【03】 嵐の前夜と「徒歩の監視」
前検日。
ボートレース戸田に到着した爽香は、持ち物の検査や携帯電話の預かりを済ませ、モーターとボートの抽選を引き当てた。プロとしての緊張感がじわじわと皮膚を刺す。
その夜の選手宿舎。食堂では地元・埼玉支部の選手たちが同じテーブルを囲んでいた。
爽香の左隣に座ったのは、ベテランレーサーの田並浩次(42歳)。独特の上品な口調で爽香に話しかけてきた。
田並「お嬢さん、明日がデビュー戦なんだって?」
爽香「あ、はい! よろしくお願いします!(お嬢さんなんて初めて言われたわ……)」
田並「いいねぇ、若い芽は。まさに『ゆく人、くる人』だなあ」
爽香「……はあ」
田並「去る人がいて、来る人がいる。私もそろ後ろに下がるときが来たのかな……前期の勝率も惨憺たるものだったし」
田並は深々とため息をついた。
田並「最後の三国競艇でもボロボロでね……まさに『三国破れて、3があり』だよ。勝率3点台じゃあ話にならない」
爽香「みくに……3(さん)があり……? (何言ってるんだろこの人?)」
爽香が首を傾げていると、右隣に座っていた一期先輩の女子レーサー、八巻恵夢(25歳)が吹き出した。
恵夢「爽香ちゃん、杜甫の漢詩よ。『国破れて山河あり』を文字ってるの」
爽香「トホの監視……? 国見の宿舎に監視カメラでもついてるんですか?」
恵夢「ふふっ、全然噛み合ってない!」
田並は可笑しそうに目を細め、爽香に向き直った。
田並「明日のデビュー戦、楽しみにしてるよ。スタートしたらどう走るつもりだい?」
爽香「はい! まっすぐ走ります!」
田並「うん! それが一番だ! 実は私もそうしようと思っているんだよ」
周りの先輩レーサーたちの笑いを誘った。田並たちが部屋へ戻った後、八巻恵夢が呆れたように言った。
恵夢「爽香ちゃん、田並さんのペースに巻き込まれちゃダメよ?
で、明日はどうするの?」
爽香「どうするもこうするもありません! 最低でも3着!
最高なら1着を狙って全力で握っていきます!」
恵夢「……え?」
恵夢は目を丸くした。新人がデビュー戦で1着を狙うなど、暴挙に等しいからだ。
爽香「ボートレーサーになった以上、勝ちにこだわります。埼玉支部のみなさんの足は引っ張りません!」
恵夢「……そ、そう。まあ、無事故でね……」
恵夢は引くようにして食堂を後にした。
自室に戻った爽香は、ベットに転がり込んで拳を握りしめた。
爽香(目標は3着以内! これでケブラーズボンと、10万円の特注シューズは私のものよ……ふふふ、教官、覚悟しててね!)
野望を膨らませながら、爽香は深い眠りについた。




