EP 4
充実の福利厚生(スーパー銭湯)は、どんな凶暴なクレーマーをも瞬時に買収します
「……今すぐ、この場所に『極上スーパー銭湯&サウナキット』を建設(召喚)し、親睦を深めるための『女子会(裸の付き合い)』を開催しようではありませんか!!」
私が声高らかに宣言した直後。
南部の荒れ果てた大地に、二度目の眩い光の柱が立ち昇った。
光の粒子が収束し、プレハブ事務所の隣にドスーン!と出現したのは、前世の日本で誰もが見慣れた、あのノスタルジックかつ堂々たる建築物――立派な唐破風の屋根に、天高くそびえる煙突、そして入り口には紺色と赤色の暖簾が揺れる『純和風スーパー銭湯(極)』であった。
「う、嘘でしょ……!? マジで銭湯が生えてきたぁぁぁっ!?」
タローマンの特注安全靴を踏み鳴らし、今にもアレクセイ様に飛びかかろうとしていたキャルルは、両手のトンファーをガシャンと地面に取り落とした。
彼女のウサギ耳が、信じられないものを見るようにピンと真っ直ぐに立ち上がっている。
「入り口には『ゆ』の文字……! かすかに漂うヒノキの香りと、ボイラーが燃える匂い……! 間違いない、本物のスーパー銭湯だわ!!」
「いかにも! これは我が【善行通販システム】の特級カタログから取り寄せた、完全フルオート給湯・サウナ・水風呂完備の極上施設です。善行ポイントはかなり飛びましたが、有能なビジネスパートナー(あなた)と強固な信頼関係を築くための『交際費』と思えば安いものです!」
私は胸を張り、キャルルに向けて親指を立てた。
荒廃した異世界の辺境に突如現れた、現代日本のオアシス。前世の記憶(と欲望)を持つ彼女にとって、これがどれほどの劇薬になるかは計算済みである。
「OLさん、あんた……あんたって人は! 一生ついていく!! 私、ルナミスに亡命してからずっと、ちゃんとしたお湯に浸かってサウナで『ととのう』のが夢だったのよぉぉぉっ!!」
「ふふふ、交渉成立ですね。では、さっそく親睦を深めるための『チームビルディング研修(入浴)』と洒落込みましょう!」
私たちは完全に意気投合し、キャルルはすでに戦闘態勢を解除して暖簾をくぐる準備を始めている。
「……待て」
そこに、地を這うような冷たい声が割って入った。
振り返ると、アレクセイ様が眉間にとんでもなく深いシワを刻み、氷点下のオーラを放ちながら立っていた。
「ヒカリ。君がその得体の知れない施設で、この暴漢(ウサギの獣人)を手懐けた手腕は見事だ。……だが、君も一緒に入るというのはどういうことだ。まさか、その娘と二人きりで無防備な姿になるつもりか?」
「え? はい、女子会(裸の付き合い)ですから。サウナで汗を流して、コーヒー牛乳を飲むまでがワンセットの重要な研修です。もちろん、社長(アレクセイ様)は男性ですので、あちらの『男湯』に入っていただいて構いませんよ」
「私が『男湯』だと……? 馬鹿なことを言うな。君に万が一のことがあってはならない。護衛として、私も君と同じ空間(女湯)に同行する」
「ダメに決まってるでしょうが!! コンプライアンス(公衆衛生法および迷惑防止条例)違反で一発実刑ですよ!?」
大真面目な顔でとんでもないセクハラ発言をかます社長に、私は全力でツッコミを入れた。
アレクセイ様は本気で心配しているのだろうが、これ以上彼の『過保護』を許容すれば、私の社会人としての貞操観念が崩壊してしまう。
「きゅぃ〜ん。ヒカリの言う通りなのですよ、氷の魔王。女の園に男が立ち入るなど、無粋の極みなのですよ」
その時、私の首元に巻きついていたコハクが、ぴょんと地面に飛び降りた。
「ヒカリの護衛なら、このボクが一緒に入るから安心するのですよ。……それに、せっかくの大きなお風呂。狐の姿では堪能しきれないのですよ」
