収穫祭の足音
属州レーヴェクの空気が、少しずつ変わり始めていた。
街の至る所に、収穫祭の飾り付けが施されていく。麦の穂を編んだ輪飾り、色とりどりの布。奴隷剣闘士である俺たちには縁のない祭りのはずだったが、それでも、この時期だけは、街全体が浮き立つような空気に包まれる。
「収穫祭ってのは、そんなに特別なのか」
俺がガロに尋ねると、彼は苦い顔で頷いた。
「双子神の一柱、ヴァロス様に捧げる年に一度の大祭だ。豊穣を祝うと同時に、力ある者を讃える意味合いもある。……だから、大興行が組まれる」
「力を讃える、か」
「表向きはな。実際は、賭博と血に飢えた連中の見世物だ」
ガロの言葉には、隠しきれない苦さがあった。
その日の午後、俺は再びヴィクトルの控えの間に呼び出された。
「大興行の対戦カードが決まった」
ヴィクトルは、いつもの退屈そうな表情で告げた。
「お前の相手は、隣の属州から招聘した金級剣闘士、ライオネル。だが――」
彼は言葉を切り、酒杯を傾けた。
「今回は、少々"演出"を加える」
「演出、とは」
「観客を沸かせるための段取りだ。序盤はお前が劣勢に見えるように立ち回れ。それから、土壇場で逆転する。……賭け率を弄るための、興行側の都合だ」
俺は、静かにヴィクトルを見つめた。
「拒否権は」
「先日も言ったはずだ。ない」
ヴィクトルの声に、有無を言わさぬ圧があった。
俺は一礼して、控えの間を後にした。だが、内心では強い苛立ちが渦巻いていた。
命懸けの戦いを、賭博の駒として弄ばれることへの怒り。だが同時に、冷静な部分が別のことを考えていた。
(この"演出"、逆に利用できないか)
牢に戻った俺は、セラとガロにヴィクトルの要求を伝えた。
「……ふざけた話ね」
セラが眉をひそめる。
「でも、待って。もし本当に台本通りに"劣勢を演じる"必要があるなら――」
彼女の目が、鋭く光った。
「その"劣勢"の演技、逆にゼインの目を欺くのに使えるかもしれない」
「どういうことだ」
「ゼインは、あなたの実力に違和感を持ってる。もし大興行で"予定通りの苦戦"を見せれば、彼の疑念を、少しは逸らせるかもしれない」
俺は、セラの発想に感心した。
「なるほど。ヴィクトルの茶番を、こちらの都合のいいように利用する、というわけか」
「一石二鳥、ってやつだな」
ガロが、にやりと笑った。
「ただし」
俺は釘を刺した。
「本当の実力は、決して見せすぎない。ゼインに対しても、ヴィクトルに対してもだ。俺たちの手札は、まだ隠しておく必要がある」
二人は真剣な顔で頷いた。
その夜、鍛錬を終えた俺は、一人、牢の窓から夜空を見上げていた。
収穫祭まで、あと一月。積み上げてきた数字は、確実に俺を強くしている。だが同時に、周囲を取り巻く陰謀と危険も、日に日に色濃くなっていた。
ヴィクトルの不正。ゼインの追及。影楔という組織の影。
それら全てが、収穫祭という一つの舞台に向かって、収束していく予感があった。
(積み上げてきたものが、ここで試される)
俺は拳を握りしめ、静かに息を吐いた。
前世で何百人もの弟子を送り出してきた経験が、そう告げていた。―大きな山場の前は、いつも静かに、しかし確実に、緊張が高まっていくものだと。




