銀座の遊び方
【現在(64歳)】
今は映画のチケット一枚取るのも、スマホの画面を二、三回タップすれば一瞬で完了する時代だ。
だが1985年の冬、オープンしたばかりの有楽町マリオンで話題作の座席指定券を取るということは、それだけで特別なイベントであり、大人の「手回り」の良さが問われる試練でもあった。
映画の前に訪れた、日比谷の歴史あるホテルのバー。あの日、グラスの向こうで静かに流れていたピアノの音色は、64歳になった今でも、耳の奥に心地よく残っている。
【1985年・冬】
「いいか、今夜はブロードウェイの熱気を浴びに行くぞ」
1985年の冬、修さんに連れられて俺と力が向かったのは、オープンして間もない有楽町マリオンだった。有楽町マリオンとは現在のシネコンの走りとなった複合型映画施設だ。
日米ほぼ同時公開で空前の大ヒットとなったミュージカル映画『コーラスライン』を観るためだ。
待ち合わせ場所に全員が集まり、いざ館内へ向かうと、そこは立ち見が出るほどの大盛況。チケット売り場には寒空の下、長い列ができていた。
人波をかき分けてどうにか当日の指定席券を手に入れたものの、チケットに刻まれた上映時間は予想以上に先だった。
「うわ……修さん、指定席買えましたけど、上映までかなり時間が空いちゃいましたね。この寒さの中、どうします?」
俺が困り果てて尋ねると、修さんはコートのポケットに手を突っ込み、ニヤリと笑った。
「大人の男はな、待ち時間ができたからって寒空の下で途方に暮れたりしないんだよ。ついて来い」
修さんは迷わずスッと手を挙げ、タクシーを拾った。
「日比谷のインペリアルホテル東京へ」
車が滑り出したのは、銀座の喧騒を離れた静寂のエリア。到着したのは、歴史と格式を誇る伝統のホテルだった。重厚な絨毯を踏みしめ、重い扉を開けてメインバーへ足を踏み入れる。
静まり返った空間には、ほのかに暖炉の薪の香りと、上質なウイスキーの香りが漂っていた。バブル前夜の当時は物価も上がり始めていたが、新入社員の俺たちでも、少し背伸びをすればこうした「本物の空間」に触れられる豊かな時代でもあった。
カウンターに腰を下ろし、図らずもできた贅沢な時間を楽しむ。
バーテンダーが静かに注文を聞くと、力は迷わず、「バランタインの17年をロックで」と、すっかり自分の定番となった銘柄を誇らしげに頼んだ。
修さんはいつものように、「マンハッタンを。ベースはターキーで頼む」と短く告げる。
そして俺は、メニューにあったそのホテルの歴史を象徴する一杯に惹かれた。
「俺は、こちらのオリジナルカクテル『マウント穂高』をお願いします」
運ばれてきた「マウント穂高」は、北アルプスの雄大な山々を思わせる、澄んだ気品ある一杯だった。
力の前では丸氷がカラリと鳴り、修さんのチェリーが沈む赤いマンハッタンが妖艶に光る。
その時、バーの奥にあるグランドピアノから、静かに流れてきたメロディがあった。
――『What I Did for Love(愛した日々に悔いはない)』。
ピアニストの美しいジャズアレンジによって、しっとりと店内を満たしていく名曲。これから観に行く映画のテーマ曲を、修さんがさりげなくリクエストしてくれたのだと悟り、胸が熱くなった。
「急に予定が狂ってもな、それを上質な時間に変換できるのが大人の余裕ってやつさ」
修さんがグラスを傾けながら、静かに語りかけてきた。
「拓海、力。男ってのはな、どの場所に立っていても、自分の選んだ道でプロとして生き抜いていかなきゃならない。酒の味も、その覚悟があって初めて深くなるんだ」
ピアノの切なくも力強い音色と、口の中に広がるカクテルの深い味わい。
俺はグラスを強く握りしめた。
(俺も、自分の道で、プロとして生き抜いてやろう)
その後、マリオンへ戻り、無事に手配できた指定席に腰を下ろしてスクリーンの『コーラスライン』に見入った。
オーディションに挑む若者たちが、自らの人生と誇りをかけて踊り、歌う。選ばれる者、落ちていく者――画面からあふれ出す圧倒的な情熱と厳しさに、23歳の俺たちの胸は強く打たれた。
バーで聴いたあのピアノの旋律が、スクリーンの躍動と重なり合う。俺は心の中で静かに、けれど強く決意を固めていた。
【現在(64歳)】
時代は流れた。かつて映画文化の最先端を走り、今のシネコンの先駆けでもあった有楽町マリオンも、すっかり姿を変えた。
昭和の熱気をそのまま呑み込んでいたあの「日劇」はもうない。映画を観る場所から星空を見上げるプラネタリウムや現代的なホールへと役割を変え、時代の大きな波に静かに洗われていったのだ。
待ち合わせのシンボルだったからくり時計の佇まいだけは、今も変わらずそこにあり、通りを行き交う若者たちを見下ろしている。
だが、あの日寒空の下でチケットを握りしめ、胸を躍らせていた23歳の俺たちの熱狂を覚えている者は、もうこの街には誰もいないのかもしれない。
ビルを見上げながらふと思う。
あの夜、修さんに連れられて足を踏み入れたインペリアルホテル東京の重厚な扉。
グラスの中で静かに輝いていた「マウント穂高」の澄んだ青。
形あるものは変わり、人も街も歳をとる。
けれど、あの日あの場所で背伸びをしながら噛み締めた「プロとして生きる覚悟」だけは、64歳になった今も、この胸の奥で色あせることなく脈打っている。




