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TS令嬢、悪役ムーブで人生を謳歌したい  作者: 真嶋 青
第一章

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10/30

10. 私の名前は――

『すまないダズル! どうしても店を続けるために金が必要なんだ! 俺には頼れる当てがお前しかいない! だから……っ!』

『オルトン、頭を上げてくれ。ククルゥが見てる』


 夜遅い時間に家にやってきて、父に土下座をする男を見た。

 オルトンと呼ばれるその人は、度々私の家にやってきて父とお酒を飲む気の良い人物だった。

 父の幼馴染で、我が家と同じく小さな商店を営む人だという。

 幼い頃、私の遊び相手にもなってくれたのも覚えてる。

 

『あなた……いくらなんでも連帯保証人なんて』

『大丈夫。オルトンとは長い付き合いだ。コイツは人を裏切るような奴じゃない』

『私だってオルトンさんのことは信じてるけど、万が一のことがあったら……』

『大丈夫。コイツなら金さえあれば自力でなんとかするさ』


 いつも優しい母が珍しく厳しい顔をしてた。

 だが、父の決断は揺らがなかった。

 

 その数週間後、オルトンは王都から姿を眩ませる。

 そして、私たち一家は崩壊した――。


 当時の私には連帯保証人という言葉の意味がわからなかったが、後々、その言葉の意味はベルベット様の授業の中で知ることになった。

 


 人の行き交う領都の市街地の真ん中。

 平然とした顔で私の前に立つオルトンの姿に、吐き気を覚える。

 不気味なくらい楽しそうな笑顔を浮かべ、黄ばんだ歯が見えた。


「久しぶりじゃないかククルゥ! 大きくなったなぁ。立派になって! そんな良い服を着て、今は何をしてるんだ? まさか、ダズルの店が大きくなったのか? いや、でも、なんでカースナー領に? ああ、そうか! 王都から分店でも出すのか! すごいなぁ、そんなにダズルの店は調子が良いんだな!」


 ベラベラと一人でに喋り続ける男の姿は、私の家に上がり込んで父と酒を飲んでいた頃のままだった。


「それにしても本当に立派になったな。随分と顔立ちがクトリに似てきた! お前の母さんも美人だからなぁ。きっと、お前も大人になったらあんな風に綺麗になるぞぉ!」

 

 よく口の回ることだ。

 借金を押し付けた家の娘を前にして。

 

 ダズル、クトリ。

 久しぶりに聞いた両親の名前だ。

 二人の顔を思い出して、胸の内側を掻きむしられる痛みを覚えた。


 忘れかけていた腐臭が風に乗ってやってくる。

 そんなはずがないのに。

 私の体、記憶の奥底に刻まれた闇が、

 五感全てにあの檻の生活を思い出させる。


「なんであなたが……」


 ようやく出た言葉は素朴な疑問だった。

 

「俺か? 俺の方も……ちょっと、色々あってな。王都の商売で失敗してから、あの場所に居づらくなって。今はこっちで仕事をしてるんだよ。ああ、でも今は俺のことなんかより、ダズルたちのことを教えてくれよ。儲かってるのか? 俺が任せちまった借金の返済は済んだのか? お前がそんな格好してるってことは、結構金があるんだろ? なぁ?」


 嬉々とした顔を私に近づけるオルトンに、えも言われぬ不快感が積もっていく。

 

 顔にかかる溝川みたいな息の臭いも、

 手入れのされていない汚らしい髭も、

 濁り切った目の色も。


「なんか言ってくれよククルゥ。もしかして、久しぶりに俺に会えてそんなに嬉しいのか?」

 

 無神経な言葉も、

 

 私の肩に触れる手の感触も、

 

 何もかもが、


 気持ち悪い!


