02. 最後の稽古
王都に出立した翌日の朝。
カースナー領と王都の中継地点。
宿場町カルメルの高級宿屋『銀の鹿亭』の裏庭。
「さて、始めるぞエルガー」
「いつでもどうぞ」
栗色の髪を短く切りそろえた逞しい背格好の男——剣術指南役のエルガーと向かい合って木剣を構える。
俺は短く息を吐き、
ぐんと踏み込む。
次の瞬間、俺たち二人の距離が一瞬でゼロになった。
エルガーが疾風のような鋭い横薙ぎで先手を取つ。
右足を大きく踏み込みながら、
俺の胴を狙った一撃。
風を裂く音が、剣閃のあとに遅れて聞こえてくる。
音を置き去りにした一太刀。
俺は勝手に迅雷剣と呼んでいる。
エルガーお得意の一撃だ。
当たったら死ぬな。
相変わらず容赦ねぇ。
生半可な剣士なら、脇腹から真一文字に切り裂かれていただろう。
比喩ではなく、エルガーの本気の剣閃は木剣だろうが人間を真っ二つにできる。
回避は不可能。
受け流すしかない。
俺は腰を捻り、わずかに後ろへ体重を移すと同時に、剣を斜めに立ててエルガーの太刀筋を逸らすように木剣を滑らせる。
「ん……?」
衝撃が木剣を通じて腕に響き、肘が一瞬痺れた。
「いつもより重い……!」
衝撃を逃がさなければ俺の体が吹き飛ばされる。
そう判断した瞬間、
受け流した勢いをそのまま利用し、
左足を軸に体を回転。
反撃の斬り上げをエルガーの右肩へ叩き込む。
遠心力を乗せた一撃がエルガーを襲った。
エルガーは一歩も引かない。
左手で柄を添えて真正面から受け止めた。
ガンッ、という激しい木の衝突音が響き渡り、二人の剣が火花を散らすかのように軋む。
「甘いですな」
エルガーが獰猛な笑みを浮かべ、力任せに押し返した。
俺は後退を余儀なくされながらも、すぐに踏み止まる。
地面を蹴り、間合いを詰め直した。
「言ってろ!」
ここからが本番だった。
エルガーの剣が連続で唸りを上げる。
右上段から左袈裟へ、さらに下段薙ぎ。
重厚で力強い連撃は、まるで鉄槌のよう。
俺は防御に徹しながらも、隙を狙う。
汗が額を伝い、短い息が漏れる。
木剣の先端が空を切り、風圧が頰を叩く。
三合目。
エルガーの胴薙ぎを低く潜り抜け、俺はその懐へ飛び込んだ。
剣を短く持ち替えて突きを放つ。
鋭い刺突がエルガーの胸元を狙うが、エルガーは体をわずかに捻り、木剣の腹で受けた。
「グゥッ!?」
反動でエルガーの体勢が崩れた瞬間、
俺はクラウチングスタートのような低姿勢から踏み込んだ。
足もとの地面が砕け散る。
四足歩行の獣が如き駆動。
再び一瞬でエルガーと俺の間隙が消える。
「……ッ!」
エルガーは咄嗟に剣を横に構え、防御の姿勢を取った。
「甘ぇっ!」
靴底が土を削り、砂塵が舞った。
絶好の隙を見つけ、俺の口角が吊り上がる。
だが——。
エルガーの瞳に、獲物を定めた猛禽類のような眼光が宿っていた。
剣ではなく膝蹴り。
俺の顎のすれすれを通り過ぎていく。
「っぶねぇ!?」
咄嗟に後方へステップを切り返していなければ顎を撃ち抜かれていた。
「バレましたか」
「容赦ねぇなホント!」
文句を言いながらも俺は笑いが止まらない。
エルガーも爛々と目を輝かせていた。
「さあ、次です」
「さあ、次だ」
俺とエルガーの声が重なった——。
限界ギリギリの攻防戦を繰り広げること、一刻ほど。
俺の一撃を受け止めたエルガーの木剣が粉砕した。
「うおおおお! 凄かったぞ!」
「とんでもねぇお嬢ちゃんだ!」
「か、カッコイイ……。パパ! 私もあれやりたい!」
いつの間にか俺とエルガーの訓練に見物客ができていた。
荒くれた冒険者のオッサンや、宿屋のバルコニーに立つ少女。
それぞれが歓声を上げたり十人十色の反応を示す。
