第六話|触れない距離
音楽が、静かに満ちている。
弦の音が、天井の高みでほどける。
燭台の火が揺れ、金の光が床に細く伸びる。
同じ夜。
同じ場所。
それでも——
空気は、すでに変わっている。
「……」
アリシアは、歩く。
裾が、わずかに揺れる。
床を踏むたび、かすかな音が返る。
止まらない。
そのまま、進む。
「……」
視線が、集まる。
触れるように寄って、すぐに整う。
乱れない。
外れない。
「……」
そのまま、抜けていく。
人の間を、迷いなく。
「……」
横に、気配がある。
一歩分、変わらない距離。
「……」
濃紺の影が、灯りを受ける。
金色の視線が、わずかに動く。
ルシアン第二王子。
言葉はない。
だが、離れない。
「……」
アリシアの指先が、ほんの少しだけ緩む。
気づかないほどに、張っていた力が、ほどける。
「……終わったな」
低い声が、横から落ちる。
音楽に溶けるように。
「……」
アリシアは、前を見たまま。
「ええ」
それだけ、短く返す。
「……」
それ以上、言葉は続かない。
振り返らない。
戻らない。
「……」
ルシアンの足が、わずかに前に出る。
半歩、ほんのわずかに。
それだけで、人の流れが変わる。
「……」
近づこうとした足が、止まる。
自然に、言葉もなく。
「……」
距離が保たれる。
触れられない線の手前で。
「……」
アリシアは、その変化を感じる。
視線は動かさない。
だが——わかる。
「……無理はするな」
小さく、落ちる。
「……していないわ」
すぐに返す。
声が、わずかにやわらぐ。
「……」
ルシアンの視線が、横へ流れる。
一瞬だけ、それで十分だった。
「……」
空気が、静まる。
整う。
ざわめきが、遠のく。
「……」
アリシアは、息をひとつ吐く。
ほんのわずかに、胸の奥の張りが、ほどける。
「……」
ルシアンの手が、わずかに動く。
触れない。
だが、近い。
その距離を保ったまま。
「……」
崩さない間で、並ぶ。
「……」
視線が、再び向く。
今度は——逸れない。
そのまま、留まる。
「……」
誰も、近づかない。
その距離を越えない。
「……」
燭台の光が、二人の影を床に落とす。
わずかに重なる。
離れすぎず、重なりすぎず。
「……」
アリシアは、歩く。
止まらずに、そのまま。
「……」
横の気配は、変わらない。
離れない。
「……」
触れてはいない。
それでも、距離は、近い。
「……」
そのまま、進む。
次へ、迷いなく。




