EP 8
極甘スイーツによる強制シャットダウンは、労使紛争を解決する究極の平和条約です
「行くよぉぉぉッ!! 『超電光流星脚』ぅぅぅぅッ!!!」
夜空に浮かぶ巨大な満月を背にして、狂戦士と化したキャルルが、マッハ2の速度で急降下してきた。
彼女の足元、タローマン特注の魔導安全靴に集束した紫電のプラズマが、夜の闇を真昼のように照らし出す。それはもはや、一個の生命体が放つ物理攻撃の域を完全に超え、神の裁きか、あるいは隕石の衝突と呼ぶべき絶望的な質量と破壊力を持っていた。
「ヒカリィィィッ!!」
私の前に立ち塞がろうと、アレクセイ様が血を吐くような悲痛な叫び声を上げた。
彼は全魔力を解放し、己の命に代えてでも私を守るべく、何重もの極厚の氷の盾を展開しようとする。
だが、私はアレクセイ様の背中をドンッと両手で押し退け、自ら一歩前へと進み出た。
「社長! ここは私(人事部)に任せてください!!」
「正気か、ヒカリ!? 君がアレを受ければ、骨の欠片すら残らないぞッ!」
「いいから!! 私と、我が社の『福利厚生システム』を信じてください!!」
迫り来る死の流星(必殺技)を真っ直ぐに見据えながら、私は左手首の魔導時計に表示された『購入確定』ボタンを、親指で力強く押し込んだ。
【善行ポイントを消費します。……『ルナキン風・特製極甘ストロベリーパフェ(メガ盛りサイズ)』を召喚しました】
ピロンッ、という気の抜けた電子音が、轟音に包まれた荒野に鳴り響いた。
私の目の前に、一筋の光の柱が立ち昇る。
そして、私の両手にズシッとした重量感と共に現れたのは――。
高さ30センチメートルを超える、巨大なガラス製のパフェグラス。
その中には、前世の日本で深夜のファミリーレストラン(ルナキン)を彩った、魅惑の層が重なっていた。
一番下にはサクサクのコーンフレーク、その上に濃厚なストロベリーソースとバニラアイス。中層にはたっぷりの生クリームとスポンジケーキが敷き詰められ、頂点には、これでもかとばかりに新鮮な大粒のイチゴが山のように盛り付けられている。そして、仕上げに艶やかな練乳が滝のようにかけられた、まさに『カロリーの暴力』とも呼べる芸術作品!
「キャルルさぁぁぁん!! 残業代(特別ボーナス)の支給です!! ルナキン名物、深夜の特大イチゴパフェですよぉぉぉッ!!!」
私はその巨大なパフェを、まるで聖杯を掲げるかのように天高く突き上げた。
「……は?」
上空わずか数十メートル。
あと一秒で私とアレクセイ様をチリに変えるはずだったキャルルの動きが、空中でピタリと硬直した。
彼女の長く尖ったウサギ耳が、ピクピクと痙攣するように動く。
そして、月兎族の並外れた動体視力と嗅覚が、私の掲げたパフェグラスの細部、そしてそこから漂う『暴力的なまでに甘い匂い』を、正確に捉え切ったのだ。
「えっ……? ウソ、あれって……ルナキンの、春季限定ストロベリーパフェ(特大)……!?」
エナジードリンクによるカフェインのオーバードーズと、満月の魔力によって完全に『戦闘と破壊』に支配されていた彼女の脳内。
しかし、その暴走した思考回路を、前世の記憶に刻み込まれた『究極の甘味(糖分)』への欲求が、一瞬にして上書き(ハイジャック)したのである。
(いける! コンサルタントの読み通りです!)
限界まで疲労し、徹夜で脳を酷使した現代労働者が、最後に求めるものは何か?
それは闘争ではない。圧倒的な『糖分とカロリー』による、脳への直接的な報酬(ご褒美)である!
「ヤバいヤバいヤバいッ!? パフェが! アタシの蹴りでパフェが粉微塵になっちゃう!! ストォォォォォップ!!!」
キャルルは空中で完全にパニックに陥り、自らの必殺技を強制キャンセルしようと身体を捻った。
しかし、すでにマッハ2まで加速した慣性の法則は、そう簡単に止まるものではない。
「止まれぇぇぇ! アタシの安全靴ぅぅぅッ!!」
キャルルは空中で、タローマン特注の安全靴の踵を、文字通り『虚空(魔力の壁)』に突き立てた。
ギュギュギュギュギュギュルルルルルッ!!!!!
耳をつんざくような摩擦音が響き、空中に紫色の火花が散る。
凄まじい運動エネルギーのベクトルを、純粋な脚力と安全靴のグリップ力だけで無理やり下方向から横方向へとねじ曲げる。それは物理法則を完全に無視した、ギャグ漫画のような軌道変更だった。
ズザザザザザザザァァァァァッ!!!
