第六話|夢の底
どれくらい眠っていたのか、わからなかった。
雨音だけが、遠くに聞こえている。
「……」
アリシアは、ゆっくりと意識を浮かび上がらせる。
身体が重い。
けれど、胸の奥を締めつけていた苦しさは、少しだけ薄れていた。
「……」
頬へ、やわらかな熱が触れている。
視線を落とす。
重ねられた手。
そのまま、ルシアンは寝台の傍へ座っていた。
「……」
椅子へ浅く寄りかかるようにして、眠っている。
片手は、まだアリシアの手を包んでいた。
「……」
ランプの灯りが落ちて、部屋は薄暗い。
窓の外では、まだ雨が降っている。
静かな夜だった。
「……」
アリシアは、ぼんやりとルシアンを見る。
整った横顔。
伏せられた睫毛。
いつも張り詰めている表情が、眠っている今だけ少しだけやわらかい。
「……」
たぶん、ずっと起きていたのだろう。
自分が眠るまで。
いや、眠ったあとも。
「……」
胸の奥が、静かに熱くなる。
「……ほんとに」
小さく息が漏れる。
「無茶するのね」
「……」
だが、その声に返事はない。
規則正しい呼吸だけが聞こえる。
「……」
アリシアは、そっと身体を起こした。
その瞬間、ルシアンの指先がわずかに動く。
「……」
眠りが浅かったのかもしれない。
金色の瞳が、ゆっくり開く。
「……アリシア?」
低く掠れた声。
起き抜けなのに、最初に自分を確認する声音だった。
「……起こした?」
「いや」
短く返る。
だが、視線はすぐにアリシアの顔を探る。
「……苦しくないか?」
「……大丈夫」
答えると、ようやく安心したみたいに、ルシアンは小さく息を吐いた。
「……」
アリシアは、その表情を見つめる。
こんなふうに、誰かが自分のことで安堵する顔を見るのは、久しぶりだった。
「……」
その時、ふいに視界が揺れる。
白い光が、また脳裏を掠めた。
「……っ」
息が止まる。
「アリシア?」
ルシアンが、すぐに気付く。
「……だい、じょうぶ……」
そう言おうとして、声が止まる。
「……」
白い天井が見える。
規則的な電子音。
誰かが泣いている。
“戻っておいで”
「……!」
胸が強く痛む。
呼吸が浅くなる。
「……っ」
ルシアンの手が、すぐにアリシアの頬へ触れた。
「見るな」
低い声が落ちる。
「……」
金色の瞳が、まっすぐこちらを捉えている。
現実へ引き戻すみたいに。
「私を見ろ」
「……」
アリシアの呼吸が、小さく揺れる。
ルシアンの声だけが、妙にはっきり聞こえた。
「……ここにいる」
低く、静かに。
だが、強く。
「……」
アリシアは、ゆっくりルシアンを見る。
近い。
近いのに、今はその距離が怖くなかった。
「……」
ルシアンの親指が、そっと目元へ触れる。
気付かないうちに、滲んでいた涙を拭うように。
「……泣くな」
かすれた声が落ちる。
「……」
アリシアは、小さく目を見開く。
泣いていたことに、自分でも気付いていなかった。
「……」
胸の奥が、苦しい。
怖い。
戻らなければいけない気がする。
でも、離れたくない。
「……」
揺れる視界の中で、アリシアは無意識に、ルシアンの服を掴んだ。
「……行きたくない」
震える声が零れる。
「……」
その瞬間、ルシアンの表情が、はっきり変わる。
苦しそうに、切実に。
「……なら」
低い声が落ちる。
「行くな」
「……」
ルシアンの額が、そっとアリシアへ触れる。
熱が近い。
呼吸が混ざる。
「……お前がいなくなるのは」
かすれた声だった。
「耐えられない」
「……」
胸の奥が、痛いほどに大きく揺れる。
「……」
雨音が、遠くなる。
世界が、この部屋だけになる。
「……」
アリシアは、震える指でルシアンの手を握り返した。
まるで離れれば、本当に消えてしまいそうだった。




