第八話|選択
白い廊下の先に、二つの光が並んでいた。
ひとつは、懐かしい場所へ続く光。
家族がいて、職場があって、何気ない日々が流れていた世界。
もうひとつは、今ここに繋がる光。
ルシアンがいて、領地があって、アリシアとして積み重ねてきた時間がある世界。
どちらも温かかった。
どちらも苦しかった。
どちらにも、自分を待つ人がいた。
だからこそ、足が動かなかった。
「……」
アリシアは胸元へ手を当てる。
鼓動が速い。
怖かった。
どちらかを選ぶということは、どちらかに背を向けることのように思えたから。
けれど、白い光の中で聞いた声たちは、誰一人として選択を押しつけなかった。
帰って来い。
待っている。
ありがとう。
幸せになって。
そのどれもが、自分を縛る言葉ではなかった。
ただ、想ってくれている言葉だった。
「……私」
掠れた声が落ちる。
その瞬間、遠くで景色が揺れた。
現代の光の中には、病室が見えた。
母が椅子に座っている。
父は黙って窓の外を見ている。
弟たちは、いつものように少し不器用な顔でベッドの傍にいる。
さらにその向こうには、事務所があった。
年上が手帳を閉じる。
若手が自分の席を見つめている。
そこには、もう責めるような顔はなかった。
後悔と、感謝と、少しずつ前へ進もうとする意思があった。
「……」
反対側の光には、異世界が見える。
領地の街並み。
忙しく行き交う人々。
改革の途中にある机。
風に揺れる庭。
そして、ルシアン。
彼はただ、こちらを見ていた。
手を伸ばしているわけでもなく、引き止めているわけでもない。
けれど、その瞳には確かに願いがあった。
離したくない。
それでも、選ぶのはお前だ。
そう言われている気がした。
胸の奥が熱くなる。
「……ずるいわ」
小さく呟く。
誰も選べと言わない。
誰も責めない。
だからこそ、自分で選ばなければならない。
ずっと避けてきたことだった。
誰かのため。
現場のため。
家族のため。
領地のため。
そう言えば、自分の気持ちを後回しにできた。
けれど、もうそれはできない。
ここで必要なのは、誰かにとって正しい答えではない。
自分がどう生きたいかだった。
白い廊下に、静かな風が吹く。
アリシアはゆっくり目を閉じた。
思い浮かぶのは、たくさんの顔だった。
母。
父。
弟たち。
年上。
若手。
ルシアン。
そして、今までの自分。
無理をして笑っていた自分。
大丈夫だと言い続けた自分。
誰かに必要とされることで、自分の居場所を確かめようとしていた自分。
「……もう」
唇が震える。
「誰かに決めてもらうのは、やめる」
白い光が、静かに揺れた。
「私が、選ぶ」
その言葉を口にした瞬間。
二つの光が、いっそう強く輝いた。
現代へ続く光。
異世界へ続く光。
どちらを選んでも、失うものはある。
けれど、どちらを選んでも、残るものもある。
愛された記憶。
愛した記憶。
支えられたこと。
支えようとしたこと。
そのすべては、消えない。
アリシアは、ゆっくり息を吸う。
そして、自分の意思で、一歩を踏み出した。




