08. 黒い影
さて、こっちの準備は万全。
相手の方はまだこっちが気づいているのに気づいていない。
居場所は特定できたし、
こっちから仕掛けるか?
と、思ったんだが、
しかし、どうにも相手の方に殺気がない。
あくまでも偵察が役割ってところか。
戦う気がない相手は下手に仕掛けると逃げられる。
こんな夜更けに隠密行動を専門にしてるタイプと追いかけっこさせられるのでは面白くない。
暗がりに入って逃げ切られるのが落ちだ。
どうせなら生け捕りにして、
逆に絞れるだけ情報を搾り取りたい。
しばらく泳がせるか?
最後まで気づいていないフリで通して、悠々自適に帰ろうとしたところを逆にこっそり尾行するってのも面白いな。
上手くすればご主人様のもとまで連れて行ってくれるかもしれない。
しかし朝まで粘られたら面倒か。
明日は予定もある。
徹夜は勘弁だ。
——コンコン。
「シルヴィアでーす! お待たせしました!」
色々思案しているところに頭の中の言葉を蹴散らすような元気な声が聞こえてきた。
これから寝ようってテンションではない。
というか、今シルヴィアに来られるとちょっと面倒なことになる。
「すまんシルヴィア。今日はやっぱりひとりで寝る」
「そんなにゃぁ!?」
扉越しにお断りすると至極残念そうな声が返って来た。
「約束が違いますよぉ! 今日はもうベルベット様と手を繋いで寝る体になっちゃったんですから、責任取ってください!」
なんだ、その「今日はもうラーメンの口になっちゃったから~」みたいな言い草は。
「知らん! もうお前は良い年のお姉さんなんだから、ひとりで寝なさい!」
「うぇええええ!」
結構シリアスな状況なんだから、
空気を読んでくれよ駄メイド。
「……ん? っていうか、あれ? なんか部屋の中にもう一人いませんか?」
なぁ。
本当に空気読んでくれよ。
——ガタッ!
ほらぁ!
スパイさんも吃驚しちゃってるよ!
壁越しに、ただのメイドに気取られるとは思ってなかったよ!
「バッカヤロウ! お前! こっちは知らんふりして泳がせてんのに言うんじゃねぇよ!」
「えぇ!? 知りませんよ! 先に教えてもらえないと!」
「つーか、お前のその謎スキルなんなの!? 索敵能力無駄に高すぎるだろ!」
言い合っている間に、部屋に備え付けられた暖炉の煙突からゴトゴト聞こえてくる。
縄か何かでよじ登って逃げようとしてやがるな。
「クソッ。めんどくせぇところに入り込みやがって」
せっかく湯あみをして寝間着に着替えたってのに煤まみれになるのは御免被る。
俺は自室からバルコニーに出て屋上を見上げる。
小さな黒い影が煙突から飛び出して何処かへ走っていくのが見えた。
「結局追いかけっこかよ!」
「ベルベット様! 私も!」
「アホ言え! お前じゃ付いて来れねぇよ! それよりお前は屋敷の警備兵に状況を説明して周囲を警戒させとけ」
それだけ伝えた俺はバルコニーから飛び降りて影を追う。
屋根から屋根へ飛び移る。
まるで忍者みたいな奴だ。
俺は下から見上げながらその姿を追い続けた。
「逃がすかよ」
短く息を吐き加速する。
相手の背中が段々と近づいた。
それでも相手は夜闇に紛れる黒いマントを翻し、蝙蝠のように夜の空を舞ってさらに逃げようとする。
身のこなしが普通じゃない。
だが、それでも俺の全力の方が早い!
「そこまでだ。いい加減に観念しやがれ変質者め」
俺は声を掛けると、
相手が振り返るより早く投げナイフを放つ。
一本は足元、
もう一本はマントの裾を狙う。
——カンッ! カンッ!
