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抱え込みすぎて壊れる前に消えた私が、別の世界でやり直したら  作者: 絵宮 芳緒
第十一章|その先へ

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(現代エンド)第一話|ただいま

現代エンド|

※こちらは現代を選んだ場合の結末です。

最初に聞こえたのは、規則正しい電子音だった。


静かな暗闇の中へ、一定の間隔で響いてくる。


遠い。

とても遠いはずなのに、その音だけが少しずつ近づいてくるような気がした。


次に感じたのは温もりだった。

誰かが手を握っている。

柔らかな手。

ずっと握っていてくれたのだろうか。


その温もりだけが、不思議なほどはっきり分かった。


体は重かった。

深い水の底に沈んでいるようだった。

浮かび上がりたいのに、上がれない。


目を開けたいのに開かない。

それでも意識だけが少しずつ浮上していく。


暗闇の向こうで、誰かの声がした。


「今日は暖かいわね」


穏やかで、優しい声だった。

どこか懐かしい。


「桜も咲き始めたんですって」


ぽつりと続く声を聞きながら、胸の奥がじんわりと温かくなる。


知っている声だった。

ずっと、昔から知っている声。


幼い頃、熱を出した時も。

転んで泣いた時も。

嬉しいことがあった時も。


いつも聞いていた声。

そのことだけは分かった。


思い出そうとした瞬間、胸の奥がきゅっと痛む。


会いたかった。

そんな言葉が、不意に浮かぶ。


どうしてだろう。


毎日会っていたはずなのに。

ずっと傍にいたはずなのに。

まるで、何年も会っていなかったような気がした。


握られた手に、少しだけ力が入る。

その温もりに引かれるように、意識がさらに浮上する。


白い廊下が見えた。


二つの光。


家族。

年上。

若手。


ルシアン。


たくさんの顔が浮かび、そしてゆっくり、遠ざかっていく。


『私が、選ぶ』


最後に聞こえたのは、自分の声だった。


その瞬間、重かったまぶたがわずかに動く。


眩しい光が差し込んだ。

思わず眉が寄る。


閉じていた世界へ光が流れ込んでくる。


どこかで、小さく息を飲む音がした。


椅子が動く音。

慌てたような気配。


けれど今はまだ、それさえ遠い。

もう一度、ゆっくりまぶたを開く。


霞んでいた視界の向こうに、人影が見えた。


ぼやけた輪郭が少しずつ形になる。


真っ赤な目。

泣き腫らした顔。

それでも、必死に笑おうとしている人。


その顔を見た瞬間、胸の奥に溢れるものがあった。


母だった。


けれど、頭に浮かんだ呼び方は違った。


「……ママ」


掠れた声だった。


ほとんど音にならなかったかもしれない。

それでも母には届いたらしい。


両手で口元を押さえ、その場で泣き崩れる。


「よかった……」


震える声だった。


「本当に……よかった……」


その後ろに、弟たちがいた。

そして父も。


父は何も言わなかった。


けれど、いつもより少しだけ背筋が伸びて見えた。


いつも通りの顔をしているのに、目だけが赤かった。


その姿を見た瞬間、なぜだか泣きそうになる。


帰ってきたのだと思った。


アリシアとして生きた日々も、ルシアンと過ごした時間も。

全部消えたわけではない。


けれど今、自分はここにいる。


父と母がいて、弟たちがいて。

自分が生まれ育った場所へ、ちゃんと帰ってきた。


声を出そうとする。

喉が痛い。


けれど、少しだけ笑った。

そして、ずっと自分らしい言葉を口にする。


「……みんな」


全員が顔を上げる。


「仕事は……?」


一瞬、病室が静まり返った。


それから、母が泣きながら笑った。

弟たちも吹き出す。


父だけが顔を背けた。

その横顔が少しだけ笑っているように見えた。


その光景を見ながら、私も小さく笑う。


頬を涙が伝った。


「……ただいま」


春の日差しが病室へ差し込む。


誰も言葉を続けなかった。


けれど、その沈黙はどこまでも温かかった。

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