「私に触るな!」

 

 気づけば自分のものとは思えないドス黒い感情に塗れた叫び声を上げていた。

 そして、いつまでも私の肩を掴んでいたオルトンの手を払い除ける。


「な、なんだよ。そんな怖い顔して……。ほ、ほら、周りの人も驚いてる」

「黙れクズ! お前が私に気安く話しかけるな!」


 長らくこんな大きな声を出していなかったら、喉に張り裂けそうな痛みが走る。

 

「私たち家族にあんなことをしておいて! よくもそんな顔をしていられる!」

「借金のことは……悪かったよ。で、でも俺も困ってたんだ」


 悪かった?

 困ってた?

 なんだそれは?

 コイツはそんな言葉だけで自分の罪を流そうとしているのか?


「ダズルたちにも謝るよ。だからほら、アイツらのところへ連れてってくれ。ちょっとまたお願いしたいこともあるんだ。へ、へへへっ」

「………………お父さんたちのところへ…………連れてって?」

「そうそう。久しぶりにアイツと酒でも飲んで――」

 

 目の前の男の言葉は、途中から耳に入ってこなくなる。

 それから、頭の中でドカンッ! と爆発音が鳴った。








 

 ああ。





 

 

 ■そう。








 

「はい、ストップ」


 

 ◆ ベルベット


 いつの間にか隣にいたはずのシルヴィアが居ない。

 遅れて気づき、慌てて元きた道へ引き返した。

 

 それほど時間をかけることもなく、すぐに彼女の姿を見つけることができた。

 そこにはシルヴィアに親しげな顔で話かける小汚いオッサンもいる。

 

「あらあら、知り合いかしら」


 嬉しそうな顔で話す男に悪意はない。

 再会した知人と喋っているような軽快さがある。

 アンリエットは平和な想像をしたようだが、俺にはそうとは思えない。

 

 あの男と相対するシルヴィアの様子がおかしい。

 俺たちに背を向けるシルヴィアの顔は見えない。

 だが、俺には彼女の体から湧き立つ負の感情が見てとれた。


 怒りと絶望をない混ぜにした混沌たる闇。

 そんなものを携えて、ただ立ち尽くすしかない人間の姿。

 そんなシルヴィアの姿に何故か見覚えがあった。

 

 ――昔々、あるところに、愛する女に騙されたバカな男がおってな。

 

 俺の頭の中におかしなモノローグが流れる。


「ウルセェなぁ」

「……お嬢様? どうなさいました?」


 ひとりでに呟く俺を心配して、アンリエットが顔を寄せる。

 

「なんでもない」

 

 もうそれは済んだ話だ。

 その愚かな男はとっくに死んだ。

 めでたしめでたしだ、このコノヤロー。


「ベルベット様、いかがしましょう?」


 側に控えていた騎士の男が屈んで俺の耳元で伺い立てる。


「ここで待っとけ」

「お、お嬢様おひとりでは」

「良いから待ってろ。アンリエットもだ」


 そして俺がシルヴィアの背後に立つと同時。

 シルヴィアが男に飛びかかろうとする寸前で、彼女のスカートを下から両手で払い上げてやった。


「はい、ストップ」


 バサァ! とスカートが巻き上がり「へぇぁっ?」と間抜けなシルヴィアの声が漏れる。


 白ですか。


 一瞬の静寂。

 

 そして――。


「ななななななにっ!?」

 