金属音が響く。
相手が短剣でナイフを弾き飛ばした。
なかなかやる。
しかし、体勢を崩した相手は屋根上から地上へ滑り落ちた。
「く、来るな……!」
想像していたよりも高い声。
「そっちから人の屋敷にお邪魔しておいて、来るなはないだろ」
月光が差し込み、相手のフードの下に隠れた顔を照らし出した。
俺と同じ年ごろか、少し年下の少女だ。
小さいとは思っていたが、まさか女の子とは。
しかし、眼光が鋭い。
だいぶ覚悟が決まっちゃってる目だ。
「話が聞きたいだけなんだが、素直に付いて来てくれるか?」
「ふざけないで! どうせ捕まえて殺す気なんでしょ!」
少女が短剣を構え、
憎々し気にこちらを睨む。
「殺さねぇよ。話が聞きたいって言ってるだろ。殺したらなんも聞けねぇじゃん」
「なら拷問にかけて遊ぶのかしら? 冗談じゃないわ」
「想像力豊かだな、お前」
「バカにするなぁ!」
短剣を振りかぶってこちらへ突っ込んでくる。
だが、彼女には殺気がない。
ただ脅かして逃げたいだけに見える。
俺は横にステップし、少女の腕を掴んだ。
そのまま足を払って膝をつかせる。
さらに腕関節を極めながら、短剣を奪った。
「ぐっ……!」
「頼むからこれ以上は暴れるなよ。俺はお前を虐めたいわけじゃない。こっちも情報が欲しいんだ」
「クソッ! さっさと殺しなさい!」
「いや、だから殺さないって。話聞けっての」
よっと腕を捻ると苦悶の声を漏らした。
「アンタみたいなガキに辱められるくらいなら……」
何やら不穏な空気を孕んだ言葉に、嫌な予感がする。
少女はダラリと舌を垂らした。
「おまっ!? 待て待てっ!」
そして——。
「イッッッテェ!」
少女が思いっきり自分の舌を噛もうとしたところへ、慌てて手を突っ込んだ。
一切加減のない噛み付きを食らって俺は思わず悲鳴を上げる。
その時だった。
「ベルベット様ぁ! 警備兵の皆さんを連れて来ましたよー!」
シルヴィアの間延びした吞気な声が響いた。
その背後にはランタンの光がいくつも揺れている。
少女はそれに気づいてか、さらに噛む力を強めた。
「ちょ……待て、お前……! ったく。いい加減、諦めろっ!」
俺は少女の首筋に軽く手刀を落とし、意識を刈り取る。
そこへ遅れてやってきたシルヴィアが駆け寄ってきた。
息を切らしながら、目を輝かせている。
「捕まえましたか!?」
「ああ……。でも、お前が騒がなければ、もう少し楽ができたかもしれない」
「ご、ごめんなさい……って! ベルベット様、手が!」
シルヴィアが慌てて俺の手を掴んだ。
くっきりと歯型がついて血が滲んでいる。
「こいつが暴れてな。やられたよ」
「こ、この……ガキッ…………!」
「シ、シルヴィアさん?」
「私のベルベット様に何を晒してんですかぁ!?」
それから俺は気絶した少女に飛び掛かろうとするシルヴィアを抑えるのに苦心させられた。
そうしている間に警備兵たちが到着し、少女を縄で縛り上げる。
俺はため息をつきながら、自分の手を見下ろした。
ひどい有様だ。
だがまあ、情報が取れれば良しとするか。
指示役はどこの誰だろうか。
ポートマン、アリスター辺りが怪しいか。
それとも別の誰か——まあ、この少女の口を割らせれば、敵が見えてくる。
なんにしても、この少女が齎してくれる情報次第だ。
今はそれよりも、
「シルヴィア」
「はい!」
「お前、明日の朝飯は抜きな」
「えぇぇぇ!? 酷いです!」
泣きそうな顔をする駄メイドを横目に、俺たちは捕らえたスパイを連れて屋敷へ引き返した。




