自己数値化、始動
「…で、これが何かの理論だっていうの?」
セラが胡乱げな目で、俺が地面に木炭で書きなぐった図を見下ろしている。牢の隅、看守の目が届きにくい場所に、俺たちはしゃがみ込んでいた。
「理論というほど大げさなものじゃない。ただの、記録の付け方だ」
俺は木炭で、簡単な表を描き足していく。
「一日の鍛錬内容、時間、疲労の度合い、翌日の回復具合。それを毎日書き留める。それだけだ」
「それだけ?」
セラは眉を寄せた。
「顕在化があれば、努力すればするだけステータスが数字で見える。だが無属には、それがない。だから自分の手で、数字を作る」
「……感覚的には分かるけど、それのどこが特別なの? 誰でも思いつきそうな話じゃない」
「思いつくのと、続けるのは別だ」
俺はセラの目を見た。
「一日、二日ならともかく、これを何ヶ月、何年と続けられる人間はほとんどいない。地味で、面白みがなくて、すぐに結果が出るわけでもないからだ。だが、続けた人間だけが、自分の伸び代を正確に把握できるようになる」
セラは黙って、俺の描いた表を見つめていた。
「たとえば」
俺は木炭で新しい図を描く。横軸に日付、縦軸に「踏み込みの速度」「疲労回復までの時間」といった項目を並べた簡易的なグラフだ。
「今日の俺の踏み込み速度と、三日前の俺の踏み込み速度を比べる。差が出ていれば、それが積み上げた成果だ。差が出ていなければ、鍛錬の方法自体を見直す必要がある。――顕在値のように、勝手に数字が浮かんでくるわけじゃない。だから、自分で測り、自分で記録し続けなければならない」
「ッ……それを、これから毎日続けるつもり?」
「そのつもりだ」
セラはしばらく黙って図を見つめていたが、やがて、ぽつりと言った。
「一人でやるつもり?」
「一人でしかできないと思っていた」
「思っていた、ってことは」
「お前が手伝ってくれるなら、話は変わる」
セラの表情が僅かに動いた。警戒と、それを上回る興味が、その灰色の瞳に浮かんでいる。
「……なんで、私に頼むの」
「お前は俺の試合の記録を、俺よりずっと正確に取っていた。数字を扱う目がある。それに―」
俺は言葉を切った。少し迷ってから、続けた。
「一人で記録をつけていると、都合よく解釈してしまう瞬間がある。今日は調子が良かったからよしとしよう、とか。そういう甘えを、他人の目が正してくれる」
セラは目を丸くした。それから、小さく笑った。
「思ったより、まともなこと言うのね」
「意外か」
「ええ、すごく」
セラは羊皮紙を取り出し、俺の描いた表を丁寧に書き写し始めた。手際がいい。数字の扱いに慣れている人間特有の、迷いのない筆運びだった。
「じゃあ、明日からの鍛錬メニュー、私が管理してあげる。その代わり」
「代わり?」
「あなたの記録、全部見せてもらうから。……何か隠してることがあっても、いずれ分かるようにね」
俺は小さく苦笑した。食えない少女だ。だが、そのしたたかさが今は頼もしい。
「好きにしろ」
その日から、俺たちの共同作業が始まった。
日中は鍛錬と試合の準備。夜、看守の見回りの合間を縫って、セラと共にその日の記録を整理する。踏み込みの角度が何度改善したか。疲労回復までの時間がどう変わったか。細かな数字の羅列は、地味で、決して派手な成果に見えるものではなかった。
だが数日も経つと、確かな変化が見え始めた。
「……ねえ、これ見て」
ある夜、セラが羊皮紙を差し出してきた。数日分の記録を並べたグラフだった。
「踏み込みの速度、五日で一割近く伸びてる。顕在者ほどの伸び幅じゃないけど、無属にしては異常な速さよ」
俺はそのグラフを見つめた。まだ小さな変化だ。だが、確かに数字は嘘をつかない。積み上げたものが、少しずつ形になっていく実感があった。
「……これ」
セラが呟いた。声のトーンが変わっている。俺は顔を上げた。
「どうした」
セラは自分の書き写した表を、じっと見つめていた。何かを思い出すような、探るような目つきだった。
「この記録の付け方、成長曲線の描き方……なんだか」
彼女はそこで言葉を切り、少し戸惑ったような表情を浮かべた。
「…お父様の研究ノートに、似たような図があった気がする」
心臓が、大きく跳ねた。
「お前の父親は、顕在化の研究者だと言っていたな」
「ええ。でも、これは顕在化とは違う分野の話のはずなのに……なんでだろう。この、成長を強引に数値へ落とし込む発想そのものが」
セラは自分の記憶を辿るように、視線を宙にさまよわせた。
「どこかで、見た気がするの」
俺は何も言えなかった。無属戦役の記録は、既に大陸中で忘れ去られたはずの、過去の一戦術理論だ。まさか、この少女の父親が、それに触れていたというのか。
セラは首を傾げながら、まだ図を見つめている。
「気のせいかもしれないけど……気になるわね」
彼女の呟きが、静かな牢の中に響いた。
俺はその横顔を見つめながら、自分の胸の奥に、新たな緊張が芽生えるのを感じていた。
―この世界と、俺の知る過去は、思っていたよりずっと深く繋がっているのかもしれない。