 遅れてスカートを押さえつけるシルヴィアが慌てて俺がいる方へ振り向いた。


「何じゃねぇよ。勝手にほっつき歩きやがって」

「ベルベット様……」

「ご主人様にお迎えさせるとは良い度胸だ。帰ったら説教してやる」

「ご、ごめんなさい」


 感情の爆発と同時に水を差されたシルヴィアから、フシューと音を立てて気が抜けていくのが見えた。


「それで、これは誰さん?」

「こ、この人は……」


 口をモゴモゴさせるシルヴィア。

 彼女から答えが出る前に、汚いオッサンがやたら馴れ馴れしく俺に喋りかけた。


「立派な格好のお嬢さんだねぇ! もしかして君も商人の家の子かな? ククルゥのお友達かい? でもいけないなぁ。大切な友達にそんな悪戯をして」


 子供を窘める口調。

 貴族相手によくそんな口を叩けるもんだと感心する。


「ククルゥ? 誰だそれ?」

「え? 誰って、目の前にいるその子が――」

「知らねぇなぁ。コイツはシルヴィア。我がカースナー公爵家で使用人をしている駄メイドだ」

「はぁ? 何を……バカ、な…………」


 遅れて、俺の後方に立つ騎士の姿を見つけたらしい。

 騎士は何かあれば今にも腰に吊るした剣を抜き放ちそうな雰囲気を醸し出している。

 それに気づいて、男が口を開けたまま固まった。


「……こっっ、こう、しゃく、け?」


 カチコチに緊張した声で俺の言葉を復唱し、ゆっくりと顔色を変えていく。

 青から白く、そして、土気色に。


「たっ、大変、失礼しました!」


 普通は俺の格好を見ただけでも貴族であることくらいわかりそうなものだが、このバカはようやっと自分が誰に馴れ馴れしく話しかけてしまったのかを理解したらしい。

 その場に平伏して、ブルブルと身を震わせた。


「オイオイオイ」

「死ぬわアイツ」


 気付けば周囲を歩いていた平民たちがこちらの様子を遠巻きに見守っている。


 すげぇー、今のセリフ、本当に言ってるの初めて聞いた!

 

 貴族の子女に平民がタメ口で話しかけるなんてのはとんでもないことだ。

 だがまぁ、よく考えればこんな市街地をブラブラしている公爵令嬢というのも珍しいものだろう。

 この辺の人間は時たま外に出る俺を見かけて顔を覚えているが、流れ者なら俺を知らずとも無理はない。

 情状酌量の余地あり、ということで、軽く頭を踏むに留めてやろう。


「オラッ、クソ平民、何ウチのメイドにセクハラしてんだ? おん?」

「ち、ちちちちちち、違うんです! そ、その子は知り合いで!」


 グリグリと足の裏を後頭部に擦り付けてやると、男は「たっ、助けてくれククルゥ!」と叫ぶ。


「お〜い、ククルゥさ〜ん? どこですか〜? あなたの知り合いが助けを呼んでますよ〜」


 シルヴィアを見てそんなことを言ってやると、彼女は俺からサッと目を逸らした。

 あ、ひでぇなコイツ。


「ま、いいや。今回はこれで許してやるよ」


 足をどけた瞬間、男はゴキブリのように這って俺から距離を取る。


「ありがとうございます! ありがとうございます!」


 平身低頭したまま震え続ける男は、そのまま体を這いずらせて逃げようとするが、俺はそこまで許した気はない。

 

「ちょっと待てコラ。話はまだ終わってねぇぞ」

「ヒィィィィィッ」


 首を締め上げられた鶏みたいな声が漏れる。

 幼女相手に大袈裟な、と思うかもしれないが、これがこの世界における公爵令嬢という地位が持つ権力の成せる技だ。


 どうだ参ったか?

 ハッハッハ!


「で、シルヴィアさんや? コイツはお前を知り合いだとか言っていたわけだが、どうなんだ? 俺は自分の所有物であるところのお前に、許可もなく勝手に触ったアホへ天誅を喰らわせてやろうと息巻いて来ちまったんだが。本当にお前の知り合いなら、これで解放してやらんこともない」

「知り合いじゃ、なかったら……?」

「う〜ん。貴族のモノに勝手に触ったわけだしなぁ。やっぱ死刑にでもするか?」


 なんて、マジで死刑になんてできるわけないけど。

 王族相手なら不敬罪が適用される事案かもしれないが、公爵家とはいえ一貴族家の子女には流石にそこまでの権限なんてない。

 奴隷商館のときは、明確に敵意を持って俺に襲い掛かって来た男どもを相手に正当防衛(詭弁)したにすぎない。

 だが、平民からすれば貴族っていうのは理不尽な権力を持つ化け物に思えることだろう。

 目の前の男になら効果は抜群だ。

 

