02. 勤勉な悪党を目指す
前世の記憶を思い出してから数日。
俺はここが前世とは異なるどこかの異世界だということを理解した。
だが、ここがどんな世界だろうと関係ない。
俺が目指すのはただ一つ。
他人を見下し、自分の欲求のままに生きる最凶最悪のライフスタイルだ!
そのためには、誰にも負けない暴力と、誰にも騙されない知恵が絶対に必要不可欠である。
前世の俺は、圧倒的な弱者だった。
理不尽な暴力の前には屈するしかない。
そして、他人を疑う知恵もなかった。
だからこそ恋人に騙され、
借金を押し付けられ、
みすぼらしく孤独に死んだ。
俺を騙したあのクソ女は死んでも許しがたい。
しかし、やはり騙される方にも問題はある。
弱者であることは、それ自体が罪だ。
「……だからこそ、俺は何者にも屈しない武力と知恵を手に入れるための努力を怠らない!」
俺は、屋敷の広大な訓練場で木剣を振りかぶりながら高らかに宣言した。
現在の俺は、公爵令嬢として求められる教養と護身術の習得に励む日々を送っている。
「はぁぁぁっ!」
裂帛の気合いと共に木剣を振り下ろす。
空気を切り裂く鋭い音と同時、
目の前の分厚い丸太が両断される。
その断面は、研ぎ澄まされた名刀で斬られたかのように滑らかだった。
「……え、嘘だろ? これ、ただの木剣だよな?」
自分の手を見つめ、俺は驚愕に目を見開く。
転生したこの七歳の幼女の肉体は、控えめに言ってバケモノだ。
剣術指南役として雇われた栗毛の男——エルガーは、俺の一撃を見て顎が外れるほど口を開けてアホ面を晒してた。
かつては王都で名の知れた立派な騎士だったらしい。
今は引退して貴族家の子息子女に剣を教えることを生業としているとか。
「どうだ、エルガー? 俺に剣の才能はありそうか?」
木剣で丸太を斬ってしまうこの肉体のスペックには驚かされた。
一度見た動きは完璧に再現できるどころか、
自分用に最適化して改善できる。
筋力のしなやかさも、持久力も、
前世の頃など比較にならない。
だが、ここは異世界。
俺が優れているのか、それともこれがこの世界の平均的な能力なのかはイマイチわからない。
俺の問いに、エルガーは質問を返してきた。
「し、失礼ながら、ベルベットお嬢様は本日が初めての稽古……なのですよね?」
「ああ。昨日までは武器を使わない体術の訓練ばかりでな」
「初めて剣を握って、この剣技……」
エルガーは、突然その場に膝から崩れ落ちた。
「わ、私のこれまでの努力は……いったい……」
そんなエルガーの反応で、十分に理解できた。
このベルベット・カースナーという幼女の、チートスペックを。
「くっくっく……最高じゃないか! この力を磨き上げれば、気に食わない奴を暴力でだって黙らせることができるぞ!」
俺はニチャアとゲスな笑みを浮かべた。
そのまま疲れるまで剣を振って振って振りまくる。
その度に動きを修正して毎秒剣技が改善されていくのがわかった。
この圧倒的な才能があれば、武力で他者を蹂躙する極悪非道な悪役ムーブも思いのままだ。
だが、暴力だけではまだ足りない。
前世のようにふざけた契約書で騙されたり、甘い言葉に丸め込まれたりしないためには知恵が必要だ。
俺は石化したように動かないエルガーを放置して、今度は書斎へと向かった。
鍛錬の後は頭を使う勉学だ。
俺は、初老の家庭教師——ヘルクから領地経営学を学んでいる。
まだ経営学など七歳の子供には早いと最初は言われたが、俺は子供の権利『わがまま』を行使して勉強の時間を獲得した。
今は架空の領地における税制を解決するための想定問題について話し合っている。
「……つまり、この領地の税制における致命的な欠陥は、中間搾取を行う代官への監視体制が甘いことにある。このままでは平民の不満が爆発し、公爵家の利益も目減りするだろう。直ちに監査部門を独立させ、抜き打ちで帳簿を調べさせるべきだ」
「お、おお……なんという完璧な回答……っ! こ、これは、本当にベルベットお嬢様がご自身でお考えになられたのですか……?」
「何? 俺を疑うのか、お前?」
失礼な事を言うヘルクを睨みつけてやるが、
彼が俺を恐れる様子はない。
当然だ。
どれだけ不遜な態度をとったところで、
今の俺はただの幼女。
目の前の爺さんからすれば、
生意気なクソガキにしか見えないだろう。
ムカつくぜ。
「失礼ながらあまりにも完璧すぎて、お嬢様一人でお考えになったとは、とても……」
「ふんっ。この部屋には俺と、お前と、メイドしかないだろうが。どうやって人に答えを聞くんだ。事前に問題を見て答えを暗記したとでも?」
「いえ……大変申し訳ございません。あなた様の素晴らしい才覚を前に、動揺していたようです……。しかし、なんっと素晴らしい! この領地の未来は明るいですな……」
机の向こうで、何故かヘルクがワナワナと震えながら涙を流している。
この領地のことなど知ったことか。
俺はただ自分のためだけに学ぶだけだ。
それにしても、この肉体の脳の性能は凄まじいな……。
これもまた、俺の新たな肉体に備わっていた優れた能力の一つだ。
この脳みそ、恐ろしいほどのスポンジである。
一度読んだ本の内容は一瞬で記憶され、
複雑な計算や物事の関係性も、
まるでパズルを解くようにスルスルと理解できてしまうのだ。
これで誰かに騙されて借金を背負わされることもない。
むしろ、法と知識を武器にして、平民から合法的に搾り取る悪徳領主にだってなれる!