私の横をすれすれで通過したキャルルは、荒野の地面に深い塹壕を掘りながら滑り込み、私が掲げたパフェのわずか十センチ手前で、ついにその超絶的な突進を停止させた。
もうもうと立ち込める土煙。
風が吹き抜け、視界が晴れる。
「はぁっ……はぁっ……あぶ、あぶなっ……」
キャルルは地面に這いつくばったまま、息を荒らげていた。
彼女の全身を覆っていた狂気の紫電はすでに消え失せ、安全靴からはプスプスとオーバーヒートした煙が上がっている。
「キャルルさん、お疲れ様です。……さあ、溶けないうちにどうぞ」
私はにっこりと完璧な営業スマイルを浮かべ、長いパフェ用スプーンを彼女の手に握らせた。
「あ、うん……。いただく、わ」
キャルルは震える手でスプーンを握り、パフェの頂上にある大粒のイチゴと、たっぷりの生クリーム、そしてバニラアイスを一緒に掬い取った。
そして、大きく口を開けて、それを放り込む。
――瞬間。
「あま~~~~~~い……♡」
キャルルの瞳孔が開いていた狂気の目は、トロンとしたハートマークへと変わった。
彼女の脳内で、イチゴの酸味と生クリームの暴力的な甘さが弾け、極限まで疲労していた神経細胞に、最高級のグルコース(糖分)が染み渡っていく。
超覚醒状態からの、急激な糖分摂取。
それによって引き起こされるのは、激烈な『血糖値スパイク(急上昇)』である。
人体は急激に上がった血糖値を下げるためにインスリンを大量分泌し、その結果、激しい眠気と倦怠感が襲ってくる――つまり、生物学的な『強制シャットダウン』だ。
「おいひい……。最高……生きてて、よかった……」
キャルルのピンと立っていたウサギ耳が、ふにゃぁ……と力なく垂れ下がった。
スプーンを持った手がパタンと地面に落ち、彼女の身体がゆっくりと前へ傾く。
「すぅ……すぅ……」
そしてキャルルは、パフェのグラスに頬をすり寄せるような体勢で、完全に意識を手放し、幸せそうな寝息を立て始めた。
『満月バグ』と『エナジードリンク』による、最悪の労使紛争(暴走状態)は、ここに極甘スイーツの力によって、完全に鎮圧されたのである。
***
……静寂が戻った南部の荒野。
「きゅぅ……。助かった、助かったのですよ……。ヒカリは本当に、商売で世界を救う女なのですよ……」
私の足元で、元の小さな子狐の姿に戻ったコハクが、へなへなと座り込んでいる。
周囲を見渡せば、私が召喚した『プレハブ事務所』は半壊し、屋根は吹き飛び、壁は穴だらけになっている。しかし、隣の『極上スーパー銭湯』は奇跡的に無傷であり、初期投資が全て水泡に帰す最悪の事態(倒産)だけは免れたようだ。
「ふう……。なんとか、致命傷(赤字)だけは避けられましたね」
私が安堵の息を吐き、パフェグラスを安全な場所に置こうとした、その時だった。
――ガシッ!!
「ひゃっ!?」
背後から、信じられないほどの強い力で身体を引き寄せられた。
私の背中に、硬い胸板と、少し震えている腕の感触が伝わってくる。
「……っ、ヒカリ!!」
「しゃ、社長……?」
私を背後から抱きしめたのは、アレクセイ様だった。
彼の声は、いつもの氷のように冷徹で落ち着いたものではなく、ひどく掠れ、感情の波に大きく揺さぶられていた。
「君という人間は……! あのような規格外の攻撃の前に、どうして自ら身を乗り出すような真似ができる! もし計算が狂って、君が死んでいたら……私は、私は世界中の全てを凍らせて砕いていたぞッ!!」
アレクセイ様の腕が、私の腰と肩を強く、痛いほどに締め付ける。
彼の冷たい銀髪が私の首筋に触れ、彼がいかに本気で私の喪失を恐れていたかが、その体温と心音から痛いほどに伝わってきた。
「申し訳ありません、アレクセイ様。ですが、ご安心ください。私はコンサルタントとして、勝算のないギャンブルは絶対にいたしません」
私は少しだけ顔を振り向き、私を抱きしめる彼に微笑みかけた。
「彼女の欲求を完璧に読み切り、適切な報酬を提示する。これは立派な『交渉』です。それに、私には社長という最強の護衛がついていましたから、いざとなれば必ず守ってくれると信じていました」
「……ッ」
私の言葉に、アレクセイ様は大きく息を呑み、そして深く、深くため息をついた。
私を抱きしめる腕の力が、ほんの少しだけ緩み、代わりに優しい温もりへと変わる。
「……狡いな、君は。そんな風に全幅の信頼を寄せられていると言われては、私が君を叱ることも、鎖に繋いで閉じ込めることもできなくなるではないか」
「ふふっ。社長室は半壊してしまいましたからね。閉じ込める場所もありませんよ」
私が冗談めかして笑うと、アレクセイ様も微かに口角を上げ、私の耳元で低く甘い声で囁いた。
「ならば、新しい執務室が再建されるまで……私の腕の中を、君の専属の『安全地帯』として提供しよう。……今夜は一睡もさせないから、覚悟しておくことだな」
満月の下、半壊したプレハブ事務所の前。
眠りこける暴走ギャルと、呆れ顔の騎士たちに見守られながら。
限界集落における私たちの過激な事業再生計画は、圧倒的な糖度(パフェと社長の溺愛)と共に、波乱の第一夜を乗り越えたのであった。




