第六話|戻らないやり方
午後の空気は、どこか落ち着かなかった。
窓の外では、風が少し強くなっている。
雲も低い。
屋敷の中まで、わずかに空気が揺れている気がした。
「……」
執務室では、人の出入りが続いていた。
報告。
確認。
再調整。
短い言葉が絶えず交わされる。
「……」
北へ向かった使者は、まだ戻らない。
それだけで、部屋の空気は少し張っていた。
「……」
アリシアは、机の上へ視線を落とす。
追加の報告書。
修正された輸送経路図。
再計算された予算。
「……」
手を伸ばせば、全部できる。
今でも、そう思う。
「……」
むしろ、その方が早い。
迷わない。
崩れない。
「……」
だが指先が、そこで止まる。
「……」
小さく息を吐く。
無意識に入っていた力を抜くように。
「……」
「お嬢様」
声がかかる。
若い文官の一人だった。
「こちら、確認を」
差し出された書類を受け取る。
「……」
内容を読む。
悪くない。
だが、細かい甘さはある。
数字の置き方。
順番。
説明の流れ。
「……」
一瞬だけ、視線が止まる。
「……」
今、この場で直せる。
おそらく数分もかからない。
「……」
その時ふと、昨夜の言葉が浮かぶ。
——一人で立つ必要もない。
「……」
静かに、紙を閉じる。
「ここ」
指先で、一か所示す。
「どうしてこの順番にしたの?」
「……え」
相手が、一瞬詰まる。
「……そちらの方が、先方が理解しやすいかと」
「……」
アリシアは、相手を見る。
迷いながらも、自分で考えている目だった。
「……」
「なら」
短く言う。
「その意図が、もう少し見えるように整えて」
「……」
相手の目が、わずかに開く。
「修正ではなく?」
思わず、零れるように。
「……」
アリシアは、少しだけ間を置く。
「あなたが考えた流れでしょう?」
静かに返す。
「なら、崩さなくていい」
「……」
その言葉が、相手の表情を変える。
驚き。
それから、緊張。
最後に、ほんの少しだけ安堵。
「……はい」
今度は、迷わず返る。
「……」
手元へ書類が戻っていく。
今度は、自分で整えるために。
「……」
その様子を、視線で追う。
前とは違う。
手を出して終わらせるのではなく。
考えさせて、進ませる。
「……」
時間はかかる。
間違いもあるだろう。
「……」
それでも、残る。
「……」
やり方が。
「……」
その時扉が、短く叩かれる。
「失礼いたします!」
少し早い声。
「……」
全員の視線が上がる。
入ってきたのは、北へ向かわせた使者だった。
肩で息をしている。
急いで戻ってきたのがわかる。
「……ご報告を」
「言って」
静かに促す。
「……契約破棄は、保留となりました」
「……」
部屋の空気が、わずかに揺れる。
「先方は」
呼吸を整えながら続ける。
「現状の改善案を確認した上で、再判断すると」
「……」
誰かが、小さく息を吐く。
張っていた空気が、少しだけほどける。
「……」
アリシアは、黙って聞いている。
「……」
「それと」
使者が、一瞬迷う。
「……担当者が変わったようだ、と」
「……」
静かに、言葉が落ちる。
「前より、話が通ると」
「……」
その瞬間、部屋の中の空気が、止まる。
ほんのわずかに。
「……」
アリシアは、視線を伏せる。
「……」
前より。
「……」
胸の奥で、小さく反芻する。
「……」
以前なら、自分が前に出ていた。
押さえ込み、整え、まとめていた。
「……」
だが、今は違う。
「……」
誰かが、自分で立った。
考えて、言葉を選び、繋いだ。
「……」
それが、届いた。
「……」
静かに小さく、息を吐く。
「……」
「よくやったわ」
短く言う。
「……」
使者の肩から、わずかに力が抜ける。
「ありがとうございます」
深く頭を下げる。
「……」
アリシアは、窓の外を見る。
風はまだ強い。
空も、完全には晴れていない。
「……」
それでも、崩れてはいない。
「……」
もう、以前のやり方には戻らない。
戻る必要もない。
「……」
支える形は、一つではないのだから。
「……」
部屋は、静かに動き続けていた。
止まらずに、今度は——
誰か一人に、重さを集中させることなく。




