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EP 6

満月の夜の労務管理フルムーン・バグは、全回復という名の暴力で社員を蹂躙します

「お前らぁぁぁ!! 残業ご苦労さまぁぁぁッ!! 肩こりも、骨折も、内臓破裂も、アタシが全部【全回復】させてやるから、死ぬ気で殴られろぉぉぉぉぉぉッ!!!」

 狂気を孕んだ笑い声と共に、キャルルの足元――タローマン特注・魔導安全靴が、爆発的な駆動音を上げた。

 ――ドォォォォォォォンッ!!!

 鼓膜を破るような轟音。

 マッハ1(秒速約340メートル)の世界へと突入したキャルルの身体が、音速の壁を突破したことで生じた『衝撃波ソニックブーム』が、休憩処の残りの壁と天井を紙屑のように吹き飛ばした。

「きゃあああっ!?」

「くっ……!」

 アレクセイ様が咄嗟に巨大な氷のドームを展開し、私とコハクを爆風から守り抜く。

 氷のドームが晴れた後、そこにキャルルの姿はすでになかった。

『(ヒカリ! 外なのですよ! あのアホウサギ、外で休憩していた騎士たちの方へ突っ込んでいったのですよ!)』

 コハクが空を指差して叫ぶ。

 吹き飛んだ壁の向こう側。

 プレハブ事務所の外では、私が支給した『冷たい麦茶』を飲みながら、クーラーの効いた風を浴びて談笑していた公爵軍の精鋭騎士たちがいた。

 そこに、紫電の雷光を纏った『神速のウサギ』が、文字通りのミサイルのように飛来したのだ。

「え……?」

 騎士の隊長が、手に持っていた紙コップを落とす暇すらなかった。

「月影流・鐘打ちぃぃぃッ!!」

 バキィィィィンッ!!

 安全靴の踵が、騎士隊長の強固な黒鋼の胸当てを紙のようにへこませ、彼を数十メートル後方へと蹴り飛ばした。

「た、隊長ぉぉぉぉぉっ!?」

「敵襲ぅぅッ! いや速すぎる、見えな――」

「よそ見すんな! 月影流・乱れ鐘打ち!!」

 ドドドドドドドドッ!!!

 キャルルは空気を蹴り、プレハブ事務所の壁を蹴り、ピンボールのように三次元的な超高速移動を繰り返しながら、次々と騎士たちに重い蹴り(安全靴仕様)を叩き込んでいく。

 屈強な騎士たちが、まるでボウリングのピンのように宙を舞い、地面に叩きつけられていく。

「ああっ! 我が社の貴重な人的資源(労働力)が、たった数秒で全滅の危機に……!」

 私が氷のドームの中から悲鳴を上げた、その直後だった。

「はい、お疲れ様ぁ! 『月兎の秘薬フルムーン・ヒール』!!」

 キャルルが宙返りをして着地すると同時に、彼女の全身から眩い『月の光』が放射された。

 その光が、地面で血を吐いて倒れていた騎士たちを包み込んだ瞬間――。

「……あ、あれ? 痛くない……?」

 胸当てを陥没させられていた隊長が、キョトンとした顔で立ち上がった。

「いや、痛くないどころか……なんだこれ! 長年悩まされていた腰痛が完治している!? それに、身体の奥底から力が湧いてくるぞ!」

「俺もだ! 視力が上がった気がする!」

「四十肩が治ってるぅぅっ!」

 なんと、キャルルの蹴りを食らった騎士たちは、数秒前まで瀕死だったにも関わらず、傷一つないどころか『ベストコンディション(全回復)』状態で立ち上がったのである。

「あはははは! 良かったねお兄さんたち! さあ、健康になったところで、もう一回『肩こりほぐし(物理)』いくよぉぉぉっ!!」

「ヒィィィィッ!! 勘弁してくれぇぇぇッ!!」

 回復した端から再びマッハの蹴りを叩き込まれ、また回復させられる。

 天国(全回復)と地獄(瀕死)の無限ループ。これぞ、月兎族の王族が満月の夜に引き起こす最悪のバグ現象、【地獄の無限回復ハラスメント】であった。

「……狂人め。私の部下たちをオモチャにするとは、万死に値する」

 アレクセイ様が、私をそっと地面に下ろし、極寒の冷気を纏いながら前へ出た。

 彼の歩みと共に、荒野の地面が次々と分厚い『氷の平原』へと姿を変えていく。キャルルの足場を奪い、その機動力を削ぐための地形変化魔法だ。

「ヒカリ、君は絶対に私の背後から離れるな。……あれは、説得でどうにかなる状態ではない。両足を凍結させて物理的に黙らせる」

「しゃ、社長! 手加減をお願いしますよ! 彼女は我が社の貴重な福利厚生を享受した、言わばプレ提携先(見込み客)なんですから!」

「あんな危険分子を提携先に加えるつもりはない!」

 アレクセイ様が剣を振り下ろすと、地面の氷が巨大な牙となって、キャルルに向かって襲いかかった。

 しかし、満月バグでハイテンションになっているキャルルは、それを鼻で笑った。

「あははっ! 足場を凍らせる? 甘い甘い! タローマンの特注安全靴の『スパイク・グリップ』を舐めないでよね!!」

 ガリッ! バキィィィンッ!

