EP 11
元婚約者が「俺の領地に戻れ!」と命令してきましたが、氷の公爵様が黙っていませんでした。〜絶対零度の威圧で物理的に凍結処分〜
「ヒ、ヒカリ……!? なぜ、お前がこんなところにいるんだ!」
行政棟のリフレッシュルームに響き渡った、エドワードの間の抜けた声。
先ほどまでの傲慢な態度はどこへやら、彼は床にへたり込んだまま、信じられないものを見るような目で私を指差していた。
「お久しぶりですね、エドワード様。なぜここにいるかと問われれば、バルトア伯爵家を解雇(追放)された後、こちらのヴァルトブルク公爵家に再就職したからです」
私は手に持っていたマグカップをテーブルに置き、静かに答えた。
私の横では、アレクセイ様がスッと目を細め、不機嫌そうにエドワードを見下ろしている。
「嘘だ……! お前のような地味で無能な女が、公爵家に雇われるはずがない! それに、私が探しているのはこの領地を立て直した『実務の聖女』だ! お前ではない!」
「無礼者ッ!!」
エドワードの叫びを遮ったのは、マッサージチェアから立ち上がったギデオン長官の怒号だった。
「ヒカリ様を無能呼ばわりするなど、我が公爵領の全職員を愚弄するに等しい暴言! 彼女こそが、我が領地に革命をもたらした『実務の聖女』その人である!」
「なっ……!?」
ギデオン長官の言葉に、他の文官たちも次々と立ち上がり、エドワードに対して敵意をむき出しにした。
「そうだ! ヒカリ様を愚弄することは許さん!」
「さっさと出て行け、この無礼な田舎貴族め!」
周囲の冷ややかな視線と敵意に晒され、エドワードはパクパクと口を動かした。
彼の貧困な想像力では、自分が追い出した「都合の良い事務員」が、他国で英雄扱いされているという事実を処理しきれないのだろう。
しかし、数秒の硬直の後、エドワードの顔にパァッと歪んだ歓喜の色が浮かんだ。
「そ、そうか……! お前が聖女だったのか! はははっ、素晴らしい! 灯台下暗しとはこのことだ!」
エドワードはふらつきながら立ち上がると、まるで狂人のような笑みを浮かべて私に歩み寄ってきた。
「ヒカリ! 私の元へ戻ってこい! お前がいないせいで、領地は少しばかり混乱していてな。だが、お前が戻ってこれば全て解決する! 特別に、お前を正妻として迎えてやってもいいぞ!」
その言葉に、フロアの空気が文字通り『凍りついた』。
文官たちはポカンと口を開け、信じられない馬鹿を見る目でエドワードを見つめている。
「……お断りします」
私は冷たく言い放った。
「私はすでにバルトア家から不当解雇された身です。引き継ぎ資料も全てご自身で燃やされたと聞いています。すでに債務不履行に陥っている破綻寸前の領地に、何の対価もなしに転職される義理はありません」
「な、なんだと!? この私からの慈悲深い提案を断るというのか!」
エドワードは顔を真っ赤にして激昂した。
「たかが平民の分際で、貴族たる私の命令に逆らう気か! お前は私の所有物だ! 言うことを聞かないなら、力ずくで連れて帰るまでだ!」
エドワードが腰に提げていた護身用の剣に手をかけ、私に向かって一歩踏み出した――その瞬間。
ピキィィィィンッ!!
「……ひっ!?」
エドワードの悲鳴。
彼が踏み出した足元の床が、瞬時にして分厚い氷に覆われ、彼の両足を膝下まで完全に拘束したのだ。
「――私の領地で、私の大切な筆頭政務補佐官に剣を向けるとは。随分と命知らずな男だな」
絶対零度の声。
私の前にスッと立ち塞がったのは、アレクセイ様だった。
彼の青い瞳は、まるで極北の吹雪のように冷酷な光を放ち、全身から圧倒的な魔力と殺気が立ち昇っている。その威圧感たるや、息をするのすら苦しくなるほどだ。
「こ、公爵……閣下……!?」
「貴様がバルトア伯爵家の馬鹿息子か。ヒカリから話は聞いている。彼女の功績を不当に奪い、無一文で雪原に放り出したという、万死に値する愚か者だとな」
アレクセイ様が一歩近づくごとに、床の氷がメキメキと音を立てて広がり、エドワードの顔色は土気色に変わっていく。
「ひ、ひぃぃっ! お、お許しを! 私はただ、婚約者を迎えに……!」
「婚約者だと? ふざけるな」
アレクセイ様は低い声で吐き捨てるように言った。
「彼女は私のものだ。私の領地の至宝であり、私が生涯をかけて守り抜くと誓った女性だ。貴様のようなゴミ虫が、二度とその口に彼女の名前を出すな」
その宣言に、私は顔から火が出るほど赤面してしまった。
(「私のもの」って! そ、それはあくまで「優秀な部下として」という意味ですよね!? そうですよね!?)
相変わらずのブラック企業出身ゆえの悲しい勘違いを発動している私をよそに、アレクセイ様の処断は迅速だった。
「クラウス! この男を地下牢へ放り込め。不法侵入および、公爵家筆頭政務補佐官への傷害未遂だ。……バルトア伯爵家には、我がヴァルトブルク公爵家に対する重大な侮辱として、正式な抗議と莫大な賠償金を請求する」
「ハッ! 直ちに!」
待機していた騎士団長のクラウスが、青ざめてガタガタと震えるエドワードの首根っこを掴む。
「ま、待ってくれ! 賠償金など払えるわけが……領地はもう金が……いやだ、地下牢など! ヒカリ、助けてくれ! ヒカリィィィッ!」
情けない悲鳴を上げながら、エドワードはずるずると引きずられていき、やがてその声も聞こえなくなった。
これで、バルトア伯爵家は完全に終わりだろう。公爵家からの賠償金請求が決定打となり、領地は王家に没収され、エドワードは投獄されるか平民として路頭に迷うことになるはずだ。
まさに、自業自得である。
「……すまない、ヒカリ。怖い思いをさせたな」
エドワードの姿が見えなくなった瞬間、アレクセイ様が振り返った。
先ほどまでの吹雪のような殺気は嘘のように消え失せ、そこには心配そうに私を見つめる、甘く優しい瞳があった。
「あ、いえ。私は全く怖くありませんでした。アレクセイ様が守ってくださると分かっていましたから」
「そうか……。君にそう言ってもらえると、少し救われる思いだ」
アレクセイ様はホッとしたように微笑むと、私の冷えた手をそっと両手で包み込んだ。
「君の淹れてくれたコーヒーが冷めてしまうな。もう一杯、付き合ってくれるか?」
「はい、もちろんです! 今度は少し甘めのお茶菓子も出しますね」
私たちが和やかに会話を再開したのを見て、周囲の文官たちは顔を見合わせた。
「……なぁ。閣下、ヒカリ様に対する声のトーンが、先ほどと五オクターブくらい違わなかったか?」
「触れるな。我々はただ、あの二人の邪魔をしないように、粛々と書類を裁くのだ……」
「そうだな。おのれ、バルトア伯爵家の馬鹿息子め、我々の貴重な休憩時間を台無しにしおって……」
かくして、過去のしがらみ(元婚約者)は物理的かつ法的に完全排除された。
不安要素が一切なくなった私は、アレクセイ様という最強の盾(と激重の愛情)に守られながら、ヴァルトブルク公爵領のさらなるホワイト化と領地改革へ向けて、アクセルを全開に踏み込んでいくのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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