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EP 2

出張には『持ち出し制限タイムリミット』がつきものです

 王都行きの準備を進めるにあたり、私はまず【善行通販システム】の利用規約(ヘルプ画面)を隅から隅まで読み直した。

 これまでは公爵領という、私が実質的に支配権を持つ『セーフティエリア』での使用がメインだった。しかし、今回は完全なアウェイである王都の別荘、しかも敵対勢力の本拠地だ。リスクマネジメントの観点から、装備品のスペックと制約を正確に把握しておく必要がある。

「ええと……。『商品利用の制限事項』……なるほど。エリア外、か」

 画面に浮かび上がる赤い注意書き。そこにはこうあった。

『ヴァルトブルク公爵領外でのシステム利用については、公的なセキュリティ・プロトコルが適用されます。領外へ持ち出された通販アイテムは、召喚から三時間経過後に実体を維持できず、自動的にデータへ還元されます。また、エリア外での再召喚には二十四時間のクールダウンが必要となります』

「つまり、お茶会が始まった瞬間から、私の装備は三時間しか持たない……と。なるほど、なかなか厳しい『出張経費』ですね」

 私は納得しつつも、軽く溜め息をついた。これでは長時間の滞在はリスクが高い。しかし、逆に言えば『三時間以内にクレーム対応を完遂し、速やかに退社(撤収)する』という目標が明確になったとも言える。

「さて、コハク。今回の出張の目的は、イザベラ令嬢という名の厄介なクレーマーへの対応と、ガルシア派閥の勢力調査です。私の装備は、防御性能と、かつ相手を威圧しない『地味さ』の二点が重要ですね」

「きゅいん! ボクも準備万端なのですよ、ヒカリ!」

 私の首元に巻き付いて、コハクが頼もしく吠えた。毛並みはいつも通り最高の手触りで、触れているだけで心が落ち着く。神獣という名の最高級ファーを装備している時点で、防御力は十分すぎるかもしれない。

 私はシステムの検索窓にキーワードを打ち込む。

『ドレス 防水 防刃 耐熱 軽量 ステルス 地味 かつ国宝級』

 検索結果に並ぶのは、現代日本の技術の粋を集めた究極のサバイバルアイテムばかりだ。選んだのは、特殊素材で作られたモスグリーンのドレス。見た目は質素な平民風だが、その繊維はナノテクノロジーによって編み込まれ、鋼鉄並みの硬度を持ちながら、シルクのように軽やかだ。さらに、環境に応じて表面温度を調整する自動空調機能、液体を瞬時に弾く超撥水コーティングが施されている。

 一見すれば、田舎の事務員が精一杯おしゃれをした、という感じの「地味なドレス」だが、そのスペックは軍事用防護服にも匹敵する。

「よし、これで採用」

 確定ボタンを押すと、光の粒子が舞い、手元にドレスが現れた。袖を通した瞬間、驚くほどの軽さに感動する。まるで何も着ていないかのような着心地だが、同時に全身を強固な何かに守られている安心感もある。

 準備が整い、荷物を鞄にまとめていると、執務室の扉が静かに開いた。

 現れたのは、急ぎの会議を終えたばかりのアレクセイ様だった。彼の顔には、隠しきれない疲労と、それ以上に深い焦燥が刻まれている。

「……ヒカリ」

 彼は私を視界に収めると、吸い寄せられるように歩み寄ってきた。そして、私の姿を見るなり、その青い瞳をわずかに細め、私の肩にそっと手を置く。

「君が……その格好で、あの別荘へ行くのか」

「ええ、そうです。この服、どうでしょう? 派手すぎず、かといってあまりにボロを着ていても失礼ですから。これくらいが『事務員の出張スタイル』として最適だと思うのですが」

 私はくるりとその場で回ってみせた。地味ではあるが、清潔感があり、動きやすい。社外活動としてこれ以上ないチョイスだ。

 だが、アレクセイ様は困ったような、それでいて何かを耐えるような厳しい表情で私を見つめ続けた。

「……君は、自分の価値を分かっていないのか。その地味な服ですら、君が纏えば、まるで神の庭に咲く花のように見える。……いや、あのような卑しい場所へ、君を出すのが惜しい」