俺は心の中でガッツポーズをした。
悪党たるもの、
法律の抜け穴を熟知し、
相手をぐうの音も出ないほど論破できなければならない。
この頭脳があれば、
あらゆる人間を騙し、
私腹を肥やすことなど容易いだろう。
「今日の授業はここまでにしておこう。俺はちょっと他に読みたい本があるからな。ヘルク、次は法律の知識を身に着けるぞ」
「は、ははっ! ベルベットお嬢様、この老骨、お嬢様の底知れぬ叡智にただただ感服いたしました……! わたくしめにお教えできる全てをお嬢様にお伝えしましょう!」
ヘルクはなぜか床に這いつくばり、俺に向かって深く平伏している。
……ちょっとオーバーリアクションな気もするが、まあいい。
悪党の前にひれ伏すモブとしては悪くない態度だ。
俺はドヤ顔を浮かべ、ドレスの裾を翻し書斎を後にした。
◆
「……見たか、オーガス」
「ええ、旦那様。この目でしかと拝見いたしました」
ベルベットが去った後、少し離れた廊下の影からその様子を見つめていた二人の男がいた。
ベルベットの父親であるベルン・カースナー公爵と、その腹心である執事のオーガスである。
ベルンは、震える手で目頭を押さえていた。
「あの子は……ベルベットは、まだ七歳だぞ。それなのに、あの恐ろしいまでの剣の才覚。さらには、領地を憂い、不正を許さない高潔な精神と圧倒的な知能……! 少々口がガサツになってしまったが、それも公爵家の人間足らんとする強い意思から来ているに違いあるまい!」
「お嬢様は、数日前に高熱を出されてから人が変わったように勉学と訓練に励んでおられます。きっと、生死の境を彷徨った末に、公爵家の長女として領民を導かなければならないという崇高な使命感に目覚められたのでしょう」
念のために言っておくと、ベルベットは生死の境など彷徨っていない。
ちょっとした熱を出しただけだ。
いつの間にかベルベットの家族や使用人たちの間で話が大きくなっているだけだが、誰もそれに気づかない。
「おお……なんという健気な子だ! 自らの身を削り、誰よりも血の滲むような努力を重ねているというのに、決してそれを表に出さず、ただ毅然と振る舞っている……!」
父親である公爵は、娘の「自分勝手に生きる悪党になりたい」という極めて利己的な野望など露知らず、完全に勘違いをして大粒の涙を流していた。
「オーガスよ、私は決めたぞ。ベルベットが望むあらゆる環境を整えろ! 最高の教師、最高の武具、すべてをあの子に与えるのだ!」
「御意に。あの方こそ、カースナー公爵家、ひいてはこのヴァルトハイム王国の未来を背負って立つ希望の光となるお方に違いありません」
一方その頃、自室に戻ったベルベットは。
「ふはははっ! 見てろよ世界! 俺がこの世のすべてを自分の都合よく支配して、最高の悪役ライフを満喫してやるからなーっ! ぐははっっ! ぐふっ! ぬぁぁはっはっはっっ!! ……ゲホ」
ベッドの上でゴロゴロと転がりながら、ゲスな笑い声を上げていた。
本人は全く知らない。
彼女が最強の悪党を目指してひたすらに努力すればするほど、周囲の大人たちは彼女を気高く勤勉な公爵令嬢として崇拝していくという、盛大な勘違いが始まっていることに——。




