金級への切符
「金級昇格戦、相手が決まったぞ」
看守が貼り紙を手に、俺たちの房の前で足を止めた。
『金級昇格戦 リド 対 金級剣闘士バルドー(通称・不敗の壁)』
「不敗の壁……?」
セラが眉をひそめる。
「属州レーヴェク始まって以来、一度も敗北記録のない剣闘士よ。ここ五年、無敗」
「五年、無敗……」
ガロが低く唸った。
「厄介だな。しかもここ最近は、大興行の前哨戦として、格上との対戦を組まれることが多くなってる。ヴィクトルの興行、露骨に盛り上げにきてやがる」
俺は貼り紙を見つめながら、静かに思考を巡らせた。
「バルドーの戦績記録は」
「あるだけ全部持ってきた」
セラが羊皮紙の束を広げる。五年分の試合記録――膨大な量だ。だが、これまでの積み上げがある今なら、読み解けないものではない。
三日間、俺たちは寝る間も惜しんでバルドーの分析に没頭した。
「……見えてきた」
四日目の夜、俺はようやく一つの傾向を見出していた。
「バルドーは、防御型の戦い方をする。相手の攻めを受け切り、隙を見て一撃で仕留める。五年間無敗なのは、この戦い方が完成されているからだ」
「なら、どう崩す?」
ガロの問いに、俺は少し考えてから答えた。
「受け切られることを前提にした攻めを、繰り返す。一撃で仕留められない程度の、小さな攻めを積み重ねる」
「消耗戦ってことか」
「いや、違う」
俺は木炭で図を描いた。
「五年間、彼は"受けて一撃で仕留める"戦い方を貫いてきた。つまり、"受けても一撃で終わらない"展開を、彼はほとんど経験していない」
セラが目を見開いた。
「未知の状況に弱い、ってこと?」
「可能性はある。だが、確証はない。当日、実際に試してみるしかない」
昇格戦当日。闘技場は、これまで以上の熱気に包まれていた。「不敗の壁」対「無属の新星」という構図が、観客の興味を強く引いていたのだろう。
「対戦相手、金級剣闘士バルドー!」
現れたのは、筋骨隆々というよりは、無駄のない体つきをした中年の男だった。構えを見ただけで、圧倒的な経験の厚みが伝わってくる。
「始め!」
俺は最初から、小さな攻めを連続させる戦法を取った。深く踏み込まず、浅い間合いで牽制のような一撃を繰り返す。
バルドーはそれを、危なげなく受け続けた。予測通りの動き。だが、俺が本当に見たかったのは、彼が"受けきった後"の反応だった。
五合、十合、十五合と攻めを重ねる。バルドーの表情に、僅かな変化が見え始めた。
(―来た)
これまで一撃で終わらせてきた戦いにはなかった、"持続する緊張"。彼の呼吸のリズムが、微かに乱れ始めている。
俺は攻めの密度をさらに上げた。焦らず、しかし着実に。
二十合を超えた頃、バルドーの鉄壁に、初めてわずかな綻びが走った。
甲高い金属音が何度も響き、火花が夜空のように散る。
ガギィンッ!!
俺の鈍らは何度弾かれても止まらない。
一歩踏み込み、斬る。
弾かれる。
すぐに踏み込み、また斬る。
その繰り返し。
受ける。受ける。受ける。
五年間、誰一人として破れなかった防御。
だが、人は”攻め続ける”ことよりも、“受け続ける”ことの方が、遥かに消耗する。
ほんのわずか。
ほんの指一本分だけ。
バルドーの剣先が流れた。
――今だ。
俺は地面を蹴り砕く勢いで踏み込み、剣を振り抜く。
ギィィィィンッ!!
渾身の一撃を、バルドーは辛うじて受け止める。
……だが、そこで終わらない。
弾かれた勢いを利用し、そのまま体を捻る。
二撃目。
三撃目。
四撃目。
まるで嵐のような連撃が、防御を次々と叩き続ける。
「くっ……!」
初めて、バルドーの表情が歪んだ。
足が半歩、後ろへ滑る。
その半歩。
その一瞬の乱れを、俺は見逃さなかった。
踏み込み。
剣を潜らせ。
鈍らの切っ先が、バルドーの喉元へ吸い込まれるように伸びる。
ピタリ――。
刃は皮膚に触れる寸前で止まっていた。
静寂。
「ッ……そこまで、だな」
バルドーはゆっくりと息を吐き、静かに敗北を認めた。
会場は、一瞬、誰も声を出せなかった。
信じられないものを見たように、全員が立ち尽くす。
そして――
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
地鳴りのような歓声が、闘技場を揺らした。
「勝者ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! リィィィィドォォォォォォォォォォォォ!!!!」
五年間、無敗。
誰も届かなかった男を。
無属の少年、リドが打ち破った。
その瞬間は、伝説の始まりとして、属州中へ瞬く間に語り継がれていくことになる。
控室に戻ると、セラが興奮を隠しきれない様子で駆け寄ってきた。
「やった……! 本当にやったのね!」
「積み上げの結果だ。お前とガロがいなければ、成立しなかった」
「柄にもないこと言うじゃない」
セラは照れくさそうに笑った。
その夜、俺は久しぶりに、心の底からの充足感を覚えていた。金級への到達。それは、頂点までの道のりの、確かな一歩だった。
だが、その充足感に水を差すように、看守が険しい顔で牢に駆け込んできた。
「リド、大変だ……監査人の到着予定が早まった。しかも」
「しかも?」
「監査人の随行に、帝都の諜報機関の関係者がいるって噂だ。名前は分からんが……お前と同じくらいの歳の、剣を帯びた男だとか」
心臓が、大きく跳ねた。
貴賓席で見た、あの気配。ようやく形になろうとしている予感に、俺は静かに拳を握りしめた。




