第九話|姉ちゃん
病室の窓から、柔らかな昼の光が差し込んでいた。
白いカーテンが、ゆっくり揺れている。
規則的な機械音。
静かな寝息。
その穏やかな音だけが、部屋へ静かに流れていた。
「……」
ベッドの傍には、母親が座っていた。
少し疲れた顔。
それでも、娘を見る目だけは優しい。
「昨日もね」
小さく笑う。
「病院の人が、“少し反応ありましたよ”って教えてくれて」
「……」
ベッドの横には、花と小さな紙袋が並んでいた。
職場の人が持ってきたもの。
弟たちが置いていった飲み物。
読みかけの雑誌。
“また来るね”と書かれたメモ。
そこには、ちゃんと人の気配が残っていた。
「……」
病室の扉が開く。
「お疲れー……」
入ってきたのは、三歳下の弟だった。
その後ろから、十歳下の弟も顔を出す。
「母さん、昼ちゃんと食べた?」
「食べたわよ」
「絶対適当に済ませたでしょ」
「もう」
母親が、小さく笑う。
「……」
十歳下の弟は、真っ直ぐベッドへ近づいた。
眠ったままの姉を見る。
「……姉ちゃん」
ぽつりと呼ぶ。
その声は、思っていたより静かだった。
「……」
返事はない。
当たり前なのに、病室が少し静かになる。
「……また無理してたんだろ」
掠れた声だった。
「……」
三歳下の弟が、小さく息を吐く。
「昔からそうだからな」
静かな声。
「人のことばっか気にして、自分は後回し」
「……」
母親が、少し目を伏せる。
「頼るの、下手なのよね」
小さく笑う。
でも、その笑顔は少しだけ苦しそうだった。
「……」
十歳下の弟は、椅子へ座る。
それから、眠ったままの姉を見ながら、小さく呟いた。
「職場の人さ」
「姉ちゃん、めちゃくちゃ気遣いの人だったって言ってた」
「……」
三歳下の弟が、苦く笑う。
「家でもそうだったじゃん」
「……」
昔を思い出す。
冷蔵庫へ入っていたプリン。
“食べていいよ”のメモ。
疲れて帰った時、机へ置かれていた甘い物。
「……」
十歳下の弟が、小さく笑う。
「姉ちゃん、変な限定お菓子好きだったよな」
「“これ話題なんだって”とか言って」
「……」
母親も、小さく笑った。
「この前も、“疲れてる時って甘いの欲しくならない?”って」
「私にお菓子置いてったのよ」
「……」
病室へ、小さな笑いが落ちる。
でも、その後に残る静けさが、少しだけ苦しい。
「……姉ちゃん」
十歳下の弟が、もう一度呼ぶ。
「そろそろ起きろよ」
「……」
その瞬間だった。
ピクリと、まぶたの端が、ほんのわずかに動く。
「……っ」
母親が息を飲む。
三歳下の弟も、顔を上げた。
機械音が、少しだけ変わる。
「……姉ちゃん?」
十歳下の弟の声が揺れる。
まぶたが、また小さく震えるが、開かない。
でも確かに、反応していた。
「……っ」
母親が、震える手でナースコールを押す。
病室へ、慌ただしい足音が近づいてくる。
「……」
それでも、彼女の表情は、どこか穏やかなままだった。
まるで、遠くで呼ばれる声へ、ゆっくり手を伸ばそうとしているみたいに。




