記録係への尋問
その日、俺は鍛錬中に妙な胸騒ぎを覚えていた。理由のない不安ではない。前世で培った、危機を察知する感覚だった。
「セラの姿が、見当たらない」
昼過ぎになっても、いつもの時間にセラが記録を届けに来なかった。ガロも眉をひそめる。
「…珍しいな。あいつが遅れるなんて」
俺たちは、看守の目を盗んで記録室の方角を窺った。だが、部外者の奴隷剣闘士が近づける場所ではない。もどかしい時間が過ぎていく。
夕刻になって、ようやくセラが牢の前に姿を現した。顔色が悪い。
「セラ、何があった」
「……ゼインに、呼び出された」
セラの声は、微かに震えていた。
「記録係としての職務について、色々と聞かれたわ。特に――あなたの試合記録を、なぜあれほど詳細に取っているのか、って」
心臓が、重く沈んだ。
「何と答えた」
「無属が銅級以上を破った試合だから、興行組合として記録価値が高いと判断した、って。……表向きは、正当な理由になってるはず」
「信じたか、あの男」
「分からない。でも」
セラは、一度言葉を切った。
「途中から、質問の内容が変わったの。あなたのことじゃなく―お父様について」
俺は息を呑んだ。
「なぜ、お前の父親のことを」
「興行組合の古い記録を漁った際に、私の身元も分かったんだと思う。学者の娘が、なぜ記録係に落ちぶれたのか。……そこから辿ったんでしょうね」
セラの手が、微かに震えていた。
「怖かった。あの人の目、まるで全部見透かされてるみたいで」
「何を聞かれた」
「父の研究が、無属戦役に関するものだったかどうか。それだけ」
「答えたのか」
「……分からない、って答えた。父がいなくなった時、私はまだ子供だったから、詳しいことは何も知らない、って」
セラは、自分の手を握りしめた。
「嘘は、ついてない。本当に、詳しいことまでは知らないから」
「賢明な判断だ」
俺は、静かに言った。
「下手に隠そうとすれば、逆に怪しまれる。知らないものは知らないと言い切る方が、時に一番安全だ」
セラは、僅かに肩の力を抜いた。
「……リド」
「なんだ」
「私、怖いの」
セラの声が、初めて弱々しくなった。
「お父様がいなくなった時と、同じ空気を感じる。もし私まで連れて行かれたら―」
俺は、格子の隙間から、彼女の手にそっと触れた。
「そうはさせない」
「ッ?」
「約束する」
セラは、驚いたようにこちらを見つめた。俺自身、その言葉に驚いていた。前世で裏切られて以来、誰かにこれほど強く約束するのは、初めてのことだった。
「……ありがとう」
セラは、小さく微笑んだ。それは、これまで見た彼女の表情の中で、最も柔らかいものだった。
その夜、ガロが低い声で言った。
「なあ、リド。セラを守るってのは、本気か」
「本気だ」
「そうか。なら、俺も守ろう。それが、俺の役目だな」
ガロは、拳を握りしめた。
俺は、二人の顔を見つめながら、胸の奥に確かな決意が固まっていくのを感じていた。
前世で失ったもの。裏切られた記憶。それでも今、目の前にいる二人を、俺はもう一度、心から守りたいと思っている。
―積み上げてきたのは、数字だけじゃない。
窓の外、夜風が乾いた砂の匂いを運んでくる。収穫祭までの日々は、確実に、しかし静かに、緊張の糸を張り詰めさせていった。




