EP 3
敵陣の視線は『防犯カメラ』と同じです
ガルシア侯爵家が所有する王都の別邸は、まさに「金に物を言わせました」という形容がふさわしい、重厚かつ悪趣味な豪邸だった。庭園には輸入された珍しい熱帯の草花が植えられ、建物の至るところにこれでもかとばかりに黄金の装飾が施されている。
馬車を降りた瞬間、私の肌がピリリと粟立った。
それは冷気によるものではなく、会場を取り囲むように配置された、大勢の貴族たちの刺すような視線によるものだ。
「……随分と、歓迎されていますね、コハク」
「きゅい、あんな連中、ボクの咆哮一発で吹き飛ばしてやりたいのですよ」
「いけません。ここはあくまで『公的なお茶会』ですから」
私は首元のコハクをそっと撫で、襟巻きの中に深く隠した。今回の私の役割は「氷の公爵の婚約者」という立場を演じつつ、ガルシア派閥の情報を収集し、かつ不当なクレームを華麗に切り抜けること。ここでの振る舞い一つが、公爵領の株価に直結する。
別邸の正門からサロンへと続く廊下を歩く。
すれ違う使用人や、たまたま居合わせた令嬢たちが、私を見るなり一様に口を噤み、扇子で口元を隠しながらヒソヒソと話し始めた。
「まあ……あの方が?」
「噂の平民事務員ですわ。随分と地味な服……公爵閣下は、一体どこに魅力を感じたのかしら」
「きっと、辺境の泥沼から拾い上げられた哀れな女に、公爵様が同情されただけよ。今日で恥をかかされて、二度と王都には顔を出せなくなるでしょうね」
耳を塞ぎたくなるような悪口の数々。しかし、私のビジネス脳は、それらをすべて「市場の忌憚なき意見(ただし顧客満足度は著しく低い)」として記録する。
ふむ。なるほど。私のファッションは「地味」と判断されたか。だが、これは【防刃・耐熱・超撥水】という最強のスペックを隠すための『機能性重視のビジネスウェア』だ。この「見た目」と「実質」のギャップこそが、今回の勝負における私の最大の切り札になる。
サロンの扉の前まで来ると、門番のように立っていた執事が、鼻で笑うように私を値踏みした。
「失礼ですが、招待状を拝見します」
私は淡々と招待状を差し出した。執事はそれを乱暴に受け取ると、中身を大げさに確認し、わざとらしく大きく溜め息をついた。
「間違いありません。ヴァルトブルク公爵領、ヒカリ様……お入りください」
扉が開かれる。
その瞬間、サロン内のすべての視線が、私へと集中した。
シャンデリアの光よりも眩しい、貴族令嬢たちの宝石の輝き。その中で、モスグリーンの地味なドレスを纏った私の姿は、まるで宴会場に迷い込んだ事務作業員そのものだった。
サロンの中央、最も目立つ場所に鎮座しているのは、先日の失態を全く反省している気配のない、縦ロールの令嬢・イザベラである。彼女は、これでもかと宝石を散りばめた真っ赤なドレスに身を包み、勝ち誇ったような笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「あら、いらっしゃいませ。ヒカリ様」
イザベラが立ち上がり、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。周囲の令嬢たちもそれに続き、私を囲い込むようにして移動を始めた。
これは……完璧な『包囲網(囲い込み)』ですね。
私の脳内にあるリスクマネジメント・シートには、すでに【物理的孤立:発生】【精神的プレッシャー:最大】という項目が書き込まれた。
「ようこそ、我が家のお茶会へ。……まあ、なんて質素なドレスでしょう。辺境では、それが『正装』とお呼びになるのですか? 少しばかり……いえ、大いに、場違いでいらっしゃいますことよ」
イザベラは扇子をパチンと閉じ、あからさまに私を指差した。
サロン内には、嘲笑の渦が広がる。
「おやめなさいよイザベラ様、平民にはこれが精一杯のオシャレなんですわ」
「ふふ、アレクセイ公爵も、こんな『作業着』みたいな服を着る女を連れて歩くなんて、さぞかし恥ずかしいでしょうね」
攻撃の方向は、私個人の価値だけでなく、アレクセイ様の評価にまで及んでいる。