ぽんっ!と、白い煙が弾けた。
煙が晴れた後に立っていたのは、小さな子狐ではなく、息を呑むほど美しい『和風の美少女』だった。
銀色に輝く豊かな髪、妖艶で切れ長な赤い瞳、そして頭にはふさふさの狐耳。背中には、神獣の証である九本の立派な尻尾が揺れている。着物風の艶やかな浴衣を気崩したその姿は、まさに天界の妖狐であった。
「わあ……っ! コハク、あなた人間の姿になれたんですね!?」
「ふふん、ボクにかかれば造作もないのですよ。さあヒカリ、キャルル。あんな野暮な男は放っておいて、早くお風呂に入るのですよ!」
「ええっ、九尾の狐のお姉さん、超絶美人じゃん!! テンション上がるーッ! 行こ行こ!」
人間の姿になったコハクと、すっかりギャルに戻ったキャルルが、私の両腕を引っ張って『女湯』の赤い暖簾へと突き進んでいく。
「ま、待てヒカリ! 私はまだ許可を――ッ!」
「社長はプレハブ事務所で留守番していてください! これは業務命令……ではなく、正当な『有給休暇の消化』です!!」
私はアレクセイ様の制止を振り切り、ガラガラと女湯の引き戸を閉めた。
扉の向こう側から、「……くそッ!」という氷の魔王らしからぬ焦燥に満ちた舌打ちと、周囲がピキピキと凍りつく音が聞こえたが、私は心を鬼にして聞かなかったことにした。
【サウナ室(女の園)にて】
「はぁぁぁぁぁ…………っ! 極楽ぅぅぅぅ……」
ヒノキの香りが充満する、薄暗く熱気にあふれたサウナ室。
温度計の針は90度を指している。
私とキャルル、そしてコハクの三人は、頭にタオルを乗せ、ひな壇に並んで座りながら、滝のような汗を流していた。
「最高……マジで最高。この湿度、この熱気。ルナミス帝国の魔導風呂でも、ここまでのクオリティは絶対出せないわ」
キャルルが目を閉じ、恍惚の表情を浮かべている。
彼女のウサギ耳も、熱気に当てられてふにゃんと垂れ下がっていた。
「喜んでいただけて何よりです。これで、我が社の福利厚生のレベル(本気度)がご理解いただけたかと」
「うんうん、完全に買収されたわ。あんなブラック社長の下で働くのはどうかと思うけど、ヒカリちゃん(もう名前で呼ぶね!)のこの通販システムがあるなら、過酷な労働環境も耐えられる気がする」
「だから、アレクセイ様はブラック社長ではありませんって。お給料は弾んでくれますし、私の意見も尊重してくれます。ただ少し、マネジメント(過保護)の距離感が近いだけで……」
「いやいやいや!」
キャルルがバッと目を開き、サウナの熱気以上に熱い視線で私を睨んだ。
「さっきの心音、ヒカリちゃんは聞こえてないから呑気なこと言えるのよ!? あの社長、マジでヒカリちゃんを自分の城から一歩も出したくないって思ってるわよ! 『できればずっと閉じ込めていたい』なんて、完全にヤンデレ一歩手前じゃない!」
「そ、それは……彼なりに、私の防犯対策を徹底してくれているだけで……」
「出たよ社畜脳! 恋愛感情を全部ビジネス用語に変換して現実逃避するヤツ! ガオガオンの小説の第三巻と同じ展開だよそれ!」
「その通りなのですよ、キャルル」
隣に座るコハクが、九本の尻尾をゆらゆらと揺らしながら頷いた。人間の姿になっても、語尾の「〜のですよ」は健在らしい。
「あの氷の男は、ヒカリが他の男と口を利くだけで周囲の気温をマイナスに下げる、とんでもない嫉妬深さなのですよ。この間なんて、ヒカリの額にキスをして『君のすべてを私に委ねろ』なんて、歯の浮くような台詞を――」
「わぁぁぁぁっ! ストップストップ!! コハク、これ以上私のプライベート(機密情報)を漏洩しないでください!!」
私は真っ赤になった顔(サウナの熱のせいだけではない)を手で覆った。
「キャーッ! 額にキス!? なにそれ超甘いじゃん! やっぱりあの社長、ヒカリちゃんにガチ恋してるんじゃない!」
