EP 12
真のホワイト企業は『社員食堂』が命です! 〜異世界にランチ革命を起こしたら、公爵様が胃袋ごと陥落しました〜
元婚約者であるエドワードが『物理的に凍結』され、地下牢へ連行されてから数日が経過した。
バルトア伯爵家の没落と領地の接収手続きという面倒な事後処理も、『魔法のシャチハタ』と『5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)』が徹底された現在のヴァルトブルク公爵領の事務処理能力をもってすれば、あっという間に片付いてしまった。
行政棟は今や、王都の王宮よりも遥かに効率的に回る、世界最強の『超ホワイトバックオフィス』へと進化を遂げつつある。
しかし、筆頭政務補佐官である私の目には、まだ見過ごせない『重大な労働環境の欠陥』が映っていた。
「……ギデオン長官。皆さんが今食べているそれは、まさか『昼食』ですか?」
お昼休み。リフレッシュルームのテーブルで、ギデオンをはじめとする文官たちが齧り付いていたもの。
それは、石のように硬い黒パンと、具がほとんど入っていない薄い塩味の冷めたスープだった。
「はい、ヒカリ様。我々文官は忙しいので、昼食は手早く腹を満たせる保存食が基本です。咀嚼に時間はかかりますが、顎を動かすと眠気覚ましにもなりますし」
「言語道断です!!」
私の叫びに、黒パンを齧っていた文官たちがビクッと肩を揺らした。
「いいですか! 午後のパフォーマンスを高く維持するためには、美味しくて温かい食事による『脳への栄養補給』と『精神的なリフレッシュ』が不可欠です! そんな木片みたいなパンで、最高の仕事ができるわけがありません!」
前世のブラック企業時代、忙しさにかまけてカロリーメイトとエナジードリンクだけで数日を過ごし、胃潰瘍で倒れた同僚を私は何人も見てきた。
真のホワイト企業たるもの、社員の健康管理(胃袋の掌握)は最重要課題である。
「ヒ、ヒカリ様。しかし、五百人近い文官や騎士たちに、毎日温かい食事を提供するとなれば、膨大な数の料理人と予算が必要になります。我が領地にはそこまでの余裕は……」
「予算と料理人の問題なら、私が全て解決します! 今日からこの行政棟に『社員食堂』を設立しますよ!」
私はギデオンたちをその場に残し、公爵の執務室へと駆け込んだ。
「アレクセイ様! 行政棟の裏庭に、プレハブの『社員食堂』を建設する許可をください!」
「……ヒカリ? プレハブとは何かわからないが、君がやりたいと言うなら好きにするといい。必要な予算は全て君に一任しているからな」
書類仕事の手を止め、アレクセイ様は優しく微笑んで即答してくれた。相変わらず、私に対する決裁のスピードが異常に速い(しかもノータイム承認だ)。
「ありがとうございます! 今日のランチから早速稼働させますから、アレクセイ様も後で裏庭に来てくださいね!」
私は急いで裏庭に向かうと、誰もいない広場の中央で【善行通販システム】を展開した。
バルトア伯爵領の接収処理を異常なスピードで終わらせたことで、領民たちからの『感謝ポイント』が大量に入り、現在の残高はなんと百万ポイントを突破している。ここが使い時だ。
【魔法拡張型・大型プレハブ食堂(厨房設備・テーブル500席完備):50,000P】
【魔導・超大型自動炊飯器(100升炊き)×2:10,000P】
【業務用・特製カツカレー500人前セット(揚げたてトンカツ・秘伝のルー・福神漬け付き):30,000P】
合計9万ポイントを消費。
地響きと共に、広場に巨大で清潔感のある白い建物がドカンと出現した。
中に入ると、ステンレスでピカピカに輝く広大な厨房と、ずらりと並んだテーブル席。私はすぐに厨房へ入り、巨大な魔導コンロに火を入れ、システムから届いた寸胴鍋の『秘伝のカレールー』を温め始めた。
「主! なんかヤバいくらい美味しそうな匂いがする! うち、お腹すいた!」
子狐モードのコハクが、尻尾をブンブン振りながら足元にまとわりついてくる。
「コハクは味見係ね。ほら、少しだけよ」
「はふっ、あむあむ……んんんん〜〜〜っ! 辛い! でも甘い! 旨味が爆発してる! 主、これ悪魔の食べ物!」
グツグツと煮込まれるスパイシーなカレーの香りは、厨房用の換気扇を通って、行政棟全体へと容赦なく拡散されていった。
クミン、コリアンダー、ガラムマサラ。異世界には存在しない、脳髄を直接刺激する複雑で暴力的なスパイスの香り。
ダダダダダダダッ!!
