決戦前夜
ゼインとの奇妙な取引が成立してから、数日が経った。
側近の証言は、噂によればゼイン自身が「監査の重要参考人として拘束、事情聴取中」という名目で押さえ込んでいるらしい。表向きの平穏が保たれている間に、俺たちは計画の最終調整を進めていた。
「証拠の写し、全部で三部用意した」
セラが、羊皮紙の束を並べながら言った。
「一部は監査人本人へ。一部は、万が一の際の予備として、興行組合とは無関係の商人に預ける。もう一部は――」
「もう一部は?」
「私が、肌身離さず持っておく」
セラの声には、確かな覚悟が滲んでいた。以前の、怯えるような表情とは違う。
「お前の父親のノートは」
「別の場所に隠した。……もう、誰にも見つからない場所に」
俺は頷いた。この数週間で、セラは大きく変わった。ただの記録係の少女から、自らの意志で危険に立ち向かう一人の協力者へと。
「俺の方も、準備は終わった」
ガロが、胸元を軽く叩いた。
「上官の不正の証拠、いつでも出せる。あの野郎の顔を思い浮かべるだけで、腸が煮えくり返るがな」
「感情的になるな。証拠は、冷静に使ってこそ効果がある」
「分かってるよ、そんくらい」
ガロは苦笑しながら、拳を握りしめた。
俺は、二人の顔を順に見つめた。
「明日の大興行、俺たちが仕掛けるのは、これまでで最も危険な賭けだ。失敗すれば、俺たちだけでなく、監査人自身も危険に晒すことになる」
「分かってる」
セラが、静かに、しかし力強く頷いた。
「それでも、やる。父の研究を、あんな形で握り潰されたまま終わらせたくない」
ガロも頷いた。
「娘に会うためにも、ここで腐って終わるわけにはいかねぇ」
俺は、静かに息を吸い込んだ。
「なら、最終確認だ」
俺たちは、明日の段取りを、改めて一つ一つ確認していった。
俺が対戦相手ライオネルとの試合で"劣勢"を演じる時間。逆転の合図となる技。その瞬間に合わせて、セラが監査人の従者に証拠を渡すタイミング。ガロが、貴賓席の近くで待機し、万が一の混乱に備える配置。
全てを確認し終えた頃には、夜も更けていた。
「……なあ、リド」
ガロが、ふと呟いた。
「もし、明日全部上手くいったら、その先、お前はどうするつもりだ」
思いがけない問いだった。
「どういう意味だ」
「ヴィクトルを失脚させて、俺たちの立場がどうなるかは分からねぇ。だが、もし本当に自由を手にできたら―お前は、何をしたい」
俺は、しばらく考え込んだ。
前世での目標は、既に潰えている。信頼できる仲間と共に、頂点を目指すこと。それが今の、漠然とした目標だった。だが、その先に何があるのか、まだ明確な答えを持っていなかった。
「……まだ、分からない」
俺は、正直に答えた。
「だが、少なくとも一つだけ、はっきりしていることがある」
「なんだ」
「お前たちと、この先も一緒に歩みたいと思っている。それだけは、確かだ」
セラとガロは、顔を見合わせ、それから小さく笑った。
「柄にもないこと言うじゃない」
セラが、からかうように言った。だが、その目には、確かな温かさが宿っていた。
「決まりだな」
ガロが、満足げに頷いた。
「明日、全部ぶっ壊して、その先を一緒に見に行こうぜ」
俺は、静かに頷いた。
窓の外、夜空には、雲の切れ間から星が僅かに覗いていた。
大興行―収穫祭の夜。全てを賭けた戦いは、もう目前に迫っていた。
前世で培った全ての知識と経験、そしてこの世界で積み上げてきた全ての数字を、俺は今、この一夜に懸けようとしていた。
―積み上げてきたものが、本当の意味で試される時が来る。