 アレクセイ様の手が、私の頬をゆっくりと撫でる。その指先から伝わる体温は、氷のような彼の性格とは裏腹に、驚くほど熱い。

「アレクセイ様、お褒めいただき光栄です。ですが、これは飽くまで業務です。私の美しさなどはどうでもいいのです。敵対的な顧客イザベラに対し、我が社の『誠実さと揺るがない規律』を提示することこそが、今回の主要タスクなのですから」

「……君は本当に、私の愛を『業務』としか捉えないのだな」

 彼は深く溜め息をついた。その溜め息さえもが、私には『定時後の激務に対する重圧』のように聞こえてしまう。ああ、やはり公爵という立場は過酷だ。トップマネジメントのストレスは、私の想像を絶するものなのだろう。

「お疲れ様です、アレクセイ様。今日という日は、二人とも忙しいですが……お互い、無事に業務を完遂させましょう。私もしっかりと、敵の出方を見極めてきます」

 私は彼を励ますように、精一杯の笑顔を向けた。

 すると、アレクセイ様は私を抱きしめ、その銀色の髪を私の肩に預けた。彼の心臓の鼓動が、私の胸に伝わってくる。

「私は北部の防衛ラインへ向かう。会議の内容は……酷く不穏だ。魔獣の動向が、明らかに人為的に制御されている形跡がある」

 アレクセイ様の言葉に、私のビジネススイッチが入った。

「人為的、ですか?」

「ああ。……つまり、私が君を守りに行くのが遅れる可能性がある。だから、これを君に預けたい」

 アレクセイ様は懐から、一輪の青いバラのブローチを取り出した。それは、氷の結晶で形作られたかのような、繊細で美しい魔道具だった。

「これは我が公爵家に伝わる魔道具だ。これを身につけていれば、半径五メートル以内の敵意を感知し、君の周囲に絶対零度の結界を張る。……万が一の時、君を傷つけるあらゆるものを拒絶しろ。君が安全であること、それだけが私の生きる意味だ」

「そんな重要なものを……! ですが、これは公爵家の家宝なのでは?」

「……いいんだ。君が失われることに比べれば、家宝などただの石ころだ」

 彼は私の胸元に、丁寧にブローチを留めてくれた。その指先が触れるたびに、私の肌が熱くなる。……この魔道具、相当に高性能なセキュリティデバイスのようだ。これで三時間の持ち出し制限のカバーも完璧かもしれない。

「……ヒカリ。一つだけ聞かせてくれ。お茶会が終わったあと、君は本当に真っ直ぐ、私のところへ戻ってくれるか」

 アレクセイ様が、私の瞳を射抜くような強い視線で問いかけた。

「もちろんです。直帰します。残業(長居)するつもりはありません」

「……そうか。それならいい」

 彼はふっと笑い、私の額に再び優しくキスを落とした。

 彼の独占欲は、公爵として、そして一人の男性として、私の安全を確保するための『厳重なセキュリティ対策』なのだと、私は勝手に解釈している。

 アレクセイ様が去った後、私は馬車へと乗り込んだ。

 いよいよ、ガルシア派閥との直接対決だ。

「さあ、コハク。タイムリミットまで三時間。サクッと仕事を終わらせて、定時で帰りましょう!」

「きゅいん! お手並み拝見なのですよ!」

 馬車はカタカタと音を立て、霧が立ち込める王都の街並みへと消えていく。

 窓から見える王都の景色は、辺境の領地とは異なり、華やかだがどこか空気が重苦しい。それはまるで、これから対峙する貴族たちの、ドロドロとした欲望そのものを映し出しているようだった。

 私の左手首に巻かれた魔導時計の針が、着実に時間を刻んでいる。

 敵陣の門が、目の前に迫っていた。

「さあ、ご挨拶といきましょうか。我が社を貶めようとするクレーマーに、最高の『反論』を」

 馬車が止まり、私は深呼吸をして扉を開けた。

 そこには、私の行く手を阻むようにして、最高に傲慢な笑みを浮かべたメイドたちが待ち構えていた。

 

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