……なるほど。これは単純な嫌がらせではなく、公爵家のブランドイメージを毀損するための、組織的な『風評被害工作』の類だ。
私は背筋をピンと伸ばし、全く動じることなく、イザベラの目をじっと見つめた。
イザベラの背後には、ガルシア派閥に属する有力な貴族令嬢たちが十名。サロンの出入り口は、彼女たちの取り巻きで完全にガードされている。
私の首元のコハクが、小さく唸った。「きゅい……」
大丈夫、コハク。私は冷静だ。
「イザベラ様、お招きいただきありがとうございます。ドレスの件ですが、これには『機能性』という非常に重要な意味がありまして」
「機能性? おーほっほっほ! ここは戦場ではございませんのよ? お茶を楽しみ、優雅に談笑する社交の場ですわ。機能などという無粋な言葉は、貴族の美学には不要ですの!」
彼女の言葉に、周囲から再び大きな笑いが起きた。
イザベラはさらに距離を詰め、私の至近距離で顔を歪めた。
「あなた、本当にお可哀想な人ね。アレクセイ様に少し気に入られたからといって、自分が公爵夫人になれるとでもお思い? 公爵様は今、王宮での緊急会議でお忙しいのよ。……つまり、今日のこの席で、あなたを誰が守ってくださるのかしら?」
イザベラがニヤリと笑い、私のドレスの肩口に、わざとらしく指先で触れようとする。彼女の指先には、毒々しい色のマニキュアが塗られている。
その時、私の魔導時計が小さく震えた。
『現在時刻:お茶会開始から五分経過。システムアイテム維持まで、あと二時間五十五分』
残り時間は十分にある。
私はイザベラの攻撃を、あくまで「クライアントからのフィードバック」として受け止めることに決めた。
「イザベラ様。お気遣い痛み入ります。ですが、私はアレクセイ様の公務を邪魔したくありませんので。公爵様が会議にいらっしゃる間、こちらの皆さまと有意義な意見交換ができればと存じます」
私が礼儀正しく微笑むと、イザベラは拍子抜けしたような、しかし怒りを通り越して呆れ果てたような顔をした。
「……意見交換? この私が、あなたのような平民と?」
「ええ。たとえば、ガルシア家が最近行っている『領内での新しい税金の徴収方法』についてなどは、非常に興味深いトピックかと思いますが」
その瞬間、イザベラの顔色が一瞬で強張った。
それまで自信満々だった彼女の表情が、凍りつくような冷たさに変わる。
周囲の令嬢たちも、その言葉を聞いて言葉を失った。ガルシア家の領地で最近強行された増税は、実は王都でも「あまりに過酷」と噂になっていたものだったのだ。
「……あなた、今なんておっしゃいましたの?」
イザベラの声が、一段と低くなる。
サロンの空気が、急激に重苦しくなる。
罠だ。イザベラは私を吊るし上げるつもりだったが、私はあえて彼女の急所を突くことで、このお茶会の目的を『私の精神攻撃』から『我が領地の政策アピール』へと強制的にシフトさせようとしている。
これが、私の戦い方だ。
物理的な防御はドレスが完璧に行ってくれる。精神的な防御は、社畜時代に培った鋼のメンタルが守ってくれる。
「おや、ご気分でも悪くなさいましたか? イザベラ様。お茶会を始める前に、少し『数値的な分析』でも共有できればと思ったのですが。……ああ、もしかして、ご存じないのですか? ガルシア家の今の財務状況について」
私がニッコリと微笑むと、イザベラの取り巻きたちが、不安そうにザワザワと騒ぎ始めた。
さあ、ここからが第19話、私の「プレゼン」の始まりだ。
私はサロンの中央にあるテーブルへと、ゆっくりと歩み寄った。
そこには、王都中の高級菓子店から取り寄せられたであろう、豪華なケーキや紅茶が所狭しと並んでいる。
「ふふ、まあいいでしょう。……まずはこの、香り高い紅茶から頂きますね。皆さまもご一緒に、いかがでしょうか?」
私は周囲の冷ややかな視線を完全にスルーし、優雅にティーカップを手にした。
戦いは、まだ始まったばかり。
私の手首の時計が、静かに時を刻み続けていた。
読んでいただきありがとうございます。
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