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抱え込みすぎて壊れる前に消えた私が、別の世界でやり直したら  作者: 絵宮 芳緒
第七章|残された側

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第八話|残る声

翌朝の事務所は、少し重かった。


外はまだ曇っている。


昨夜の雨が、窓ガラスに薄く跡を残していた。


「……」


人は来ている。


パソコンの起動音。

紙をめくる音。

小さな挨拶。


いつもの朝と、やることは変わらない。


それでも、空気のどこかが、静かだった。


「……」


年上の女性は、まだ病院にいる。


夜のうちに、一度だけ連絡が来た。

『落ち着いた』

短い、その一文。


それだけで、事務所は、なんとか呼吸を繋いでいた。


「……」


若い方は、いつもより早く来ていた。


机の上を整える。

散らばっていた書類を揃え。

確認用の付箋を並べ直す。


「……」


動いていないと、落ち着かなかった。


「……」


昨夜、電話を取り続けていた時間が、まだ身体に残っている。


眠れてはいない。


それでも不思議と、逃げたいとは思わなかった。


「……」


事務所の扉が開く。

現場担当の一人が入ってくる。


「おはようございます」


「……おはようございます」


若い方も返す。

以前より、少しだけやわらかく。


「……」


相手が、少し迷ったように立ち止まる。


「あの……」


「?」


「……大丈夫ですか?」


「……」


若い方の目が、少しだけ開く。


「……」


その言葉を、自分に向けられると思っていなかった。


「……」


以前の自分は、たぶん近寄りづらかった。


「……」


急がせて、強く返して。

余裕がなくて。


「……」


でも、今は。


「……大丈夫です」


小さく返す。


それから、ほんの少しだけ間を置いて。


「……ありがとうございます」


「……」


相手が、少しほっとしたように笑う。


「いえ」


「何かあったら言ってください」


「……」


その言葉が、胸の奥へ静かに落ちる。


「……」


何かあったら言ってください。


「……」


あの人が、よく言っていた言葉だった。


「……」


若い方は、無意識に視線を落とす。

空いた席へ。


「……」


そこには、まだ何もない。


書類も、鞄もマグカップも。


「……」


なのに、そこだけ妙に存在感がある。


「……」


ふと、現場担当が小さく笑う。


「最近、ちょっと空気変わりましたよね」


「……え?」


「前より、話しやすくなったっていうか」


「……」


若い方の指先が、止まる。


「……」


続く言葉を、自然に待ってしまう。


「……前は、みんな結構ピリついてたんで」


困ったように笑う。


「でも、最近は確認しやすいです」


「……」


胸の奥が、少し熱くなる。


「……」


それは、自分の力じゃない。


「……」


あの人が、ずっと繋いでいた空気だった。


「……」


ようやく、自分たちが気づいただけだ。


「……」


若い方は、小さく息を吐く。

それから、ほんの少しだけ笑った。


「……止めたくないんです」


ぽつりと零れる。


「……」


現場担当が、静かに頷く。


「……はい」


短く、でもちゃんと返る。


「……」


電話が鳴る。

別の席でも、声が上がる。


事務所は、また動き始める。


「……」


若い方は、受話器を取る。


「お電話ありがとうございます」


落ち着いた声で。


「……はい、確認いたします」


「……」


その声を聞きながら。


現場担当は、少しだけ目を細める。


「……似てきたな」


小さく、誰にも聞こえないくらいに呟く。


「……」


事務所の空気は、まだ不安定だった。


完璧ではない。

足りないものも、多い。


「……」


それでも、ちゃんと残っている。


「……」


あの人が、繋いできた声が、今も静かに。

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