EP 4
マウントは『貴重なご意見』としてスルーします
「ふふ、まあいいでしょう。……まずはこの、香り高い紅茶から頂きますね。皆さまもご一緒に、いかがでしょうか?」
私がそう言って、周囲の氷点下の視線を完璧に無視しながら、目の前に並ぶ高級なお菓子と紅茶に手を伸ばすと、サロン内の空気は一瞬にして奇妙な沈黙に包まれた。
完全に孤立させ、精神的に追い詰めて涙を流させる算段だった令嬢たちは、完全に拍子抜けしたような顔をしている。前世の社畜時代、他社とのピリピリした折衝の場で「とりあえずお茶でも飲んで落ち着きましょう」と空気を変えてきた私にとって、この程度の緊張感は日常茶飯事、いやむしろ「会議室のエアコンがちょっと効きすぎているな」くらいの感覚である。
「お、お座りになってよろしくてよ、ヒカリ様。ただし、そちらの席は我が家の『下級文官の面会用』に用意した、いささか硬い椅子ですけれどね?」
イザベラが扇子を激しく仰ぎながら、引きつった笑みを浮かべて席を促した。
私が腰を下ろした椅子は、確かにマホガニー製の豪華なイザベラの椅子に比べれば、装飾の薄いシンプルな木製だった。しかし、人間工学に基づいて作られているのか、背筋がピンと伸びて腰への負担が少ない。
(素晴らしい。この適度な硬さは、長時間のデスクワークにおいて腰痛を防止するための最高のリスクヘッジだわ。我が領の行政棟にもいくつか導入を検討すべきね。さすが王都の侯爵家、隠れた福利厚生のセンスが良いわ)
私は心の中でメモ帳に「腰痛対策チェアの導入」と書き込みながら、差し出された紅茶を一口啜った。
「きゅ……(ヒカリ、この紅茶、見た目は綺麗だけど香りが人工的なのですよ。我が領の食堂で出る、薬草師のおじいさんが淹れてくれるお茶の方が百倍美味しいのですよ)」
首元に擬態しているコハクが、他人に聞こえないほどの小さな波動で私の脳内に直接話しかけてきた。毛並みの中に隠れた小さな鼻をひくつかせ、不満そうにしている。
(シーッ、コハク。他社から提供されたケータリングに露骨な不満を漏らすのは、ビジネスの場ではマナー違反よ。たとえ味が少し落ちるとしても、この場は『相手の予算執行の成果』を素直に観察するのが大人の対応というものよ)
私は脳内でコハクを宥めつつ、テーブルに並ぶイチゴのタルトをフォークで上品に切り分け、口へと運んだ。
――うん、甘酸っぱくて非常に美味しい。バターの風味も豊かだ。さすが王都の一等地にあるお屋敷だけあって、お菓子の仕入れルート(サプライチェーン)は完璧のようである。
「……ヒカリ様。あなた、私がどのような思いであなたをここへお呼びしたか、本当に理解していらっしゃいますの?」
手応えのない私の態度に、イザベラがいよいよ痺れを切らしたように身を乗り出してきた。彼女の周囲にいる取り巻きの令嬢たちも、腕を組んだり、冷ややかな目線を送ったりして、一斉に私への「マウント(市場優位性の誇示)」を開始した。
「ご覧になって、私のこのドレスを。これは王都でも指折りのデザイナーであるマダム・ルノーが、三ヶ月の期間を費やして仕立てた、最高級のベルベット生地のドレスですのよ? 金糸の刺繍はすべて職人の手作業。総額で、辺境の平民が一生かかっても稼げないほどの金額が動いておりますの」
イザベラが自慢げに真っ赤なドレスの裾を広げてみせた。
私はもぐもぐとタルトを咀嚼し、綺麗に飲み込んでから、完璧なビジネススマイルで相槌を打った。
「まあ、素敵ですね。三ヶ月もの納期をかけ、熟練の職人による手作業で品質管理された一着ですか。それほどの手間と資本を投下できるのは、貴社の……失礼、ガルシア侯爵家の圧倒的な資金流動性と、伝統的なブランド力があってこそですね。非常に勉強になります」
「えっ……? ええ、まあ、当然ですわ……?」
イザベラは「悔しがる」か「羨ましがる」という反応を期待していたのだろうが、あまりにも客観的かつプロフェッショナルな『資産運用への称賛』が返ってきたため、予想外のカウンターを食らったように目を瞬かせた。
すかさず、彼女の右隣に座る伯爵令嬢が援護射撃とばかりに口を開く。
「家柄という点でも、我がガルシア派閥は王家を支える中枢ですのよ? あなたのような、どこから馬の骨とも知れない平民が、アレクセイ公爵閣下の隣に並ぶなど、本来であれば国家の規律を乱す重大なコンプライアンス違反ですわ!」
コンプライアンス、という言葉は使っていなかったが、私の脳内フィルターは即座にそう翻訳した。
「なるほど、組織のガバナンスと伝統的な役職の序列(ポストの流動性)に関するご指摘ですね」
私は紅茶のカップをソーサーに戻し、真剣な表情で頷いた。
