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抱え込みすぎて壊れる前に消えた私が、別の世界でやり直したら  作者: 絵宮 芳緒
第八章|選ばれる側の責任

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第三話|触れたままの熱

雨音は、静かに続いていた。


窓を叩く細い音が、夜の静けさへ溶けていく。


一定のリズムなのに、今夜は、妙に耳へ残る。


「……」


アリシアは、息を止めたまま動けなかった。


近い。

ルシアンの呼吸が、すぐそばにある。


重ねられた手の熱も、支える腕の強さも。

全部、はっきり感じてしまう。


「……」


逃げなければ。

そう思うのに、身体が動かない。


いや、違う。


「……」


離れたくなかった。


「……」


ルシアンの視線が、まっすぐアリシアを捉えている。


いつもの冷静さは、まだ残っている。


だが、その奥にある熱だけは、隠しきれていなかった。


「……」


アリシアの喉が、小さく動く。


乾いている。

呼吸がうまくできない。


「……そんな顔」


掠れた声が零れる。


「初めて見るわ」


「……」


ルシアンの目が、わずかに細められる。


「お前のせいだ」


低く返る。

静かな声だった。


だが、その奥には押し殺した熱がある。


「……」


胸が、大きく鳴る。


その響きが、自分のものなのかもわからなくなる。


「……」


ルシアンの指先が、確かめるみたいに、ゆっくりアリシアの手をなぞる。


そこにいることを、逃さないように。


「……」


アリシアは、思わず視線を伏せた。

鼓動がうるさい。


こんなに近くにいるだけで、息が苦しくなるなんて思わなかった。


「……」


窓から入り込む夜気は、少し冷たい。


そのせいで、ルシアンの熱だけが、やけにはっきりわかる。


触れている場所から、じわじわと熱が広がっていく。


「……」


「帰りたくないと言ったな」


ぽつりと落ちる。


「……」


アリシアの肩が、わずかに揺れる。


「……ええ」


否定できなかった。


「……」


ルシアンは、少しだけ目を伏せる。


その横顔が、苦しそうに見えて、胸が痛む。


「……なら」


低い声が続く。


「ここにいろ」


「……」


命令みたいに短い言葉だった。


なのに、どこか懇願に近い響きがある。


「……」


アリシアは、ゆっくりルシアンを見る。


こんな顔をさせたいわけじゃなかった。

苦しませたいわけじゃない。


なのに、胸の奥ではこの人に求められていることが、どうしようもなく嬉しかった。


「……」


ルシアンの指先が、そっと頬へ触れる。


びくりと肩が揺れた。


「……冷たい」


小さく呟く。

親指が、頬をなぞるように滑った。


「……っ」


息が乱れる。


触れ方は優しい。


なのに、心の奥まで触れられているみたいだった。


「……」


ルシアンが、ゆっくり距離を詰める。


逃げ道を塞ぐほどではない。


だが、離れられない距離。

睫毛の影まで見えるほど近い。


「……」


アリシアは、目を閉じかける。


その瞬間、ふいに知らない光景が脳裏を掠めた。


白い部屋。

規則的に響く、電子音。

冷たい光。

誰かが泣いている。


「……!」


胸が強く締めつけられる。

呼吸が止まりそうになる。


頭の奥が、ぐらりと揺れた。


「アリシア?」


ルシアンの声が落ちる。


「……っ、ぁ……」


うまく息が吸えない。

視界が滲む。

白い光が、ちらつく。


「……」


雨。

涙。

震える声。


“帰っておいで”


「……!」


アリシアの身体が、小さく震える。

指先が冷える。


どこかへ引かれる。

深い水の底へ沈んでいくみたいに。


「どうした⁉」


ルシアンの声が、今度ははっきり焦りを帯びる。


肩を抱く腕に、力が入った。


「……わから、ない……」


掠れた声で零す。


怖い。

何かが、自分を引っ張っている。


「……」


次の瞬間、ルシアンは、迷わずアリシアを抱き寄せた。


強く、逃がさないように。


「……大丈夫だ」


低い声が、耳元へ落ちる。


「ここにいる」


「……」


その声にざわついていた意識が、少しだけ戻る。


ルシアンの体温。

腕の強さ。

胸へ触れる鼓動。


全部が、現実へ繋ぎ止めるみたいだった。


「……」


アリシアは、震える指でルシアンの服を掴む。


無意識に、縋るみたいに。


「……行くな」


かすれた声が落ちる。


それが、誰へ向けた言葉なのか。

アリシア自身にも、わからなかった。


「……」


だが、ルシアンは、迷いなく答える。


「行かせない」


低く、強く。

一切の迷いなく。


「……」


雨は、まだ降り続いていた。


まるで、二つの世界を繋ぐみたいに。

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