彼ら彼女らの存在に、俺は夢中過ぎて気づいていなかった。
エルガーの方は気づいていたようで、恭しく見物客に一礼している。
見世物じゃねぇんだけどな。
まあ、褒められているんだから悪い気はしないか。
「やれやれ、また負けてしまいましたな」
「はぁ……疲れた。これからまた王都に向けて長旅になるってのに、汗だくだぜ」
文句を言いつつ、俺はそれを嫌とは思っていない。
むしろ爽快な気持ちで朝の訓練を終えることができた。
俺とエルガーの剣術訓練は七歳の頃から今まで変わることなく続いている。
初日は俺の剣の才を前に茫然自失としていたエルガーだが、翌日には再奮起して俺と剣を打ち合う乱取り稽古をするようになった。
丁寧に素振りで型を教えるような稽古ではなく、実戦に次ぐ実戦で互いの剣を研ぎ澄ませ合うような訓練。
最初は体格差もあって、俺が防戦一方になっていたが、段々と実力が拮抗していった。
一時は俺がエルガーに勝ち続けることもあったが、俺だけなくエルガーまでもが驚異の成長を遂げて再び勝ち負けを繰り返す。
そんなライバル関係のような師弟の稽古。
今は俺の実力がエルガーを抜かし、連勝を重ねている。
だが、いずれまたエルガーが力を付けて拮抗するようになるだろう。
俺が負けるようになるかもしれない。
そう思っていたのだが、
「……ベルベット様。いよいよ、私では力不足になってしまったようです」
エルガーはひどく寂しそうな声でそう言った。
「なんだと?」
「しばらく前から、自分の実力の伸び代にいよいよ限界を感じていたのです」
「お前は何度もその限界を超えて来たんじゃないのか?」
「そうですなぁ……。初めてベルベットお嬢様に剣を教えることになったあの日。お嬢様の才能を前に、自らの騎士人生を否定された気持ちになったものです。一時はお嬢様を剣で切り伏せ見下すことで、自信を取り戻そうと躍起になっていたのですが……」
「えぇ……」
やたら殺気の籠った稽古だったと思ったら、そんなこと考えてたのかよ。
さらっとエグイこと言ってるじゃん。
「しかし、気づけば私の剣の技までもが、お嬢様の才能に導かれるように開花させられていました。もう自分の剣は完成していると思っていたのですが」
「フンッ……。なら、また頑張れば良いじゃないか。まだ先があるかもしれんだろ?」
「いいえ。もう私は年です。お嬢様も、薄々感じているのではないですか? 私の剣技が以前から少しずつ衰えてきているのを」
「……」
俺は答えられなかった。
そうだ。
実のところ、俺は少し前からエルガーの剣技に違和感を覚えていた。
先ほどの迅雷剣にしてもそうだ。
エルガーの迅雷剣は速度に特化した一撃。
それが、速度を抑え、威力にリソースが使われていた。
あれは、俺の体勢を崩すための罠ではなく、エルガーの身体的限界を誤魔化すための苦肉の策だったのだろう。
たしかに剛剣で体勢を崩されるのは厄介だが、普通に迅雷剣を放たれていれば、それだけで勝負が決していたかもしれない。
「名残惜しいですが、私の役目はここまでのようです」
名残惜しいと言いつつも、エルガーの表情には清々しさだけがあった。
「ベルベットお嬢様。私に、暇をいただけますかな?」
「…………わかった。これまで世話になったな、エルガー」
「こちらこそ。アナタ様の成長を間近で見届けることができたのは、私の生涯における最大の誇りです」
既に雇い主である父には話を通していたようで、エルガーは一足早く俺たちと別れ、王都とは別の方角へ向けてひとり馬を走らせた。
故郷に帰って隠居生活を楽しむのだろう。
「じゃあな、エルガー」
もう俺の呟きは彼に届いていない。
彼は、こちらに振り返ることなく去っていった。