「確かに、急進的な人材の抜擢(中途採用)は、既存の組織内に摩擦を生むリスクがあります。しかし、我がヴァルトブルク公爵領においては、旧態依然とした身分制度よりも、実務能力と業務効率化の成果を重視する成果主義を導入しております。私のアレクセイ様との関係も、そうした『業務上のパートナーシップ(契約関係)』の一環としての側面が強いですので、組織のガバナンスとしては問題ないと判断しております」
「パートナーシップ……? 成果主義……?」
令嬢たちは、私が何を言っているのか半分も理解できないようで、お互いに顔を見合わせて困惑し始めた。彼女たちがこれまで戦ってきた社交界の武器は「嫉妬」「嫌み」「陰口」だったが、私の武器は「経営理論」と「人事考課の基準」である。噛み合うはずがなかった。
イザベラは顔をわずかに引きつらせ、最後の、そして最大の手札を切るようにして、さらに声を張り上げた。
「そんな屁理屈はどうでもよろしくてよ! 家柄やドレスがどうあれ、女としての本当の価値は、どのような『優秀な殿方』に愛されているかで決まりますの! ……実はね、私には近々、王都の近衛騎士団で最年少の副隊長に昇格すると噂の、ローランド子爵令息との婚約が調う予定ですのよ!」
イザベラはこれ以上ないほど勝ち誇った顔で胸を張った。
「ローランド様はね、剣の腕も一流で、容姿端麗、将来の元帥間違いなしと言われる超優良物件……いえ、素晴らしいお方ですわ! 平民をただの『事務員』としてしか扱わない氷の公爵様とは違い、私を本当のプリンセスのように甘やかしてくださるの! これほどの溺愛、あなたのような地味な女には、一生縁のない世界ですわよね!?」
サロン内の令嬢たちから「まあ!」「素晴らしいですわ、イザベラ様!」と、あからさまな拍手と歓声が沸き起こる。
(ふむ。優秀な若手人材の早期囲い込み、および将来的な幹部候補の確保ですか。人事戦略としては非常に手堅い選択ね)
私は感心しながら、スコーンにたっぷりとクロテッドクリームを塗りたくった。美味しい。非常に美味しい。
「きゅいきゅい!(ヒカリ、あのローランドって男、こないだ行政棟に書類の申請に来た時、アレクセイに一睨みされただけで腰を抜かして『す、すいませんでしたぁ!』って泣きながら帰っていったヘタレなのですよ! ボク、覚えてるのですよ!)」
首元のコハクが、今度はお腹を抱えて笑うような波動を送ってきた。
(あら、そうなの? まあ、アレクセイ様の威圧感は世界滅亡レベルだから、一般の若手社員(副隊長)が腰を抜かすのは仕方のないことよ。他社の内定者のスペックをあまり悪く言ってはいけないわ、コハク)
私はスコーンをパクリと口に放り込み、もぐもぐと咀嚼しながら、イザベラに向けて満面の笑みを浮かべた。
「おめでとうございます、イザベラ様。将来有望な近衛騎士団の幹部候補(ローランド氏)との婚約内定、まさに素晴らしいヘッドハンティングですね。それほど優秀なパートナーがいらっしゃれば、御社の今後のセキュリティー部門(防衛力)も安泰でしょう。心よりお祝い申し上げます」
「……っ!?」
イザベラは、完全に言葉を失った。
彼女が求めていたのは、私の「悔し涙」であり、「嫉妬に狂う醜い姿」だった。しかし、目の前にいる平民の小娘は、まるで他社の株主総会を祝福する外部のコンサルタントのように、終始冷静で、かつ私の提供した高級なお菓子を誰よりも美味しそうに完食している。
自分がどれだけ高価なドレスを自慢しても、どれだけ素晴らしい婚約者の話をしても、すべて「貴重なご意見」「素晴らしい予算執行」として綺麗にスルーされ、流されてしまう。
手応えが、全くない。
むしろ、自分たちが必死になって大声を張り上げている姿の方が、滑稽で、惨めに見えてくるのではないか――そんな恐怖が、イザベラの脳裏をよぎった瞬間だった。
「キ、キイイイイッ……! あなた、何なのよその態度は……! どうしてそんなに平然としていられるのよ!?」
ついに、イザベラの完璧だった縦ロールが、怒りのあまり小刻みに震え始めた。
彼女のイライラは、今や完全に頂点に達していた。
私はそっと魔導時計に目をやる。
『現在時刻:お茶会開始から二十分経過。システムアイテム維持まで、あと二時間四十分』
(ふむ。ファーストコンタクト(マウント対応)は、飽くまでこちらのペースで処理できたわね。しかし、クレーマーの感情がここまで高ぶると、次に来るのは『論理的な対話』ではなく、往々にして『理不尽な実力行使(物理的な嫌がらせ)』へと移行するのよね……)
前世のクレーマー対応の経験から、私は次の展開を正確に予測していた。
イザベラが、背後に控えるメイドに向けて、ギラギラとした邪悪な視線で合図を送るのを、私は見逃さなかった。
さあ、ここからが本当の「リスクマネジメント」の時間のようである。




