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抱え込みすぎて壊れる前に消えた私が、別の世界でやり直したら  作者: 絵宮 芳緒
第九章|残された側

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第八話|残った言葉

翌日の事務所は、朝から慌ただしかった。


電話。

現場確認。

シフト変更。


いつも通りの忙しさ。


なのに、どこか空気が違う。


「……」


若手は、現場から戻った書類を確認しながら小さく息を吐く。


以前なら、勢いのまま処理していた細かい確認へ、自然と目が止まるようになっていた。


抜けはないか、伝わり方は大丈夫か。

現場が困らないか。


「……」


頭の奥へ、あの人の声が浮かぶ。


『現場、空気悪くなると動きづらいんですよね』


「……」


胸の奥が、小さく痛む。


その時、電話が鳴った。

若手が受話器を取る。


「はい、お疲れ様です」


現場からだった。

少し困ったような声が聞こえる。


確認漏れ。

追加対応。


以前の自分なら、きっと先に、「なんで、今なんですか」と言っていた。


「……」


若手は、小さく息を吸う。

それから、ゆっくり言葉を選んだ。


「大丈夫です」


「一緒に確認しましょう」


「……」


電話の向こうが、少し静かになる。


「こちらでも、整理して折り返しますね」


柔らかく言って、電話を切る。


「……」


事務所の空気が、少し止まっていた。

若手自身も、少し驚いていた。


今の言い方。

あの人みたいだった。


「……」


年上の女性が、静かにこちらを見る。


何も言わない。


でも、その目が少しだけやわらかかった。


「……」


若手は、視線を逸らす。

胸の奥が、妙に熱かった。


「……」


その時だった。

年上が、小さく咳をする。


「……大丈夫ですか?」


若手が、反射みたいに声をかける。


「……え?」


年上が、少し目を見開く。


若手は、一瞬だけ言葉に詰まった。


でも、小さく続ける。


「……ちゃんと、お昼食べました?」


「水分も……」


「……」


事務所が、静かになる。


年上の女性は、ほんの少しだけ目を伏せた。


それから、小さく笑う。


苦しそうな……でも、どこか優しい笑みだった。


「……似てきたね」


掠れた声だった。


「……」


若手は、何も言えない。

胸の奥が、じわりと痛む。


「……でも」


年上は、小さく息を吐く。


「そういう言葉、ちゃんと残るんだね」


「……」


その時、事務所の電話が鳴った。

年上が受話器を取る。


「はい、お疲れ様です」


「……え?」


空気が、変わる。

若手が顔を上げた。


年上の表情が、静かに揺れている。


「……はい」


「はい!ありがとうございます」


受話器を置く手が、少し震えていた。


「……どうしたんですか」


若手が、小さく聞く。


「……病院から」


年上の声は、少し掠れていた。


「今日、少し反応あったみたい」


「……!」


若手の呼吸が止まる。


「呼びかけた時」


年上は、ゆっくり言葉を続ける。


「まぶたの辺り、少し動いたって」


「……」


事務所へ、静かな沈黙が落ちる。


誰も、すぐには言葉を出せなかった。


「あと……」


年上が、小さく息を飲む。


「心拍も、少し反応変わったみたいで」


「……」


胸の奥が、大きく揺れる。


若手は、思わず彼女の席を見る。


誰もいない椅子。


でもそこへ、今にも「お疲れ様です」と声が戻ってきそうで。


「……」


窓の外では、昼の光が静かに広がっていた。


止まっていた時間が、ほんの少しだけ、動き始めたみたいに。

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