「それだけは、それだけはぁ! 頼むよククルゥ、オジサンを助けてくれ! 昔はよく遊んでやっただろう! なぁ!」

 

 必死の形相でシルヴィアの足に縋りつこうとした寸前で、男の手が止まる。

 見上げた先の彼女の瞳が、あまりにも冷たいことに気づいたのだ。


 すんげぇ目。

 怖や怖や……。


「私を、二度とククルゥと呼ばないで」

「な、なんで……」

「もう、その娘は死んだから。愚かな父が母娘を道連れに奴隷へと身を堕とし、家族諸共に破滅した。ダズルも、クトリも、ククルゥも、檻の中で死んだ哀れな奴隷の名よ」


 少女の口から発せられたものとは思えぬ酷薄な言葉を受け、男は目を見開いたまま息を止めた。

 

「それで良いんだな? シルヴィア?」

「はい。私は、ベルベット様のシルヴィアです。……ただ」

「ただ?」

「この男のことは、見逃していただきたい、です」


 ほ~ん。


「なんで?」

「…………生きていて、欲しいから」

「意外だな。お前はさっき、コイツを殺そうと考えていた。違うか?」

 

 俺の言葉を耳にして、男が愕然とした顔でシルヴィアを見上げる。

 しかし、そんな男を彼女は意にも介さない。


「……違いません」

「なら、どうして今は真逆のことを言っている?」


 彼女の答えを聞いてみたい。

 ただ純粋にそう思った。


 暫しの沈黙が落ち――やがて、シルヴィアは美しい微笑みを浮かべる。


「私は、死が救いだと知っているからです」


 とても穏やかな声の中に、俺ですら見たことのない、深い深い、底なしの闇があった。


「三人の親子を殺した十字架を背負い、この男には死ぬまで後悔して生きて欲しい。夜も(うな)されて、あらゆる苦しみの果てに死んでほしい。だから、今は生きて欲しい」


 ジッとシルヴィアの目を見つめる。

 彼女は目を逸らすことなく、俺を見返した。

 考えてみると、こんなに長く彼女と目が合うのは初めてのことかもしれない。

 黒く濁って、とても()()()目だった。


「よし。気に入った」


 そして、俺は男に歩み寄る。

 その顔は得体のしれない恐怖に怯えて歪んでいた。


 ああ、良い顔だ。

 もっと俺を、俺たちを恐れろ。

 

「運が良かったなオッサン。今日の俺は機嫌が良い。もう帰って良いぞ」


 あえて笑いかけてやると、男は脱兎のごとく走り去った。

 途中盛大にズッコケて顔を地面にぶつけていたが、それでも止まることなく走り去る。

 その姿を、俺とシルヴィアは黙って見送った。

 


 ◆ シルヴィア


 オルトンの背中が見えなくなると、ベルベット様が私を見上げてご機嫌そうに言う。


「今日は中々に(たの)しめた。帰るぞ」

「はい。ベルベット様」


 この人は歪んでいる。

 人の命を容易く奪い、そして拾い上げる。

 悪魔のような、それでいて、天使のようでもある御方だ。


 でも、どんな人だって関係ない。


 この人は、私をあの檻から解放してくれた。

 その事実だけで十分だ。

 

「ほらよ」


 彼女は私に小さな手を差し出した。


「えっと……?」

「手を繋いで帰るんだよ。お前は少し目を離すと迷子になるらしいからな」

 

 不貞腐れた顔でそう言って、彼女は雑に私の手を取った。


「帰るぞ、シルヴィア」


 その手の温もりに、私は何故かとても安心させられる。


「はい……はいっ……!」


 温かいものが目から溢れて止まらなくなった。

 

 ククルゥはもう居ない。

 私の名前は、シルヴィアだ。

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