↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
7/14

所持金55円でナンパ


現在、64歳。

世の中はマッチングアプリ全盛期だ。


スマートフォンの画面を指で数回スワイプするだけで、いくらでも人と出会える便利な時代になった。


だが、どこか不思議な矛盾を感じる。


出会いの選択肢は無限に増えたはずなのに、心を通わせる本当の「出会い」そのものは、むしろ貧しく少なくなっている気がしてならないのだ。


あの頃――昭和の終わり、バブルへと向かって街全体が浮き足立っていた時代、男も女も事あるごとに夜の街へ飲みに出ていた。


地方都市の小さな繁華街ですら、週末の夜ともなればお祭りのような熱気と人波で溢れていた。


そして、そこにはいつだって予想もつかない運命的な出会いが転がっていた。つまり、街角での「ナンパ」だ。


声をかけ、意気投合すればそのまま店へ向かう。もし声かけた相手に意中のタイプがいないとなれば、次の合コンの打ち合わせの場に変わる。


よく「合コンに連れてくる友達は自分より可愛い娘を呼ばない」なんて都市伝説のような俗説があるが、あれは嘘だ。


キッカケがナンパだからこそ、お互いに肩肘を張らず、ノリと勢いだけを重視していた。


ガツガツした下心よりも、その場の空気を楽しむ余裕がそこにはあった。


そんな、いま思えば青くさくも愛おしい「ノリだけ」の思い出は山ほどある。


◆◆◆

1985年、俺が23歳の頃の話だ。


その夜も、俺――拓海と、会社の同期である力のふたりは、行きつけのスナック『オーキッド』で心地よく泥酔していた。


店を出て、会社の寮へと向かう夜道を千鳥足で歩く。


時刻はすでに午前2時を回っていた。


しんと静まり返った暗がりの中、前方からふたつの人影が歩いてくるのが見えた。


位置関係からして、おそらくこの先にある女子大学の寮へ帰る途中の学生だろう。


「おい力、いくか?」


「こんな時間だぞ。ついてくるわけないだろ」


正論を口にしながらも、足は勝手に前へ進んでいた。


声をかけなきゃ、何も始まらない。


それが当時の俺たちの無鉄砲なルールのひとつだった。


ダメ元で「この後、軽く飲み直さない?」と声をかけてみる。


すると、拍子抜けするほどあっさりと「いいよ」とOKの返事が返ってきた。


渡りに船とばかりに、俺たちは彼女たちを連れて歩き出した。


少し先に入った角に、まだ行ったことはないが、朝まで明かりを灯している居酒屋があるのを知っていたからだ。


だが、店に入り、小上がりの席に腰を下ろした直後、決定的な問題が発覚する。


メニューを開きながら、力とふたりでこっそり財布の中身を確認した時のことだ。


俺の財布に10円玉が数枚、力のポケットから出てきた小銭を合わせても、ふたりの所持金は合計でたったの「55円」。


社会人として、いや人間としてあり得ない金額だった。


1985年当時、当然ながらキャッシュレス決済なんて存在しない。


クレジットカードすら若造が気安く持てる時代ではなく、ましてや深夜の小さな居酒屋で使えるはずもなかった。


目の前には、楽しそうにメニューを選ぶふたりの女子大生。


俺と力は背中に冷や汗をかきながら、もうあれしか無いと思い、席を立って厨房のカウンターへ向かった。


腕組みをして包丁を握る頑固そうな大将に、声をひそめて切り出す。


「大将、本当に申し訳ない。実は今、ふたり合わせて55円しか持っていないんです。俺の免許証を預けますから、今夜のところはツケにしてもらえませんか? 明日、必ず払いに来ますから」


身分証を差し出す俺を、大将はじろりと上から下まで見つめた。


数秒の沈黙。店内の喧騒が遠く聞こえる中、冷や汗が頬を伝う。


やがて、大将はフッと鼻で笑い、差し出された免許証を押し戻した。


「いらねえよ、そんなもん。俺は長年ここで商売しててな、人を見る目だけはあるんだ。金は明日でいい。その代わり、女の子の前ではカッコつけて、楽しませてやりな」


威勢よくそう言って、大将は手際よく刺身を盛り付け始めた。


その夜の酒が、どれほど美味かったかは言うまでもない。


55円しか持っていなかった男ふたりと、深夜にナンパについてきた女子大生ふたり。


理由なんて何もない、ただその場のノリだけで集まった4人の宴は、東の空が白むまで大いに盛り上がった。


翌日、俺と力は約束通り財布に現金を詰め込み、頭を下げて店へ払いに行った。


大将は「おお、本当に来たか」と豪快に笑った。


それ以来、俺たちはその居酒屋の常連になり、また新たな夜の物語をつくっていくことになるのだ。


ちなみに、当時の連絡手段といえばお互いに寮の共同電話くらいしかない時代だ。


だが俺たちはといえば、部屋に引きこもっていることなんて滅多になく、寮の電話なんてあってないようなものだった。


だから、その夜出会った彼女たちに渡した連絡先も電話番号じゃない。


「連絡したいときは、毎日行ってる『オーキッド』に顔を出して。飲み代は俺のツケでいいから」


それが、あの頃の俺たちの、一番確実で粋な連絡手段だったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。