キャルルがキャーキャーと騒ぎ立てる。
「ち、違います! あれは偽装婚約というプロジェクトの延長線上における、一種のパフォーマンスというか、ええと、生涯雇用契約の確認作業であって……っ!」
「だからそれを世間では『プロポーズ』って言うのよ! あはは、ヒカリちゃんってば有能なOLなのに、自分のことになるとポンコツで可愛い!」
キャルルがバンバンと私の肩を叩いて笑う。
出会って数十分とは思えないほどの意気投合ぶりだ。裸の付き合い(サウナ)がもたらす心理的安全性は、異世界においても絶大な効果を発揮するらしい。
「よし、ヒカリちゃんへのからかいはこの辺にして……そろそろ『ロウリュウ』といこうか!」
キャルルがニヤリと笑い、サウナストーンが積まれたストーブへと視線を向けた。
「コハクちゃん、いける?」
「任せるのですよ。ボクの狐火の熱量で、極上の蒸気を作り出してやるのですよ」
「えっ、ちょっと待ってコハク、あなた神獣の魔力で何を――」
私が止める間もなく、コハクの指先から『蒼い狐火』が放たれ、サウナストーンを真っ赤に熱した。そこにキャルルが、桶に張られたアロマ水を豪快にぶちまける!
――ジュワァァァァァァァァッ!!!!
爆発的な水蒸気が発生し、サウナ室内の温度が急激に跳ね上がった。
熱波が全身を打ち据え、毛穴という毛穴から一斉に汗が噴き出す。
「熱ぅぅぅぅっ!? でも……効くぅぅぅっ!!」
「最高なのですよー!」
「たまんないわね!! よし、限界まで耐えたら、外の水風呂へダイブよ!!」
限界集落のど真ん中で、私たちは完全に仕事(視察)を放棄し、極上の『ととのい』へと向かってひた走っていた。
【一方、その頃。プレハブ事務所前】
「…………遅い」
サテライトオフィスの前に立ち尽くす、黒衣の公爵――アレクセイは、限界を迎えつつあった。
ヒカリたちが『スーパー銭湯』なる建物に入ってから、すでに一時間が経過している。
建物の中から響いてくる、ヒカリとウサギの獣人の楽しげな笑い声。
それは本来、平和で喜ばしい光景のはずだった。
しかし、アレクセイの胸の奥底で渦巻く感情は、黒く、重く、そして冷たく凝り固まっていた。
(あの獣人の娘……キャルルと言ったか。女同士とはいえ、私のヒカリにあれほど馴れ馴れしく接するとは……。しかも、三人とも今は、一糸まとわぬ無防備な姿で……!)
アレクセイはギリッと奥歯を噛み締めた。
彼の脳裏に、湯気の中で火照ったヒカリの艶やかな姿が浮かび上がり、直後、その姿をキャルルやコハクが独占しているという事実が、彼の強烈な独占欲を苛み続けていた。
「閣下……。周囲の気温が、すでに氷点下まで下がっております……。我々、寒さで鎧が凍りついて……ッ」
護衛の騎士たちが、ガチガチと歯を鳴らしながら震えているが、アレクセイの耳には入っていなかった。
「……これ以上、私の目の届かない場所(女湯)で、彼女を他の者と談笑させるわけにはいかない」
アレクセイはゆっくりと腰の魔剣に手をかけ、スーパー銭湯の入り口(赤い暖簾)へと向かって歩みを進めた。
彼の足元から、パキパキと地面が凍結していく。
「ヒカリ。今すぐ出てこないというのなら……この得体の知れない施設ごと、私が絶対零度で凍結させ、強制的に君を連れ出すまでだ……!」
サウナの熱気で完全に『ととのい』の境地に達している女子たちの平和な時間は、嫉妬で暴走状態に突入した『氷の魔王』の介入により、再び物理的なカオスへと叩き落とされようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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