09. 散歩
八歳になった。
今日は俺の思いつきで、領都の市街地へと足を運んでいる。
名目は領地視察だが、本音はただの買い食いと息抜きだ。
俺の少し後ろをトコトコと歩くシルヴィア。
それにアンリエットと一人の騎士が付いている。
従者を三人も連れている上、外出すると聞いたアンリエットがやたら気合を入れておめかししてくれたおかげで、俺の姿は「ここに貴族の娘が居ますよ!」と大声で喧伝しているような状態になっている。
「やたら悪目立ちしているじゃないか。だから俺は地味な服でいいと言ったんだ」
「あらあら、貴族の子女が人前で着飾るのは義務みたいなものですわよ」
やけにひらひらしたフリルがあしらわれた豪奢なドレスを着る俺は、その窮屈さにうんざりしていた。
かつてサラリーマンをしていたとき、俺はスーツが苦手だった。
スーツを着たくないが為に私服OKの会社に転職した経験があるほどだ。
だというのに、転生した先でも着る服に困らされるとは……。
豪華な服って着るまでが大変で疲れるんだよ。
しかも、自分で着て初めて知ったけど、女のドレスって結構重い。
「ちょっと散歩するだけでこれはやりすぎだ。もっと楽な格好でいいだろ」
「おや? 旦那様には視察に出るからと外出の許可をいただいていたと記憶しておりますが?」
「ぐっ……」
おっとりしているが、アンリエットは抜け目がない。
言い訳の余地がなく、俺は黙り込むしかなかった。
もういいよ、我慢するから……。
精々買い食いで汚れた服を見て、着せたことを後悔することだ!
そんなわけで、俺はデロンデロンにタレをぶっかけられた串焼きを購入した。
お値段は銅貨三枚。
日本円換算だとたぶん三百円くらいだろう。
ヴァルトハイムの通貨は結構種類がある。
鉄貨、銅貨、銀貨、白金貨、小金貨、大金貨。
鉄貨 → 十円
銅貨 → 百円
銀貨 → 千円
白金貨 → 一万円
小金貨 → 十万円
大金貨 → 五十万円
以上が俺調べのザックリ換算だ。
「ほら、シルヴィア。食ってみろ」
「……ありがとうございます」
屋台で買った肉汁たっぷりの串焼きを手渡すと、シルヴィアは両手でそれを受け取り、小さく口へ運んだ。
モグモグと咀嚼するにつれて、口元が綻んでいく。
美味しいものを食べて喜ぶ顔は、年相応の少女そのものだった。最初の頃の無表情が嘘のように、表情が豊かになったと思う。あくまで当社比レベルだが。
「どうだ、美味いか?」
「はい……」
コクコク頷くシルヴィアを見て、俺も串焼きにかぶりつく。
「うぉっ! うめぇ!」
これならシルヴィアに毒見なんてさせずに二本とも俺が食っちまえば良かったぜ。
別に、シルヴィアと一緒に食べたかったわけじゃないんだからねっ!
「あらあら、お嬢様ったら。もう少しシルヴィアを見習って上品に食べませんと」
「なんだと!? 俺の方がコイツより食うのが下手だって言いたいのか?」
「ベルベット様、服、べちょべちょ……」
シルヴィアに指摘されて確認したら、胸元のリボンにべっとり串焼きのタレが落ちていた。
べ、別に、わざとだし……。
最初っから汚す気満々だったし!
「うっさいなぁ! 良いんだよ、服なんて洗えば!」
◆ シルヴィア
ベルベット様に連れられて久しぶりに外に出た。
かつて暮らしていた王都の町ほどではないが、カースナー領の領都は人が多くて良く栄えている。
見たことがない街並みに、私は内心ワクワクしていた。
本当は、この街の景色を初めて見たというわけでもない。
王都から、奴隷としてこのカースナー領に連れて来られた時に、少しくらいはこの町の景色を見ることもあったはずだ。それに、奴隷商館からベルベット様の屋敷に連れて行ってもらった時も。
ただ、どちらも外の景色を楽しむ気分ではなかったから、街並みなんて何も覚えていない。
こうして、鎖をはめられず外を歩けるようになるなんて……。
私は、改めの今の境遇に不思議な気持ちになっていた。
そんな時――突然に冷たい風が吹き込む。
「なんか、寒くなって来たな」
ベルベット様が肌寒さを誤魔化すように二の腕を手で摩る。
「急に冷え込んだから、ションベンがしたくなってきた……」
「お嬢様ったら――」
「へいへい。お花を摘みに行きたいから、そろそろ帰りましょうや」
いつも通りの二人のやり取り。
でも、なんでか私は胸の奥がざわざわとしていた。
なぜか、ボーッとしてしまう。
気付くと、私は立ち止まって一人になっている。
慌てて周囲を見渡すと、ベルベット様たちの背中が少し先で人混みに紛れていくのが見えた。
慌てて後を追おうとしたとき、私の肩が掴まれる。
「おい、ちょっと待て。お前……」
どこかで聞き覚えのある、低くて濁った男の声。
全身の血が凍りつき、心臓が嫌な音を立てて早鐘を打つ。
恐る恐る振り返ると、そこには薄汚れた外套を羽織り、無精髭を生やした男が立っていた。
その顔を見た瞬間、私の視界がぐにゃりと歪んだ。
「やっぱりそうだ……お前、ククルゥじゃないか!」
――ククルゥ。
その名前を呼ばれた瞬間、塞いでいたはずの記憶の蓋が無理やり抉り開けられた。




