師
「……ガレス、様……?」
俺の口から、掠れた声が漏れた。
その名を口にした瞬間、フィアが、怪訝な顔でこちらを見た。
「知り合いか」
フィアの問いに、俺は、すぐには答えられなかった。
目の前に立つ老人―かつて、俺がまだ何者でもなかった頃、剣の握り方すら知らなかった俺に、戦い方の基礎そのものを教えてくれた人物。アルドレア王国に仕える前、辺境の小さな道場で出会った、恩師。
「ほぅ…随分と、懐かしい名で呼ばれたものだ」
導師―ガレスは、静かに、しかし確かな驚きを滲ませながら、こちらを見つめた。
「お前、その若さで、なぜその名を知っている」
俺は、答えられなかった。答えれば、全てを明かすことになる。
だが、ガレスは、俺の顔を、まじまじと見つめた後、静かに、そして深く、息を呑んだ。
「―まさか」
その声には、驚愕と、そして、微かな懐かしさが滲んでいた。
「その目……その構え……お前は……」
「…何者だ、リド」
フィアが、緊張した面持ちで俺を見た。
俺は、静かに、覚悟を決めた。
「……ガレス様。あなたは、二十年以上前、辺境で忽然と姿を消したはずだ。処刑されたという噂もあった」
「よく知っているな」
「……あなたに、剣の握り方を教わった。無属だった俺に、才能がなくとも積み上げれば強くなれると、初めて教えてくれたのは、あなただった」
ガレスの目が、大きく見開かれた。
「…カイエン……なのか?」
その名が、静かな地下室に、確かに響いた。
フィアが、息を呑む音が聞こえた。
「まさか……本当に、お前なのか」
ガレスの声には、隠しきれない動揺があった。
「お前は、あの裏切りで死んだと聞いていた。それが、なぜ、こんな若造の姿で……」
「詳しい経緯は、俺自身にも分からない」
俺は、静かに、しかし確かな覚悟を込めて言った。
「だが、確かに俺は、あなたの教え子だった、カイエンだ」
沈黙が、地下室を支配した。
やがて、ガレスは、静かに、自嘲するような笑みを浮かべた。
「皮肉なものだな。お前を鍛え上げた、あの理論の続きを、私はこんな形で悪用している」
「なぜだ」
俺の問いに、ガレスは、静かに語り始めた。
「私が、"無から強さを掴む"理論を確立した後―帝国は、それを危険視した。私は、異端の研究者として追われ、処刑されかけた」
「……」
「生き延びるために、私は、姿を消した。だが、その後、この国の在り方に対する怒りは、消えるどころか、募る一方だった」
ガレスの声に、深い憎悪が滲んだ。
「顕在化を持つ者が、持たざる者を虐げる。……ならばいっそ、その仕組みそのものを、私が支配してしまえばいい。そう考えるようになった」
「それが、影楔、か」
「ああ。……私は、顕在化の起源を突き止め、それを操作する技術を確立しようとしている。そうすれば、この歪んだ身分の序列そのものを、書き換えることができる」
俺は、静かに拳を握りしめた。
「その過程で、罪もない人々を、実験材料にしているのか」
ガレスの表情が、僅かに翳った。
「……犠牲は、避けられない。大きな変革には、痛みが伴う」
「それは、詭弁だ」
俺は、静かに、しかし強い意志を込めて言った。
「あなたが教えてくれた理論は、才能のない者たちに、希望を与えるためのものだったはずだ。誰かを踏み台にするための道具じゃない」
ガレスは、しばらく沈黙した後、静かに、悲しげな笑みを浮かべた。
「…お前は、変わらないな、カイエン。……いや、リド、と呼ぶべきか」
「どちらでもいい」
「その理想論、かつての私も、同じように信じていた。だが、現実は、そう甘くはない」
ガレスは、静かに、しかし確かな敵意を込めて、杖を構えた。
「残念だ。お前とは、争いたくなかった」
俺は、静かに剣を構えた。
「俺も、同じ気持ちだ。……だが、あなたの理論を、これ以上悪用させるわけにはいかない」
地下室の空気が、一気に張り詰めた。
かつての師弟が、今、全く異なる道の上で、対峙していた。




