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抱え込みすぎて壊れる前に消えた私が、別の世界でやり直したら  作者: 絵宮 芳緒
第ニ章|選ばれるということ

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第ニ話|届かない距離

音楽は、変わらず流れている。


弦の音が高い天井に触れ、やわらかくほどけていく。


燭台の灯りが揺れ、床に細い光の帯を落とす。


同じ夜。

同じ場所。


それでも——

さきほどとは、違って見える。


「……」


バルドは、歩く。

人の集まりの方へ。


靴底が床を滑るたび、わずかに乾いた音が返る。


歩幅は変えない。

軽く、いつも通りに。


「——ああ、バルド」


少しだけ遅れて、声がかかる。


「久しぶりだな」


笑って返す。

口角だけを上げる。


「少し、聞きたいことが——」


言いかける。


その瞬間、相手の視線が、わずかに逸れる。


まっすぐ見ていない。

グラスの縁へ、落ちる。


「……なんだ?」


問い返す。

声を軽く保ったまま。


「いや」


短く返る。

言葉が、続かない。


「……忙しいのか?」


流すように言う。


「まあ、少しな」


曖昧に返される。


笑みはある。

だが、目が合わない。


「……そうか」


一歩、近づく。


距離を詰める。

いつもなら、自然に重なる間合いへ。


「それで——」


続ける前に。


「悪い」


被せられる。


「後で」


それだけ言い切って、身体が引かれる。


衣擦れの音が、わずかに遠ざかる。


「……」


呼び止める間もなく。


背が、灯りの向こうへ消える。


「……なんだよ」


小さく、零れる。

音楽に紛れて、残らない。


「……」


近くの別の人物へ、視線を向ける。


少しだけ早く。


「ちょっといいか」


声をかける。

軽く、いつも通りに。


「……ああ」


返事はある。

だが、短い。


「最近の王都の動き——」


話を振る。


「……」


間が落ちる。


一瞬だけ。

だが、はっきりと。


「詳しくは、上に聞いてくれ」


視線を外したまま、返される。


指先が、書類の端をなぞる。

こちらを見ない。


「……は?」


声が、わずかに低くなる。


「お前、いつもなら——」


言いかける。


だが、止まる。

言葉が、噛み合わない。


「……」


相手は、何も言わない。


ただ、軽く会釈をする。

形式だけの動き。


それ以上、近付かない。


「……」


距離が、できる。

目に見えない線が、引かれる。


「……」


残るのは、音だけ。


音楽と、遠くの笑い声。


だが——

自分の周りだけ、少しだけ空く。


「……」


バルドの指先が、グラスの脚をなぞる。


わずかに湿っている。

力が、入りきらない。


「……」


視線の先。

人の流れ。


灯りの中心へ、向かっている。


自然に、迷いなく。


「……」


その中に。


自分は——

入っていない。


「……ねえ」


背後から、ソフィの声。

布の擦れる音と一緒に近付く。


「どうだった?」


軽く、いつも通りに。


「……別に」


短く返す。

視線は外したまま。


「ちょっと忙しいだけだろ」


そう言う。

言い聞かせるように。


「ほらね」


ソフィが笑う。


「気にしすぎよ」


やわらかく。

何も疑わずに。


「……」


バルドは、何も返さない。


グラスを持ち上げる。

口に運ぶ。


液体が喉を通る。

味は、残らない。


「……」


もう一度、視線を動かす。


会場の奥。

人の流れ。


その中心へ。


「……」


足を動かす。

さきほどより、わずかに速く。


床に映る光を、踏み越える。


「……」


まだ、戻れるかを、確かめるように。


「……」


その一歩が、さきほどよりも——

わずかに、重い。

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