剣こそしないものの、キャルルさんに向けて絶対零度の殺気を放っている。
「ヒィィィッ!! ブラッ……じゃなくて、社長さん! 命だけは! アタシ、ポポロ村の村長として、まだ村のみんなを養わなきゃいけないから死ねないのぉぉっ!」
キャルルさんがガクガクと震え上がる。
「お待ちください、アレクセイ様」
私は彼を片手で制し、再びキャルルさんに向き直った。
「キャルルさん。我が社(ヴァルトブルク公爵家)は、コンプライアンスと法治主義を重んじるホワイト企業です。無意味な私刑(暴力)は行いません」
「ほ、ほんと!? ヒカリちゃん、神……!」
「ただし」
私はニコリと、完璧な営業スマイルを浮かべた。
「今回の『器物損壊』および『業務妨害』に対する損害賠償は、一金貨たりともまけず、きっちりと請求させていただきます」
空中に半透明のシステム画面を展開し、私は昨晩徹夜で作成した『被害総額の算出表』を指差した。
「プレハブ事務所の修繕費、システムから呼び出したアイテム(超・覚醒エナジードリンクとメガ盛りパフェ)のポイント換算費、そして私とアレクセイ様、および騎士団の残業代……。〆て、金貨三千枚(約三千万円)といったところですね」
「さ、さんぜん……っ!?」
キャルルさんが白目を剥いて卒倒しかけた。
限界集落の特任村長に、そんな大金が払えるはずがない。それは最初から分かっていることだ。
「ヒカリ……。そんな端金、私がポケットマネーでいくらでも補填する。あのような危険分子は、生かしておくだけでリスクだ」
「ダメです、アレクセイ様。ビジネスにおいて、受けた損害は正当な手段で回収しなければ、舐められます。……それに、私は彼女に『金銭』で払えとは一言も言っていません」
私はキャルルさんの目の前でしゃがみ込み、その目を見つめた。
「キャルルさん。あなたは『ポポロ村の村長』だと言っていましたね?」
「え? う、うん。ルナミス帝国との緩衝地帯にある、貧しくて何もない村だけど……。魔獣も多いし、土地も痩せてるしで、村民はみんなギリギリの生活をしてるわ」
「なるほど。ならば、話は早いです」
私は立ち上がり、大きく両手を広げた。
「その賠償金、金貨三千枚。……我が【ヴァルトブルク公爵家・南部再生プロジェクト】と、あなたのポポロ村が『全面的な業務提携(専属契約)』を結ぶことで、相殺して差し上げましょう!」
「……えっ?」
キャルルさんが、ぽかんと口を開けた。
「プレハブ事務所は、我が社の【善行通販システム】を使えば数分で修繕可能です。しかし、この広大な旧ガルシア領を復興させるには、圧倒的に『労働力』と『現地に根付いた人材』が不足しています」
私はビシッとキャルルさんを指差した。
「あなたたちポポロ村の村民を、我が社の『正社員(あるいは専属下請け)』として好待遇で雇用します! そして、村のインフラは私のシステムで一気に近代化(ホワイト化)し、魔獣の脅威からは我が公爵軍が責任を持って防衛します。その代わり、あなたは特任隊長として、我が社の事業拡大のためにその『マッハの機動力』をフル稼働させてください!」
それは、実質的な『ポポロ村の買収(M&A)』宣言であった。
圧倒的な資本(システムと公爵家の力)で村を豊かにする代わりに、彼女という規格外の戦力と、緩衝地帯という重要な拠点を手に入れる。
ピンチ(損害)をチャンス(事業拡大)に変える、コンサルタントの真骨頂である。
「う、嘘でしょ……? アタシの借金をチャラにしてくれるどころか、村のみんなを養ってくれて、インフラまで整備してくれるって言うの……!?」
キャルルさんの大きな瞳から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
「ヒカリちゃぁぁぁぁぁんッ!! 一生ついていく!! アタシ、馬車馬のように……いや、マッハのウサギとして、粉骨砕身(24時間労働)で働くからぁぁぁッ!!」
キャルルさんが私に抱きつこうと飛び込んできた――が。
――ピキィィィンッ!!
彼女と私の間に、分厚い氷の壁が凄まじい速度でせり上がり、キャルルさんは「ふべちゃっ!」と氷の壁に顔面を激突させて滑り落ちた。
「……私のヒカリに、許可なく触れるなと言ったはずだ」
氷の魔王(過保護CEO)が、腕を組んで冷たく見下ろしている。
「ヒカリの提案は悪くない。貴様のような規格外の馬鹿を野放しにするよりは、ヒカリの管理下(リードの届く範囲)に置いた方が、防犯上も安全だ。……だが、勘違いするな。ヒカリの直属は私だ。貴様はせいぜい、末端の現場作業員として粉になるまで働け」
「い、イエス・ボス! 氷の社長さん、マジでアタシ、改心して真面目に働きますからぁぁ!」
キャルルさんが氷の壁越しに敬礼を決めた。
「きゅぃ〜。これで一件落着なのですよ。それにしても、ヒカリは本当に転んでもただでは起きない女なのですよ……」
コハクが呆れたように尻尾を揺らしている。
「よし! 交渉成立ですね!」
私はパンッと手を叩いた。
「では、第一回・インフラ修繕作業(プレハブの建て直し)をパパッと終わらせたら、早速、キャルルさんの『ポポロ村』へ向けて出発しましょう! 現地視察と、今後の都市開発計画の策定が急務です!」
「おおぉぉぉぉッ!!」
私が気合を入れると、昨晩のキャルルさんの『無限回復ハラスメント』によって長年の持病(腰痛や四十肩)が完治し、異様なほどピンピンしている公爵軍の騎士たちが、一斉に歓声を上げた。
「ヒカリ様! 我々、いつでも出撃可能です! キャルル殿のあの蹴り……いや、回復魔法のおかげで、生まれ変わったように体が軽いのです!」
「そうそう、また疲れたら、キャルル姐さんに一発蹴ってもらえば全回復ですしね!」
(……なんか、騎士の皆さんのコンプライアンス(と痛覚の閾値)がバグり始めている気がしますが、今は士気が高いので良しとしましょう)
私は内心でそっとツッコミを入れつつ、左手首の魔導時計を操作してプレハブ事務所の修繕プロトコルを起動した。
こうして、波乱に満ちたサテライトオフィスの開設初日は幕を閉じた。
次なる目的地は、ルナミス帝国との国境に位置する最前線の限界集落『ポポロ村』。
私とアレクセイ様、そして新たに加わった特任隊長の奇妙な一行は、さらなる事業拡大(ホワイト化)へ向けて、荒野を南西へと進み始めたのである。
読んでいただきありがとうございます。
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