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抱え込みすぎて壊れる前に消えた私が、別の世界でやり直したら  作者: 絵宮 芳緒
第十章|選ぶ場所

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第六話|帰る場所

白い廊下を歩いていた。


どこまでも続く静かな世界。

足音も聞こえない。

風も吹かない。


それなのに、不思議と前へ進んでいる感覚だけがあった。


遠くから聞こえる声に、引かれるように歩いていると、不意に白い光が揺れる。


水面へ小石を落としたように景色が波打ち、その向こうに見慣れないはずの光景が浮かび上がった。


白い天井。

カーテン。

窓から差し込む柔らかな午後の日差し。


病室だった。


アリシアは立ち止まる。

胸の奥がざわつく。

知らない場所のはずなのに、なぜか懐かしい。


そんな感覚があった。

ゆっくり近付くと、ベッドの周りに人がいるのが見えた。


母が椅子に腰掛けている。

その少し後ろには父。

窓際の椅子へ座り、新聞を広げていた。


読んでいるように見える。

けれど、時折視線がベッドへ向くことにアリシアは気付いた。


昔からそういう人だった、気がする。


心配していても口にはしない。

黙って近くにいる。

そんな人。


その姿を見た瞬間、胸の奥がじんわり温かくなった。

さらに視線を動かす。


そこには弟達もいた。


十歳下の弟は、椅子へ深くもたれかかりながら大きく息を吐いている。


三歳下の弟は静かに窓の外を見ていた。


どこか見慣れた光景だった。


ずっと昔から、こうして家族が同じ空間にいることが、当たり前だったような気がする。




「姉ちゃんさ」


ふいに十歳下の弟が口を開く。

その言葉に、母が顔を上げた。


「また怒るんだろうな」


「何が?」


「病院来すぎって」


その瞬間、病室へ小さな笑いが広がった。

三歳下の弟まで苦笑している。


「……言うな」


「絶対言う」



『仕事休んで来なくていいから』

『ちゃんと帰りなさい』

『自分の生活優先をしなさい』


弟達が真似をすると、母まで笑いながら頷いた。


アリシアも思わず口元を緩める。

確かに言う。


たぶん、目を覚ましたら一番に言う。

それくらい簡単に、想像できた。




笑い声が落ち着いた後、母がぽつりと呟いた。


「昔からそうだったものね」


懐かしそうな声だった。


「人のことばっかり心配して……自分のことは後回し」


その言葉に、胸が少し痛む。


否定したい。

けれど、否定できない。


家族にも、職場にも。

気付けば、いつもそうだった。


誰かが困っていると、放っておけない。

疲れている人を見ると、声をかけてしまう。


そんな自分を思い出す。




病室へ静かな時間が流れる。

窓の外では、風が木々を揺らしていた。


その音を聞きながら、十歳下の弟がぽつりと呟く。


「でもさ」


さっきまでの明るい口調ではなかった。


「そろそろ帰って来いよ」


病室の空気が少し変わる。

弟は照れ隠しのように、視線を逸らした。


「姉ちゃんいないと、つまんないし」


ぶっきらぼうな言い方だった。


けれど、その一言に込められた寂しさは、十分伝わってくる。




三歳下の弟も苦く笑った。


「それはそうだな」


短く返してから、少しだけ表情を和らげる。


「母さんも心配してるし」


そこで、言葉を切った。


それから少しだけベッドへ目を向ける。


「俺も」


たった二文字。

それなのに、胸の奥が苦しくなる。


小さい頃から、いつも一緒にいた弟。

本音を聞くのは、珍しい。

たまに、連絡をくれた。



母は何も言わず、目元を押さえた。

父も相変わらず、新聞を広げたままだった。


けれど、ページはしばらく前から一度もめくられていない。


その姿を見て、アリシアは初めて気付く。


自分はずっと、支える側だと思っていた。


心配をかけたくなかった。

迷惑をかけたくなかった。


だから、大丈夫だと笑っていた。

平気だと言っていた。


けれど違った。

ずっと、気付かないほど当たり前に、支えられていたのだ。




やがて帰る時間になったのか、弟達が立ち上がる。


母も荷物をまとめ始めた。


最後に父が、ゆっくり腰を上げる。

病室を出る前に、一度だけベッドの前で足を止めた。


しばらく何も言わない。

その横顔は、昔と変わらない。


不器用で、寡黙で。

それでも、家族を誰よりも見ている人だった。


「まだ早い」


ぽつりと落ちた声に、母も弟達も振り返る。


父はベッドから、目を離さないまま続けた。


「寝てる場合じゃないだろ」


それだけだった。


けれどその短い言葉の中に、


帰って来い。

待っている。


そんな想いが、詰まっている気がした。



苦しいほどに、胸の奥が熱い。

温かい。


帰る場所は、確かにここにもあった。




その時だった。

遠くから、もう一つの声が聞こえる。


『アリシア』


低く、優しい声。

離したくないと願う声。


アリシアは、ゆっくり振り返る。

白い光の向こうで、金色の光が揺れていた。


二つの世界が、少しずつ近付いている。

そんな気がした。

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