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抱え込みすぎて壊れる前に消えた私が、別の世界でやり直したら  作者: 絵宮 芳緒
第ニ章|選ばれるということ

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第九話|ほどけたままの現場

紙の端が、揃っていない。


机の上で、わずかにずれている。


それだけのことが、やけに目につく。


「……」


蛍光灯の光が、白く落ちる。


影が薄い。


輪郭だけが、残る。


「……どうしますか?」


さっきの言葉が、頭の中で繰り返される。


誰に向けたのかも、曖昧なまま。


返事は——なかった。


「……」


年上の女性は、視線を落とす。


紙を見る。


だが、読んでいない。


線が見えない。


どこまで触れていいのか、わからない。


「……」


若い方が、動く。


ためらいなく。


紙を手に取る。


「とりあえず、やりますね」


軽く言う。


返事を待たずに。


「……」


ペンが走る。


早い。


迷いがない。


だが——


整っていない。


積み方が崩れる。


順番が前後する。


「……」


紙の端が、さらにずれる。


重なり方が、浅くなる。


「……」


引き出しが、少しだけ開いたままになる。


閉め切らない。


「……」


机の端。


埃が、残っている。


いつもなら、ない場所に。


「……」


年上の女性の視線が、そこに止まる。


一瞬だけ。


それから、外れる。


「……」


思い出す。


何も言わずに。


さっと拭いていた背中を。


誰にも気づかれないように。


「……」


言葉が、浮かぶ。


——そこ、後でやるから大丈夫


——無理しなくていいよ


——任せて


「……」


喉の奥で、止まる。


もう、いない。


「……」


電話が、鳴る。


短く。


乾いた音で。


「……はい」


若い方が、取る。


早い。


「はい、今対応してます」


間髪入れずに返す。


「大丈夫です、進めてます」


「……」


相手の声が、漏れる。


少しだけ。


苛立ったような。


「え、はい……」


若い方の声が、わずかに揺れる。


「確認して折り返します」


「……」


通話が切れる。


「……なんて?」


年上が、低く聞く。


「なんか、止まってるって」


軽く返す。


「でも今やってるんで、大丈夫ですって言っときました」


「……」


一瞬。


空気が止まる。


「……大丈夫、じゃないでしょ」


小さく、落ちる。


抑えた声で。


「……え?」


若い方が、顔を上げる。


「だって、やってますよ?」


悪気はない。


ただ、速いだけ。


「……」


年上の女性は、何も言わない。


言えない。


「……」


別の電話が、鳴る。


今度は、少し長く。


「……はい」


今度は、年上が取る。


「……はい」


声を整える。


「……ええ」


聞く。


黙って。


「……いえ、今——」


言葉が詰まる。


「……申し訳ありません」


それだけが出る。


「……」


電話の向こうの声は、止まらない。


短く。


強く。


「……はい」


受け止めるしかない。


「……確認して、折り返します」


「……」


切れる。


静かに。


「……」


机の上を見る。


紙が、動いている。


だが——


繋がっていない。


「……」


若い方は、手を止めない。


速い。


だが、雑だ。


「……」


積み上がる。


処理済みの束。


だが。


どこか、軽い。


「……」


年上の女性は、息を吐く。


小さく。


「……まずいね」


さっきと同じ言葉。


だが、重さが違う。


「……」


若い方は、手を止めない。


止められない。


「……」


また、電話が鳴る。


別の現場から。


別の声で。


同じように。


「……」


止まっている。


全部が。


「……」


あの人なら。


そう思う。


同時に。


口にしない。


「……」


机の端。


拭かれていない場所が、残る。


それだけのことが。


やけに、目につく。


「……」


流れが、ない。


繋がらない。


整わない。


「……」


現場が、ほどけていく。


結び直す手が、ないまま。

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