粗野な男
「おい、無属」
食事の配給列に並んでいると、背後から野太い声がかかった。
振り返ると、房の一角では見かけたことのある大男が立っていた。歳は三十代半ばだろう。刈り込まれた髭、鋼のような体つき。奴隷剣闘士にしては珍しく、堂々とした佇まいをしている。
「聞いたぞ、お前、ダロスを倒したんだってな」
「それがどうした」
「たまたまだろ、そんなもん」
男は鼻で笑った。周囲の剣闘士たちが、興味半分でこちらを見ている。
「顕在値もない無属が、銅級を崩せるわけがねぇ。イカサマでもしたか、それとも運が良かっただけか」
俺はこの手の絡みに慣れていた。前世でも、実力を証明するまでは何度も舐められた。
「どっちだと思う?」
「あ?」
「お前が知りたいのは、俺の実力そのものより、自分がこの先どう戦えばいいかの参考が欲しいだけだろう。だったら、聞き方を変えろ」
男の目が、僅かに見開かれた。
「……減らず口を叩く無属だな」
「事実を言っただけだ」
配給の列が進み、二人分の粥が椀に注がれる。俺が椀を受け取ろうとすると、男が肩をぶつけてきた。故意に、だ。粥がこぼれる。
「悪いな。手が滑った」
明確な挑発だった。だが俺は、こぼれた粥を見下ろしてから、静かに言った。
「わざとだろう。だったら、お前の分もこぼしてやろうか」
俺は男の椀を指差した。
「三日後、俺は次の格付け戦に出る。お前はいつだ」
「……なんの話だ」
「無駄な喧嘩で怪我をして、次の試合で不利になるのは俺じゃなくてお前だ、という話をしている。お前ほどの体格なら、上級興行への道もそう遠くないだろう。ここでつまらん因縁をつけて評価を落とすのは、お前自身にとって損だ」
男は黙り込んだ。周囲がざわつく。誰も、この大男に真正面から理屈で言い返す者などいなかったのだろう。
やがて、男は喉の奥で低く笑った。
「……面白ぇ奴だな。お前」
「リドだ」
「は?」
「俺の名前を聞く前に喧嘩を売る奴があるか。名乗れ」
男――は一瞬呆気に取られたあと、豪快に笑い出した。
「違ぇねぇ。俺はガロだ。元は帝国軍の下士官だったが、今はご覧の通り、この闘技場の飼い犬だ」
「元軍人が、なぜここに」
俺が問うと、ガロの笑みが僅かに翳った。
「……上官の不正を告発したら、逆に濡れ衣を着せられてな。気づいたら奴隷商人に売られてた。笑えるだろ」
自嘲するように言うガロの目の奥に、消えない怒りの残り火があるのを、俺は見て取った。
「その上官は、今も軍にいるのか」
「ああ。今頃どこかで、私腹肥やして出世でもしてんだろうよ」
「証拠はまだあるのか?」
ガロが、初めて驚いたような顔をした。
「証拠がなければ、告発は握り潰されて終わりだ。逆に、証拠さえ確保しておけば、いつか使い道が出てくる」
「……お前、何者だ」
セラに続いて、同じ問いを投げかけられる。俺は答えをはぐらかす代わりに、話題をずらした。
「持ってるのか、証拠は」
ガロは一瞬、探るような目でこちらを見たが、やがて胸元を軽く叩いた。服の下、肌身離さず何かを携えているらしい。
「まあな。使い道が見つかるまで、後生大事に持ってるだけだが」
「なら、腐らせるな。いつか役に立つ日が来る」
俺は椀の粥を口に運びながら、淡々と言った。ガロはしばらくこちらを見つめていたが、やがて、ふっと表情を緩めた。
「……お前、変な奴だな。無属のくせに、随分と落ち着いてる」
「落ち着いていなければ、生き残れない立場だからだ」
「違いねぇ」
ガロは自分の椀を持ち直し、俺の隣に腰を下ろした。周囲がざわつくのが分かる。この闘技場で一目置かれているガロが、新入りの無属と並んで座るなど、珍しい光景なのだろう。
「なあ、リドだったな」
「そうだ」
「お前、次の試合、どう戦うつもりだ」
「まだ相手が決まっていない」
「決まったら教えろ。俺が見てる分だけでも、参考になるかもしれねぇ相手なら、情報をやる」
「見返りは?」
「お前の頭の中を、ちっとばかし覗かせてもらう」
ガロはにやりと笑った。粗野な見た目に反して、その目には計算高さと同時に、確かな誠実さが見えた。
「……悪くない取引だ」
俺がそう答えると、ガロは満足げに頷いた。
「よし、決まりだ。ここでの生き残り方、教えてくれよ。お前の言う通りにやってみりゃ、少しはマシになるかもしれねぇ」
食堂の喧騒の中、俺はこの粗野で、しかし芯の通った男の存在を、静かに自分の中に組み込んでいった。
一人では積み上げられるものにも限りがある。だが…
(仲間、か)
かつて裏切られた記憶が、胸の奥でちくりと痛む。それでも今は、目の前にある確かな手応えの方を、信じてみることにした。




