01. 悪役転生
「あいつ、ホント馬鹿だよね。私がちょっと泣いたふりしたら、自分の貯金全部崩して借金の保証人になってくれたんだよ? 騙されてるとも知らずにさぁ!」
「まじで? 都合のいい男すぎ! てか、お前酷すぎんだろ!」
通勤時間の電車の中。
周囲を気にせず大口を開けギャハハと笑う男。
そして、それを聞いて満足げにする女。
「おかげで私はアンタと好きなだけ海外旅行できてるわけだし。感謝しなきゃねー」
それは、俺が医者から余命宣告を受ける数ヶ月前。
偶然同じ電車に乗り合わせてしまった元カノと、彼女の新しい彼氏の会話だ。
当の本人が話を聞いているとも知らずに、
俺をバカにする二人を人陰から見てしまった。
そして俺は、悔しさに歯が砕けるほど食いしばっていた。
俺がすべてを投げ打って愛し、
借金を背負ってまで守ろうとした女は、
あっさりと俺を捨てた。
そして、別の男と海外旅行に行くらしい。
俺に借金をさせて作った、その金で。
俺はそんな二人に声をかけることもできず、
ただ茫然自失としていた。
病室の薄暗い天井を見つめながら、
俺は薄れゆく意識の中であの二人の嘲笑を思い出している。
あの後、俺は元カノに押し付けられた借金の返済に追われ過労とストレスで倒れた。
挙句に入院先で質の悪いウイルスをもらい、
弱った身体を蝕まれ、
今は誰も見舞いに来ない無機質な白い部屋で独り寂しく寝たきりの生活。
点滴の落ちる音だけが、俺の人生のカウントダウンのように響いていた。
『人に優しくすれば、必ずいつか自分に返ってくる』
幼い頃に両親から教えられたその言葉を、
俺は愚直に信じて生きてきた。
困っている人がいれば手を差し伸べ、
頼まれごとは断らず、
自分の損など顧みずに尽くしてきた。
その結果が、これだ。
騙され、
裏切られ、
膨大な借金を押し付けられ、
孤独に死んでいく。
(ああ……俺がやってきた善行なんて、全部無駄だったんだ)
冷たくなっていく指先で、俺は強くシーツを握りしめた。
他人のために生きるなんて馬鹿げている。
優しさなど、悪意の前ではただの弱さでしかない。
俺をバカにする元カノたちの会話を思い出す度に思う。
あの瞬間、あのクソったれな女と、
ついでにあのクソ男をありったけの力でぶん殴ってやればよかった。
倫理観なんてゴミみたいなものを大切にして、
あの時の怒りを飲み込んだことを、
死ぬほど後悔している。
一生元の顔を思い出せないくらいに、
あのイラつく顔をタコ殴りにしてやればよかったんだ。
でも、俺にはもうそんなチャンスはやってこない。
それでも――もし、もしも次があるのなら。
(次は絶対に、自分のためだけに生きてやる。誰にも媚びず、誰にも依存せず、自分勝手な人間として——たとえ悪党と呼ばれようとも!)
心電図の警告音が長くピーッと鳴り響き、俺の意識はそこで永遠の闇に沈んだ。
◆
「ちょ、ちょっと!? なんなの!?」
黒雲に入った飛行機が激しく揺れる。
乗客が大きな揺れに驚く中、
一際大きな声で騒ぐ女がいた。
「ちょっと、どうなってんのよ! せっかくファーストクラスで席を取ったのに、こんなに揺れるんじゃ快適な空の旅を楽しめないじゃない!」
ヒステリックに喚くと、
同乗していた男が立ちあがって言う。
「CA呼んで文句言ってやろうぜ!」
「そうね! こっちは高い金払ってやってんだから!」
通常、飛行機が雲に入る際には乗務員の案内でシートベルトの着用を要求するアナウンスが流れる。
だが、この馬鹿なカップルはアナウンスを聞いていなかった挙句に、あろうことか激しく揺れる飛行機の中で立ち上がった。
そして、当たり前のようにすっ転ぶ。
――ゴンッ!
バカ二人が頭を打ち、飛行機内でとある二人の日本人が死去したというニュースが数日後に流れることになった。
あるいはそれは、とある男の死後の念が招いた事故だったのかもしれない――。
◆
「ベルベットお嬢様? どうなさいました、そのような汗をかかれて……!」
ハッと息を呑んで跳ね起きる。
そこは見たこともない豪華な天蓋付きのベッドの上だった。
心配そうにわたくしを覗き込むのは、メイド服を着た見知らぬ女性。
そして、目の前にある自分の手は——白く透き通るような、幼い子供の手だった。
「……え?」
緩慢な動きで起き上がり、それから正面に立てかけられている姿見を何気なく目にする。
そこに映る自分の姿に絶句した。
そこに映っていたのは、
燃えるような真紅の髪と、
宝石のように冷たい金色の瞳を持った幼女。
そうだ、今世のわたくしの――いや、俺の名は、ベルベット・カースナー。
ヴァルトハイム王国の大貴族、
カースナー公爵家の長女。
そして、かつては日本という国で愚かしく死んだ男であった。
俺は、なんの前触れもなく突然脳内に流れ込んできた前世の記憶の波を自分でも驚くほどあっさりと瞬時に受け入れることができた。
男から女への転生。
混乱はあった。
だが、そんなことは些細な話だ。
それ以上に俺の胸を支配したのは、
前世の最期に抱いた強烈な執念だった。
「……ふっ、あはははっ!」
思わず俺はその場で笑い声を上げた。
すかさずメイドが「お嬢様!?」と心配する声を掛けて来たが、気にしない。
おお、なんと……なんと、素晴らしきことか!
公爵家という圧倒的な権力。
有り余る富。
そして公爵令嬢という周囲を圧倒する権力が約束された最高のポジション。
他人の顔色を窺い、
善人ぶって搾取される人生はもう終わりだ。
「今度こそ、俺は、俺のためだけに生きる! 誰にも縛られず、気に食わない輩は好きなだけ弄ぶ! 今世は最高に利己的な人生を謳歌してやる……! ふふふ、ふぁぁっはっはっは!!」
七歳の幼女が放ったにしてはあまりに凄惨な高笑いに、メイドはガタガタと震えていた。
「お、お嬢様が、おかしくなってしまわれたわ……。は、早くお医者様を呼ばないと!」
好きに言え。
知ったことではない。
そして、俺は心に誓った。
今世は、最凶最悪の悪人になってやると。
◆ ◆ ◆
ここは、とあるライトノベルの世界。
そしてこの国の公爵令嬢——ベルベット・カースナーは、
本来ならば十八歳の春に処刑台に立つ運命にある。
嫉妬に狂い、
ヒロインを虐げ、
王太子の婚約者という地位を振りかざした末に断罪される。
そんな、最凶最悪の悪役令嬢。
それが彼女に与えられた役割だ。
ただし、今の彼女の中には、
本来そこにいるはずのない魂が宿っていた。