 キャルルは氷の牙をトンファーで粉砕し、ツルツルの氷盤をスパイクで完璧に捉えながら、逆にアレクセイ様へと猛スピードで肉薄してきた。

「ヤッホー、ブラック社長! あんた、顔色悪いし、ヒカリちゃんへの激重な執着心で首周りがガチガチに凝ってるんじゃない!? アタシが頭蓋骨ごとスッキリ(粉砕)させてあげる!!」

「……戯れ言を」

 ガキンッ!!

 アレクセイ様の魔剣とキャルルのトンファーが激突し、凄まじい衝撃波が氷を砕いて撒き散らす。

 純粋な剣術と魔法の技量ではアレクセイ様が圧倒しているが、キャルルの『マッハ1の速度』と『無限の体力(月光による自動回復)』が、完全に戦況を膠着させていた。

(まずい、まずいです! このまま二人が本気でぶつかり合えば、私の建てたプレハブ事務所も、スーパー銭湯も、完全に更地にされてしまう!)

 ビジネスにおいて、拠点の喪失は最大の痛手である。

 私は焦燥に駆られながら、左手首の魔導時計をタップした。

(こうなったら、強制的に彼女のバグ(ハイテンション)を終了させるしかありません! 【善行通販システム】で、大型魔獣用の『強力鎮静剤(睡眠薬)』か、それに準ずるアイテムを検索して……!)

 空中に浮かんだ半透明のシステム画面を、震える指で操作する。

 検索ワード:『鎮静』『睡眠』『強制シャットダウン』。

 ピロンッ、といくつかの商品がリストアップされた。

 一番上にあるのは、『エレファント・スリープ(象をも眠らせる劇薬カプセル)』。これだ! これを水鉄砲か何かに入れて、彼女の口にぶち込めば!

 私が購入ボタン(エンター)を押そうと指を伸ばした、まさにその瞬間。

 ――ズドォォォォォンッ!!!

「甘いッ! 月影流・破衝撃!!」

「くっ……!」

 キャルルとアレクセイ様の魔力が至近距離で爆発し、強烈な突風が私を襲った。

「きゃあっ!?」

 体勢を崩した私の指先が、空中のシステム画面を大きく滑り……目当ての『鎮静剤』の、二つ下にある商品をタップしてしまった。

【購入が確定しました。善行ポイントを消費します】

「あ……」

 無機質な電子音が鳴り響き、上空に光の魔法陣が展開される。

「ちょ、ちょっと待って! 今、何を誤発注ミスクリックしたの!?」

 私が慌てて購入履歴を確認すると、そこには信じられない商品名が記載されていた。

『超・覚醒エナジードリンク(カフェイン&アルギニン限界突破・限界労働者用)24缶入りケース』

「ヒィィィィッ!? ち、違っ……!」

 鎮静ダウナーさせるはずが、真逆の超覚醒アッパー系アイテム、それも前世の徹夜組OLが愛用していた「命の前借りドリンク」の箱売りを召喚してしまったのだ。

 ドスンッ!

 光と共に、キャルルとアレクセイ様のすぐ近くの地面に、見慣れたロゴの描かれた段ボール箱が落下した。衝撃で箱が破け、中から毒々しい色の缶が数本転がり出る。

「……んん?」

 それに気づいたキャルルが、マッハの動きをピタリと止めた。

 彼女の並外れた嗅覚が、転がり出た缶から漏れる『強烈な甘い匂いと、ヤバい成分の気配』を察知したのだ。

「なにこれ……? すっごい、力がみなぎる匂い……。ヒカリちゃんからの、残業(戦闘)の差し入れ!?」

「違います! キャルルさん、それは絶対に飲んではダメです! 今のあなたの状態でそれを摂取したら、心臓エンジンが爆発――」

 私の静止の叫び虚しく。

 キャルルは缶のプルタブを「プシュッ!」と小気味よく開けると、それを一気に喉へと流し込んだ。

「ぷはぁぁぁぁぁッ!!! ンンンンンンンッ、甘ぁぁぁぁい!! ヤバい、これヤバい!! 脳髄に直接雷が落ちたみたいに、最高にハイってやつだァァァァァッ!!!」

 ――バチバチバチバチバチッ!!!!

 キャルルの全身から、先ほどまでの比ではない、目を潰すほどの紫電の雷光と月のオーラが噴き上がった。

 マッハ1だった彼女の動きが、さらにギアを一つ上げる音がした。

『(ヒ、ヒカリィィィ! 何をしてるのですよ! あのアホウサギ、さらにリミットブレイクしたのですよ!?)』

 コハクが涙目で私の頭にすがりついてくる。

「わ、私のバカァァァッ! 発注ミス(ヒューマンエラー)で、事態をさらに悪化させてしまいましたぁぁっ!!」

「あははははは! 最高最高最高! ブラック社長! アタシの最高速トップスピード、見せてあげるよぉぉぉっ!!」

 エナジードリンク(徹夜用)によって完全なる『覚醒バグ状態』へと移行したキャルル。

 南部の荒野におけるドタバタ労使交渉は、私の痛恨の操作ミスによって、もはや誰にも止められない極限の次元へと突入してしまったのである。

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