数分後。地鳴りのような足音が響き、食堂の扉がバンッ! と勢いよく開け放たれた。
「な、なんだこの狂おしいほどに食欲をそそる香りはぁぁっ!」
「胃袋が……俺の胃袋が悲鳴を上げている! 早く、その香りの元を口に入れさせてくれ!」
ギデオンを先頭に、目を血走らせた文官たちと、匂いに釣られて訓練場から飛んできたクラウス率いる騎士団の面々が、ゾンビの群れのように食堂へと雪崩れ込んできた。
「皆さん、一列に並んでください! 今日のランチは『カツカレー』です!」
私はトレイを持った彼らの皿に、魔導炊飯器で炊き上げたツヤツヤの白いご飯を盛り、分厚いサクサクのトンカツを乗せ、その上から熱々のカレールーをたっぷりとかけた。最後に赤い福神漬けを添えて完成だ。
「さあ、冷めないうちにどうぞ!」
「い、いただきますっ!」
一口食べた瞬間、全員の動きがピタリと止まった。
「――っ!!!」
「サクッとした肉の脂と、この複雑で辛味のあるソースが……ご、ご飯と絶望的なまでに合う!」
「美味い……美味すぎる! 黒パンと塩スープの人生には、もう二度と戻れないっ!」
「おかわり! ヒカリ様、おかわりをお願いします!」
食堂のあちこちで、歓喜の雄叫びと、スプーンが皿に当たるカチャカチャという音だけが猛然と響き渡る。
その熱狂の中、食堂の入り口にアレクセイ様が静かに姿を現した。
「……ヒカリ。この暴動のような騒ぎと、凄まじく良い匂いは一体なんだ?」
「アレクセイ様! お待ちしていました。公爵様には、特別に大盛りの『特製カツカレー』をご用意していますよ」
私が湯気を立てるカツカレーをテーブルに置くと、アレクセイ様はゴクリと喉を鳴らした。
彼はスプーンを手に取り、カレーをたっぷりと絡めたトンカツとご飯を一緒にすくい上げ、口に運ぶ。
「…………」
アレクセイ様は青い瞳を限界まで見開き、時が止まったように硬直した。
「……辛い。だが、その奥に野菜と肉の深い甘みがある。そしてこの『トンカツ』という料理の暴力的なまでの旨味を、このソース(カレー)が完璧にまとめ上げている。……美味い。いや、美味いなどという陳腐な言葉では表現できない」
あの氷の魔王と恐れられる公爵様が、無言で、一心不乱にカツカレーを口に運び続けている。
あっという間に大盛りの皿を平らげたアレクセイ様は、ほうっと熱い息を吐き出し、蕩けるような熱を帯びた目で私を見つめた。
「ヒカリ。君は私の執務環境だけでなく、胃袋まで完全に支配するつもりか」
「えっ? あ、いえ、社員の健康管理は福利厚生の一環ですので! 美味しいご飯を食べれば、午後からの仕事も頑張れるでしょう?」
「……ああ。君が毎日この食事を作ってくれるのなら、私はどんな過酷な仕事でも乗り越えられる気がする」
アレクセイ様は私の手を取り、その指先にそっと唇を落とした。
「君を絶対に手放さないと誓ったが……もはや、君のいない人生など想像すらできない。私の生涯をかけて、君を幸せにすると約束しよう」
(ええっ!? 社員食堂を作っただけで、なんで生涯の誓いみたいな重い話になってるの!?)
あまりの溺愛っぷりに私の脳はパニックを起こしかけていたが、周囲の文官や騎士たちは「ヒカリ様、万歳!」「公爵夫人、万歳!」と、カレーのおかわりを要求しながら謎のコールを起こしている。
「ち、違います! 私はただの事務員ですからね!」
私の悲鳴にも似た抗議は、五百人の男たちの歓声と、スパイシーなカレーの香りの中に虚しく溶けていった。
かくして、ヴァルトブルク公爵領の『社員食堂』は初日から伝説となり、私は公爵様と全職員の胃袋を完全に掌握してしまったのである。
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