【12】 デビュー戦5日目① ~消波装置にぶつかる?~
数分後。舟券を買って戻ってきたふたりは、新井の姿がないことに気づいた。
金子「あれ? さっきのお兄さんは?」
栗原「ああ、あっちへ移動したよ」
近くでパイプ椅子に座っていた老人が、ぽつりと言った。
金子「俺たち、嫌われちゃったかな……」
老人「いや。あの人は『本物』だからね。余計な喋りは好まんのさ」
栗原「本物?」
老人「そう。あんたらが話していた……『舟券師』だよ」
金子と栗原の動きがピタリと止まった。
金子「嘘だろ!?」
老人「わしは毎日ここにいるがね、あの人はいつも同じ場所に立って、じっと水面を見ている。買うのは1日に1回か2回。そして帰りがけに、払戻機から分厚い札束をすっとポケットに入れて去っていくんだ」
栗原「札束……!?」
老人「わしも気になって後をつけたんだがね、券売機の前に立つと背中で完全に画面を隠す。絶対に買い目を見せないプロのガードだよ」
栗原の顔から急速に血の気が引いていった。
金子「くりさん……さっきなんて言ったっけ?」
栗原「え? 何が……」
金子「『髪ボサボサで髭ボウボウ、足が短い』って……」
老人「がハハ! 言ってた言ってた!」
老人が嬉しそうに笑う。
老人「『家庭もなくてつまらん人生』とも言っておったな!」
栗原「と、とどめを刺さないでくれよ……!」
栗原は頭を抱え、水際でガックリと膝をついた。
◇
その頃、ピットから6艇のボートが静かに水面へと押し出されていた。
6号艇――速水爽香(20)。
速水爽香(昨日はF艇が出たおかげの5着……実質最下位。悔しい、悔しすぎる!)
緑のヘルメットの中で、爽香は歯を食いしばった。
速水爽香(今日は……全速だ。大外からスロットルを落とさずに、思い切り握ってターンしてやる!)
♪〜ファンの大歓声とともにファンファーレが鳴り響く。
水温21度、追い風2メートル。
場内アナウンス「スタート10秒前……5秒前……スタート!」
ほぼ横一線の美しいスリット。
6コースの爽香は、1マーク手前からエンジンを咆哮させた。先行する5艇のさらに外――限界の角度で艇を傾け、スロットルを全開に握りしめる!
速水爽香「いっけえぇぇぇ!!」
ガガガッ! と激しい衝撃が艇を襲う。
全速ターンの勢いがあまりにも強すぎた。遠心力に振り回されたボートが、抑えのきかない弾丸となって対岸へ向かって滑っていく!
速水爽香(嘘……流れる!?)
目と鼻の先に迫る、橙色の物体――消波装置!
速水爽香(ぶつかる――ッ!!)
反射的にスロットルを放した。
ズドンッ!!
鈍い音とともにボートの側面が消波装置に激突し、水しぶきが天井高く上がった。
劇的なショックに身体が浮いたが、間一髪で艇にしがみつき、転覆だけは免れた。
速水爽香(た、助かった……!)
心臓がバクバクと暴れる中、必死の思いで艇を立て直し、そのままレースを完走。
結果は――絶望的な大差の6着。
速水爽香(でも……まだ今日、もう1レースある。明日の最終日と合わせて無事故で走り切れば、松木教官から約束の『ケブラーズボン(耐刃保護ズボン)』がもらえる……! 諦めない!)
爽香はヘルメットの奥で、自分に言い聞かせるように頷いた。




