消される前に
異変が起きたのは、尋問の三日後の夜だった。
「リド、起きろ!」
ガロの切迫した声で、俺は飛び起きた。
「どうした」
「セラが……記録室に呼び出されたまま、戻ってこない」
心臓が、大きく跳ねた。時刻は既に深夜近い。記録係が、こんな時間に呼び出されることなど、これまで一度もなかった。
「呼び出したのは」
「分からねぇ。だが、看守の一人が、"総督閣下の直々のご命令だ"って言ってたのを聞いたって話がある」
嫌な予感が、背筋を這い上がった。
ヴィクトルが直接セラを呼び出す理由。それは、セラが余計な情報を掴みすぎたと判断された場合の、口封じ以外に考えられなかった。
「牢を抜けるぞ」
俺は即座に決断した。
「正気か。見つかりゃ、俺たちも終わりだぞ」
「セラが消されるより、遥かにマシだ」
ガロは、一瞬迷ったが、すぐに頷いた。
「……分かった。俺も行く」
夜間の闘技場付き施設は、警備が手薄になる時間帯があることを、俺はこれまでの観察で把握していた。看守の巡回のタイミングを読み、俺たちは牢を抜け出し、記録室のある棟へと向かった。
途中、裏口の警備兵に見つかりかけたが、ガロがその巨躯を活かして一撃で気絶させ、事なきを得た。
「―ここだ」
記録室に近づくと、中から言い争うような声が漏れ聞こえてきた。
「……お願いします、私はただ、記録を整理していただけです」
セラの声だった。震えている。
「知っていることを、全て話せ。誰の指示で、興行組合の裏帳簿を調べていた」
聞き覚えのある、低く冷たい声。ヴィクトルの側近だった。
「話さなければ、どうなるか分かっているな」
俺は、拳を強く握りしめた。頭に血が上りかける自分を、必死に抑え込む。
(冷静に。数で不利な状況で、感情のまま突っ込めば、全員が終わる)
俺は記録室の周囲を素早く観察した。窓が一つ、警備は入り口に二人。
「ガロ、入り口の二人を頼む。音を立てずにだ」
「合図は」
「俺が窓から入って、セラの安全を確保した瞬間だ」
ガロは、無言で頷いた。
俺は窓に近づき、慎重に隙間を作って中へ滑り込んだ。薄暗い記録室の中央で、セラが椅子に縛り付けられ、側近らしき男が彼女を睨みつけていた。
「話す気になったか」
「……知りません、本当に」
セラの声は震えていたが、その目には、まだ抵抗の意志が宿っていた。
俺は音もなく背後に回り込み、男の首筋に鈍らを突きつけた。
「――動くな」
男が息を呑む。
「な――」
「大声を出せば、次の瞬間には終わりだと思え」
俺は静かに、しかし確かな圧を込めて言った。
その隙に、外からガロが入り口の警備を制圧し、記録室に飛び込んできた。
「セラ!」
「ガロ……! リドも……!」
セラの目に、涙が滲んだ。
俺は素早く彼女の縄を解いた。
「大丈夫か」
「……ええ、なんとか」
セラは震える声で答えながらも、気丈に立ち上がった。
「時間がない。ここを離れるぞ」
俺たちは縛り上げた側近を記録室の奥に押し込め、来た道を引き返した。幸い、追手はまだかかっていない。
牢に戻り着いた頃には、夜が明けかけていた。
「……ありがとう、二人とも」
セラが、疲れ切った声で言った。
「本当に、殺されるかと思った」
「あの側近、口封じのつもりだったんだろう。裏帳簿の件、俺たちが思っていた以上に、ヴィクトルは追い詰められている」
俺は静かに言った。
「これで、はっきりした。ヴィクトルは、俺たちを…少なくともセラを、危険な存在だと認識している」
ガロが、拳を握りしめた。
「もう、遠慮する必要はねぇな」
「ああ」
俺は、静かに、しかし確かな決意を込めて頷いた。
「大興行までに、決着をつける。ヴィクトルの不正も、俺たちの安全も―このまま黙って待っているわけにはいかない」
窓の外、夜明けの光が、静かに牢の中に差し込み始めていた。
嵐は、もう目前まで迫っていた。




