旅立ち
自由民としての身分証を手にしたのは、それから十日後のことだった。
「…これが、私の名前」
セラは、羊皮紙でできた身分証を、両手で大切そうに抱きしめていた。そこには、彼女の名前とともに、亡き父の名も記されている。
「学者の娘、セラ。……堂々と名乗れる日が来るなんて、思わなかった」
ガロも、自らの身分証を懐にしまいながら、感慨深げに空を見上げた。
「元帝国軍人、ガロ。不名誉な除隊記録は、正式に取り消しにはなってねぇが……少なくとも、今は自由の身だ」
俺自身の身分証にも、"リド"という名が刻まれていた。前世の名ではない。だが今の俺にとって、それは紛れもない、自分の名前だった。
属州レーヴェクの門前、俺たちは最後にもう一度、この地を振り返った。
奴隷剣闘士として目覚めた場所。裏切りの過去と向き合い、新たな仲間を得た場所。多くのものを失い、それ以上のものを積み上げた、始まりの地。
「行くか」
ガロの言葉に、俺とセラは頷いた。
三人並んで、街道を歩き始める。目指すは、帝都近郊の都市―学者組合特別調査部の手がかりがあるという場所だった。
「これから先、どうやって旅を続けるの?」
セラの問いに、俺は少し考えてから答えた。
「剣闘士としての遠征試合も選択肢の一つだ。だが、それだけでは行動範囲が限られる」
「なら?」
「冒険者ギルドに登録する」
セラとガロが、揃って意外そうな顔をした。
「冒険者ギルド?」
「モンスター討伐や遺跡調査、護衛依頼を仲介する組織だ。剣闘士とは別に、実力に応じたランクが与えられる。依頼をこなしながら旅をすれば、資金も情報も、同時に得られる」
ガロが、感心したように頷いた。
「なるほどな。剣闘士としての看板だけじゃ、堅苦しい場面もあるだろうしな」
三日後、俺たちは最初の中継都市―ヴェルダという街に到着した。城壁に囲まれた、中規模の商業都市。属州レーヴェクとは違う、活気に満ちた空気が漂っている。
冒険者ギルドの建物は、街の中心部にあった。木造の大きな建物で、様々な種族、様々な装いの冒険者たちが出入りしている。
「登録は、こちらで」
受付の女性に案内され、俺たちは簡単な身体検査と、実技試験を受けることになった。
試験官の指示のもと、俺は模擬戦での実力を示した。剣闘士としての経験は、そのままここでも通用した。
「…F級にしては、随分と手慣れてますね」
試験官が、驚いたように言った。
「元は奴隷剣闘士でした」
「なるほど、道理で。……初期ランクはFですが、この調子なら、すぐにEへ上がれるでしょう」
セラとガロも、それぞれの適性に応じた登録を済ませた。ガロは前衛職として、セラは記録・分析の技能を活かした後方支援職として。
「これで、正式に冒険者だ」
ギルドを出た俺たちは、新しく手にした冒険者証を見つめた。
「なんか、剣闘士の時とはまた違う実感があるな」
ガロが、感慨深げに言った。
「命の危険は変わらないけどね」
セラが、苦笑しながら付け加えた。
その日の夕方、俺たちはギルドの掲示板で、依頼を探していた。
「これなんかどう? "近郊の森で、遺跡調査の護衛"。報酬も悪くないし、遺跡調査なら、学者組合絡みの情報も拾えるかもしれない」
セラが指差した依頼書を、俺は確認した。
「悪くない。受けてみるか」
依頼を受理し、ギルドを出ようとしたその時、入り口付近で、小さな騒ぎが起きていた。
「―だから、私は嘘なんてついてない!」
甲高い、しかし芯の通った女性の声。
俺は、その声の方向に、思わず目を向けた。
そこにいたのは、燃えるような赤い髪をした、若い女性冒険者だった。周囲の男たちに囲まれ、鋭い目つきで睨みを利かせている。
その瞳の色が―尋常ではない、深い紫色をしていることに、俺は気づいた。




