第八話|同じ場所で止まる
紙の上の文字は、変わらない。
だが——
意味は、変わっていた。
「……王都」
小さく、落ちる。
それだけで、十分だった。
領地では、収まらない。
現場だけで、閉じない。
「……」
アリシアは、紙を閉じる。
軽く揃える。
机に置く音が、やけに静かに響く。
「続けるわ」
短く、告げる。
止めない。
ここで止めれば——同じになる。
「……はい」
返る声は揃っている。
さっきまでとは違う。
迷いがない。
「……」
アリシアは、次の紙へ手を伸ばす。
分解する。
流す。
繋ぐ。
同じ動作を、繰り返す。
だが——
意識は、変わっている。
「……」
視線の奥で、線が伸びる。
領地を越え、その先へ。
王都へ。
「……」
それでも、手は止めない。
今止めるべきではない。
止めれば——全部が止まる。
「……」
アルノーの声が、低く落ちる。
「その束、こちらへ」
短い。
だが、確実に届く。
「優先順位は維持しろ」
流れが崩れないように、押さえる。
「……」
動きが続く。
誰も、止まらない。
「……」
アリシアは、それを見ている。
回り始めた流れ。
まだ細い。
だが——切れてはいない。
「……」
一枚、また一枚。
紙が減る。
積み上がっていたものが、ほどけていく。
「……」
その時、ふと違和感が、胸を掠める。
「……」
同じだ、と。
どこかで。
「……」
視線が、わずかに遠くなる。
紙の向こう。
もっと、別の場所。
「……これ、誰が判断してたんですか」
声が、落ちる。
少しだけ高い。
まだ若い声。
「……」
机の上。
未処理の書類が、積まれている。
一つではない。
いくつも。
「……あの人がやってたはずでしょ」
誰かが、低く言う。
「……」
一瞬だけ、視線が揺れる。
それから。
「今、家族から連絡が来て」
言葉が、少しだけ遅れる。
選んでいる。
「入院したって」
「……え」
小さく、声が漏れる。
それ以上、続かない。
「……」
空気が、止まる。
さっきまでとは違う。
完全に、止まる。
「……入院?」
確認するように。
「……意識、戻ってないって」
誰かが、息を呑む音がする。
それで、十分だった。
「……」
誰も、動かない。
書類の山が、そのままそこにある。
手を出す者が、いない。
「……じゃあ」
誰かが、かすかに言う。
「これ……誰がやるの」
「……」
答えは、ない。
視線だけが、落ちる。
机の上へ。
「……」
止まっている。
全部が。
「……まずいよ、これ」
小さく、落ちる声。
その言葉だけが、やけに響いた。
視線が、揺れる。
書類と、互いの顔を行き来する。
「……」
誰も、手を出さない。
出せない。
どこまで触っていいのか——わからない。
「……とりあえず、進めます?」
若い方が、言う。
半歩、前に出る。
「待って!」
すぐに、止められる。
「勝手に動かないで」
「でも、このままだと」
「わかってる」
言葉が、重なる。
だが——
その先が、続かない。
「……」
机の上の書類。
誰のものでもないように、そこにある。
「……これ、全部」
若い方が、息を吸う。
「……止まってますよね」
「……」
答えが、ない。
視線だけが、落ちる。
「……あの人が、全部見てたから」
年上の方が、静かに言う。
「判断も、振り分けも」
短く。
だが、はっきりと。
「……」
若い方が、黙る。
その言葉で、理解してしまう。
「……じゃあ」
かすかに、声が揺れる。
「今、誰がやるんですか」
「……」
沈黙。
長くはない。
だが——重い。
「……」
年上の方が、書類に手を伸ばす。
触れる。
だが、そこで止まる。
線を越えない。
越えられない。
「……まずいな」
小さく、落とす。
それは、独り言に近い。
「……え」
若い方が、顔を上げる。
「このままだと……全部、止まる」
「……」
空気が、沈む。
その言葉だけが、残る。
「……」
アリシアは、手を止めない。
紙をめくる。
分類する。
流す。
「……」
だが、わかっている。
同じだ。
あちらも、こちらも。
「……」
小さく、息を吐く。
「……止めない」
誰にも聞かせるわけでもなく、落とす。
「……」
視線を上げる。
アルノーを見る。
「王都の件」
短く、告げる。
「後で整理する」
今は——現場を優先する。
「……承知しました」
即答。
迷いはない。
「……」
アリシアは、頷く。
「ここを止めない」
それだけでいい。
「……」
再び、手を動かす。
紙に触れる。
流す。
繋ぐ。
「……」
現場は、動いている。
止まらない。
だが——
もう一つの場所では。
同じように、止まりかけている。
「……」
それでも。
今、止めるべきではない。
「……」
手を、止めない。
止めないことでしか——
繋がらないものがあると、
知っているから。




