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EP 7

帰りの馬車は『糖度1000%』の密室です

 ガルシア侯爵家の別邸から、ヴァルトブルク公爵家の紋章が刻まれた最高級魔導馬車へと至る道すがら、周囲の貴族や使用人たちは、まるでモーセの十戒のように左右へと綺麗に割れて平伏していた。

 誰もが、絶対零度の殺気を全身から放ちながら、一人の女性を大切そうに横抱きにして歩くアレクセイ様の姿に、恐怖で息を呑んでいる。

 当の私はというと、アレクセイ様の分厚く上質な黒マントの中にすっぽりと包まれ、みのむしのような状態で大人しく運ばれていた。

(いや、本当に助かりました。まさか熱湯を防御した反動で、ドレスの維持時間タイムリミットがあそこまで短縮されるとは計算外でした。もしアレクセイ様がマントをかけてくださらなければ、私は王都のど真ん中で下着姿を晒すという、公爵家の品位を著しく貶める重大なコンプライアンス違反(露出狂)として、社会的制裁を受けるところでしたわ……)

 マントの隙間からかすかに見えるアレクセイ様の美しい顎のラインを見上げながら、私は己の危機管理の甘さを深く反省していた。やはり、現場(お茶会)には想定外のトラブルが付き物だ。次回の出張からは、予備の衣装をインベントリに常備しておくという業務改善命令を自分自身に発令せねばなるまい。

「……ヒカリ」

 馬車の扉が開かれ、アレクセイ様は私を抱えたまま車内へと乗り込んだ。そして、私をシートに下ろすのかと思いきや、そのまま自分もふかふかの座席に腰を下ろし、私を自分の膝の上にしっかりと固定したのである。

 バタン、と重厚な扉が閉まり、馬車が滑るようにして発車する。

 車内は一瞬にして、外の喧騒から完全に遮断された、二人(と一匹)だけの密室空間となった。

「あの、アレクセイ様。無事に『避難(退社)』できましたので、もうこのマントをお返しして、隣の席に移動してもよろしいでしょうか?」

「駄目だ。そのまま座ってい roいろ

 アレクセイ様の声は、いつになく低く、どこか掠れていた。

 私を後ろから抱きしめる彼の腕には、拒絶を一切許さないような、強い力が込められている。背中にぴったりと押し当てられた彼の胸からは、普段の冷静沈着な彼からは想像もつかないほど、激しく、速い心臓の鼓動がドクドクと伝わってきた。

「きゅ~ぅ……(ボクは今、ただの首巻きなのですよ……空気なのですよ、何も見ていないのですよ……)」

 私の首元で、コハクがこれ以上ないほど気配を消し、目を固く閉じて「狸寝入り」を決め込んでいた。さすがは神獣、空気の読み方(社内政治の立ち回り)が完璧である。

「ヒカリ……君は、自分がどれほど無防備なことをしたか分かっているのか」

 アレクセイ様が私の耳元で低く呟く。彼の熱い吐息が首筋に触れ、私の背中にゾクリとした震えが走った。

「無防備、ですか? いえ、私は【善行通販システム】の最新防護服を着用していましたので、物理的な防御力セキュリティーは完璧でした。イザベラ令嬢の熱湯ハラスメントも、一滴残らず弾き返しましたし」

「そういう話をしているのではない!」

 アレクセイ様が、私の肩にぐっと顔を埋めた。彼の綺麗な銀髪が私の頬をチクチクと刺激する。

「ドレスが消えかかった時……君の、その白い肩が、あのような有象無象の目に触れそうになったんだ。私がマントをかけるのがあと一瞬遅ければ、君のすべてが奴らの視線に汚されるところだった。……それを想像しただけで、私は、あの別荘にいる人間を全員、文字通り塵一つ残さず凍結させて粉砕したくなった」

「それはあまりにも過剰な防衛反応オーバーキルです、アレクセイ様。国際法(王国の法律)に触れます」

「触れても構わない! 君を失うくらいなら、国家の法などいくらでも踏み潰してやる!」

 アレクセイ様の言葉には、狂気的なまでの独占欲が乗せられていた。彼は私の腰をさらに強く抱きすくめ、まるで自分の身体の一部にでもしようとするかのように密着してくる。

(お、おお……。これは、いわゆる『ワンマン経営者トップの過度な労働安全衛生意識』ですね。自社の重要資産(私)が他社によって傷つけられそうになったことで、社長のメンタルが著しいパニック状態に陥っていらっしゃるわ。前世のブラック企業でも、重要なプロジェクトの直前にエース社員が引き抜かれそうになって、社長がヒステリーを起こす光景を見たことがあるけれど、アレクセイ様のこれはその究極系ね)

 私は、彼のこの激しい執着を「優秀な人材に対する、経営者としての強い囲い込みの意思(リテンション施策)」として、極めて冷静に処理した。

「落ち着いてください、社長。私はご覧の通り、お怪我一つありません。ドレスが消滅したのはシステムの仕様(規約制限)によるもので、私の過失です。ですが、アレクセイ様が完璧なタイミングでマント(社内防護具)を提供してくださったおかげで、情報漏洩(露出)は最小限に抑えられました。今回のリスクマネジメントにおいて、アレクセイ様の迅速な意思決定ジャッジは、文句なしの評価(インセンティブ対象)です」

