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抱え込みすぎて壊れる前に消えた私が、別の世界でやり直したら  作者: 絵宮 芳緒
第八章|選ばれる側の責任

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第ニ話|離したくない

雨は、まだ降り続いていた。


窓を打つ音が、静かに部屋へ響いている。


一定のリズムなのに。


今夜は、妙に耳へ残った。


「……」


アリシアは、重ねられた手を見つめていた。


ルシアンの手は温かい。


冷えていた指先へ、じんわりと熱が移ってくる。


その温度だけで。


ざわついていた胸の奥が、少しずつ静まっていく気がした。


「……」


逃げたくない。


ふと、そんな感情が浮かぶ。


理由はわからない。


なのに。


この温度を失いたくないと、強く思ってしまった。


「……」


ルシアンは、何も急かさなかった。


問い詰めもしない。


ただ、静かに手を包んでいる。


その沈黙が、今はありがたかった。


「……少し、座ってもいいか」


低い声が落ちる。


「……ええ」


アリシアが頷くと、ルシアンは寝台の傍へ椅子を引いた。


木が擦れる小さな音。


その距離の近さに、胸がわずかに揺れる。


「……」


部屋の灯りは落としてある。


卓上のランプだけが、やわらかく二人を照らしていた。


金色の光が、ルシアンの横顔へ落ちる。


整った輪郭。


伏せた睫毛。


静かな表情。


だが。


今夜はどこか余裕がない。


「……」


ふと、ルシアンが口を開く。


「最近」


低い声が、静かに落ちる。


「無理をしていただろう」


「……」


アリシアの指先が、わずかに動く。


「隠していたつもりか?」


続く声は穏やかだった。


責める響きではない。


だからこそ、逃げ場がない。


「……少し、忙しかっただけよ」


小さく返す。


だが。


ルシアンは視線を逸らさなかった。


「お前は」


短く息を吐く。


「“少し”で済ませすぎる」


「……」


胸の奥が、小さく痛む。


その言い方が。


なぜか、ひどく懐かしく感じた。


「……」


誰かにも、似たようなことを言われた気がした。


だが、思い出せない。


霧の向こうみたいに、曖昧だった。


「……」


アリシアは、小さく目を伏せる。


「……迷惑をかけたくないの」


ぽつりと零れる。


「……」


その言葉に。


ルシアンの目が、静かに揺れる。


「……誰に?」


低く問われる。


「……」


答えが、すぐに出ない。


王宮。


領地。


周囲。


ずっと、そうしてきた。


「……」


だが。


ルシアンは、ゆっくり首を振る。


「お前は」


静かに言う。


「少し、自分を後回しにしすぎる」


「……」


重ねられた手へ、わずかに力がこもる。


「周囲を守ることばかり考えて」


「自分が削れていることに気づかない」


「……」


胸の奥が、大きく揺れる。


苦しいほどに。


「……」


アリシアは、ゆっくり息を吐く。


喉の奥が、少し熱い。


「……怖いの」


気づけば、そう零していた。


「……」


ルシアンの指先が、止まる。


「……何がだ」


「……」


アリシアは、窓の外を見る。


滲んだ雨の向こう。


暗い夜。


「……全部、なくなる気がして」


小さく落とす。


「ここも」


「この時間も」


「……あなたも」


最後の言葉だけ、かすかに震えた。


「……」


ルシアンが、息を呑む気配がする。


静かな部屋の中で、それだけが妙にはっきり聞こえた。


「……」


次の瞬間。


指先が、強く引かれる。


「……っ」


不意に身体が傾く。


支えを失ったみたいに、重心が崩れる。


「……」


気づけば。


ルシアンのすぐ近くにいた。


呼吸が触れそうな距離。


衣擦れの音さえ、近い。


「……」


ルシアンの腕が、アリシアを支えている。


逃がさないように。


確かめるみたいに。


「……」


低い声が、すぐ近くで落ちる。


「なくさない」


「……」


アリシアの目が、揺れる。


「……」


ルシアンは、まっすぐ見つめたまま続ける。


「お前が何を抱えているのか」


「どこへ帰ろうとしているのか」


「まだわからない」


「……」


静かな声だった。


だが、その奥には熱がある。


押さえ込んでいた感情が、滲むみたいに。


「……だが」


重ねられた手に、さらに力がこもる。


「離す気はない」


「……」


胸の奥が、大きく鳴る。


雨音が、遠くなる。


「……」


アリシアは、息を飲む。


こんなふうに。


真っ直ぐ求められたことが、あっただろうか。


「……」


ルシアンの額が、わずかに触れそうな距離まで近づく。


金色の瞳が、逃がさないように見つめている。


「……帰るな」


かすれたような声だった。


初めてだった。


彼が、こんなふうに感情を滲ませるのは。


「……」


胸の奥が、熱い。


苦しいのに。


離れたくないと思ってしまう。


「……」


雨は、まだ静かに降り続いていた。


まるで。


二人を、この夜へ閉じ込めるみたいに。

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