19. 夜もすがらアナタを——
誘拐騒動から一週間ほどが経った。
あれから俺とシルヴィアは親切な傷顔のオジサンに家を貸してもらって二人で生活している。
山中にある掘っ立て小屋だ。
丸太で組み上げられた素人お手製感が拭えない雑な建築。
すきま風と雨漏り、あと虫も入って来る。
お世辞にも良い家とは言えない。
だが、タダで借りているものに文句をいうものではないだろう。
ところで、初日はオジサンも居たのだが、
『滅私奉公の旅に出ます。探さないでください。家は差し上げます』
という置手紙を残していつの間にか姿をくらませていた。
足に深手を負った状態で良くやるもんだ。
本当はもう少し俺の実験に付き合って欲しかったんだが、まあ文句は言うまい。
「ベルベット様! 昼食ができましたよ!」
「ん? 早いなぁ」
シルヴィアに呼ばれて外に出ると、涼しい風に乗って若干の獣臭さと青臭さの混じった香りがした。
「美味そうだな」
「調味料がないので、かなり野性的な味ですけどね」
「サバイバル生活っぽくて良いじゃねぇか」
この掘っ立て小屋には、キッチンなんて便利なものはない。
料理をするのは家の外だ。
焚火台の近くに備え付けられた丸太に腰を下ろす。
シルヴィアが木皿によそったスープを差し出した。
「昨日獲った鹿の肉と、ドクダミか」
「キノコも採れればもう少し豪華になるんですけどね」
「キノコはやめとけ。マジで死ぬるど?」
「やっぱり危ないですかねぇ」
「知ってるか? テングダケってキノコを食うと中毒を起こして幻覚まで見るらしいぞ」
この世界にテングダケがあるのかは知らんけど。
あと、ドクダミも俺がそう呼んでるだけだ。
正式名称は不明。
前世にあったドクダミという野草に見た目が似ているから、俺が勝手にそう呼んでいる。
一週間ほど毎日食べているが、身体に異変はない。
だから大丈夫な野草、のはず……。
「キノコで幻覚……。それは怖いですね」
「ああ。キノコは恐ろしいもんだ。体が大きくなったり、残機が増えたりもする」
「ザンキ……? 私にはよくわからないですけど、ベルベット様は物知りですね」
「ああ。ベルベットさんはなんでも知っている」
「はい! 流石はベルベット様です!」
どうでもいい雑談に花を咲かせる俺たちは、薄味のスープを啜って腹を満たした。
良く晴れた空の下で食べるサバイバル飯。
やっぱりこういうのも悪くない。
でも——いい加減に今後のことを考えなきゃなぁ。
虚ろな瞳で微笑むシルヴィアの横顔を見て、俺は気づかれないよう小さく息を吐いた。
その日の夜。
山中に灯りはない。
星と月明りだけの、暗闇の世界。
木々のざわめきと虫の音が聞こえてくるだけで、多くの生き物は息を潜める。
文明の利器を殆ど持たない俺たちも、
この山中ではただの動物に立ち返り、
蝋燭の僅かな灯りだけを頼りに、
ゆっくりとした時の流れに身を任せる他ない。
今の俺は、屋敷に居た頃、当たり前のように備え付けられていた部屋のランタンの有難みをしみじみと感じている。
「ククルゥ、寝るぞ。蝋燭がもったいない」
蝋燭はもともと小屋にあった物を使っているだけだ。
なくなれば買いに出なければならない。
だが今は、可能な限りあの子を他人と会わせたくない。
だから蝋燭は少しでも温存したかった。
「……」
彼女は返事をしない。
部屋の隅で蝋燭の灯りを見つめて座り込んでいる。
いつもの体育座りだ。
「ククルゥ。灯りを消せ」
「…………やだ」
「さっさと寝ちまえば朝になる。そうやって起きている方が、怖い時間が長く続くぞ」
「でも……」
たどたどしく、幼い口調。
昼間の使用人然とした彼女とは別人だ。
今の彼女は、シルヴィアではない。
この生活が始まってから、彼女の様子がおかしくなった。
彼女は夜になるとククルゥに戻る。
暗闇を恐れ、他人を拒絶する奴隷の少女。
出会った頃の彼女が顔を出す。
こういうのを、二重人格というのだろうか。
明るい時間はシルヴィア。
暗い時間はククルゥ。
本当のところ、彼女がこんな風になったのがいつからなのか、俺は正確に把握できていない。
最初は俺とサバイバル生活をするようになって急にこんな風になってしまったのだと思った。
だが、冷静になってみると、
俺は屋敷でシルヴィアと夜に顔を合わせた記憶がない。
屋敷に居た頃の彼女はいつだって夕食の後には自室へと姿を消し、次に顔を合わせるのは早朝だった。
俺自身も夜は自室に籠って本を読むか寝るだけだから疑問に思ったことはなかった。
夜は近くにアンリエットが居て、身の回りのことにも困っていなかったし。
だから、もしかするとシルヴィアがこうなってしまったのは、今に始まったことではないのかもしれない。
なんにしても、健全な状態でないことだけは確かだ。
「一緒に寝てやるから大丈夫だって。ほら」
狭いベッドだが、俺の体がまだ小さいこともあってスペースに空きはある。
空いた空間をポンポンと叩いてククルゥを呼んだ。
「やだ。目を離したら私を置いていくんでしょ」
「そんなことしねぇっての。昨日も大丈夫だっただろ?」
「今日はダメかもしれないもん……」
彼女は喋る度に声が潤んでいく。
瞬きもせず、ただジッと俺を睨んだ。
梃子でも動く気はないらしい。
「はぁぁぁ…………仕方ねぇなぁ」
俺はベッドから降りて毛布を持っていく。
そして、彼女の隣に座って互いの体をくるむように毛布を掛けた。
彼女はビクッと身体をこわばらせたが、逃げたりはしない。
「俺はもう寝る。あとは好きにしろ」
そして、俺は目を閉じた。
「おやすみ、ククルゥ」
思っていたより疲れていたのか、
すぐに俺の意識はふわりと宙に飛び立った。
「…………おやすみなさい」
意識を手放す寸前、耳元で聞こえた囁き声が心地よかった。