「……はぁ」

 私が大真面目に彼の「業務成果」を称賛すると、アレクセイ様は私の肩口に顔を埋めたまま、深くて、酷く呆れたような溜息を漏らした。

「君は本当に……どこまでも私の愛を、その奇妙な『業務の論理』で受け流すのだな。……私がこれほど、君を他人の目に触れさせたくない、私だけのものにしたいと狂いそうになっているというのに」

「ええ、分かっております。それほどまでに我が領の行政システム、および私の持つ【通販システム】の機密(社外秘)を守りたいということですよね。そのセキュリティ意識の高さ、筆頭政務補佐官として深く感服いたします」

「……違う」

 アレクセイ様が、ゆっくりと顔を上げた。

 その青い瞳が、至近距離で私を見つめる。彼の瞳には、私のモスグリーンのインナー姿(マントの隙間から少し見えている)が映り込んでおり、その視線はどこか熱を帯びて、じっと私の唇へと落とされた。

「私が守りたいのは、領地の機密ではない。……君という、一人の女性だ、ヒカリ」

 彼の手が、マントの中から私の細い手首を掴み、そっと自分の唇へと運んだ。

 手首の脈打つ部分に、アレクセイ様の柔らかく冷たい唇が触れる。それは、まるで服従を誓う騎士のようでありながら、同時に「お前は私のものだ」と刻印を押すかのような、ひどく支配的なキスだった。

「ひゃいっ……!?」

 想定外の、あまりにも「糖度の高い」接触スキンシップに、私のビジネス脳が一時的にショートを起こした。脳内のエラーメッセージが「想定外の入力:解釈不能」と激しく点滅する。

「アレクセイ様……? あの、手首への接触は、どのような業務上の意味プロトコルが……」

「業務ではない、と言っているだろう」

 アレクセイ様はふっと、いたずらが成功した子供のように、しかし酷く妖艶に微笑んだ。その顔面偏差値の高さが、密室の距離で暴力的に私の視界をジャックする。

「王宮での会議中も、私の頭の中は君のことで一杯だった。君が今、どのような嫌がらせを受けているか、泣いてはいないか、そればかりが気になって……王の言葉など、右から左へ聞き流していた。私は、君がいない世界など、一秒たりとも耐えられない。……これでもまだ、私の気持ちを『社長のセキュリティー意識』で片付けるつもりか?」

 彼の長い指先が、私の顎を優しく上向かせる。

 彼の顔が、さらに近づいてくる。吐息が完全に重なり合い、彼の綺麗な唇が、私の唇へと触れる――その直前。

「きゅ、きゅいぃぃぃっ!!(あーっ! もう限界なのですよ! これ以上やったら、ボクの純真な精神メンタルが砂糖漬けになって死んでしまうのですよ! 馬車の中が甘すぎて息ができないのですよ!)」

 それまで死んだように眠っていたコハクが、ついに耐えかねたように目を開け、私の首元から飛び出して馬車の床をドタバタと走り回った。

「っ……、コハク」

 アレクセイ様が、世界を滅ぼさんばかりの恐ろしいジト目でコハクを睨みつける。せっかくの良い雰囲気(?)を邪魔されたボスの怒りは、先ほどのイザベラ令嬢に向けられたものと同等、いやそれ以上だった。

「きゅ、きゅぃん……(ご、ごめんなさいなのですよ……でも、ボクの命(福利厚生)も守ってほしいのですよ……)」

 コハクは馬車の隅っこで小さく丸まり、ブルブルと震えている。

 コハクのナイスな介入インターラプトのおかげで、私のビジネス脳は辛うじて再起動に成功した。

「あ、あの! アレクセイ様! お気持ちは大変よく分かりました! つまり、それほどまでに私を『終身雇用』したいという、最上級の評価ラブコールですね! 私も、これほどホワイトで、かつトップが命がけで社員を守ってくれる職場(公爵領)を離れるつもりは毛頭ありません! 今後も定年まで、骨を埋める覚悟で働かせていただきます!」

「……定年、骨を埋める、か」

 アレクセイ様はしばらく私の言葉を咀嚼するように黙り込んでいたが、やがて諦めたようにクスリと笑った。

「相変わらず、君の言葉は独特だが……。私から離れるつもりがない、という部分だけは、確かに受け取った。……よし、今回はそれで妥協してやろう。ただし、領地に戻ったら、今日の『時間外労働(お茶会)』のご褒美として、私の部屋で一緒に特製のハーブティーを飲んでもらう。……二人きりで、な」

「了解です! 業務報告書(お茶会の成果)をまとめつつ、お供させていただきます!」

 私が元気に答えると、アレクセイ様は今度は優しく、私の髪を愛おしそうに撫でてくれた。

 噛み合っているようで、決定的に噛み合っていない。しかし、二人の距離が、この密室の中で確実に、そして劇的に縮まったことだけは間違いなかった。

 馬車は夕闇に包まれる王都の街道を、私たちの完璧なホーム(公爵領)を目指して、猛スピードで駆け抜けていくのだった。

読んでいただきありがとうございます。

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