監査人の影
「見つけた」
三日後の夜、セラが息を切らせて牢に駆け込んできた。手には、いつもより分厚い羊皮紙の束を抱えている。
「興行組合の書庫、めちゃくちゃ厳重だったけど……記録係の権限、フルに使わせてもらったわ」
「危険な真似を」
「今更よ。それより、これ見て」
セラは羊皮紙を格子の隙間から差し出した。数字と紋章が並んだ、帳簿の写しだった。
「ヴィクトル総督の私的な支出記録。表向きは『特別警備費』って名目だけど、この振込先……興行組合の正式な取引先リストに載ってない」
俺は羊皮紙に目を凝らした。見慣れない符丁が、金額の横に几帳面な字で記されている。
「この符丁、以前見せてもらった帳簿にもあった」
「そう。……何度も出てくるの。しかも、金額が動くタイミングが、決まって大きな興行の前後」
セラの声には、隠しきれない緊張があった。
「監査人が来るって話、あれも絡んでるかもしれない。表向きは興行組合本部からの視察だけど……もし、この不正資金の流れを調べに来るんだとしたら」
「ヴィクトルは、追い詰められている」
俺は呟いた。先日、控えの間で感じた違和感が、ようやく形を成し始めていた。
「なら、俺たちにとってはむしろ好都合かもしれない」
「好都合?」
「ヴィクトルの不正が暴かれれば、この属州の統治体制そのものが揺らぐ。俺たちのような奴隷剣闘士の待遇も、変わる可能性がある」
セラは複雑な表情を浮かべた。
「……そう単純にいくかしら。こういう連中は、追い詰められるほど手段を選ばなくなる」
その言葉は、正しかった。
数日後、俺たちの動きを察知したのか、興行の管理体制が急に厳しくなった。夜間の書庫への出入りが禁止され、剣闘士同士の私語すら監視の目が強まる。
「まずいな……」
ガロが眉をひそめる。
「ヴィクトルの野郎、何かに勘づいたか」
「あるいは、もとから神経質になっていただけかもしれない」
俺はそう言いながらも、内心では警戒を強めていた。もしヴィクトルが本当に何かの陰謀―影のような組織との繋がりを持っているのなら、俺たちの調査そのものが、命取りになりかねない。
その夜、鍛錬の合間、俺はセラとガロに、これまで積み上げてきた記録を改めて共有した。
「大興行まで、あと一月半。俺たちがやるべきことは二つだ」
「二つ?」
「一つは、俺自身の戦力を、金級に見合う水準まで引き上げること。もう一つは…」
俺は羊皮紙に書かれた符丁を、木炭でなぞった。
「この符丁の正体を、慎重に探ること。ただし、表立って動くのは危険だ。セラ、書庫の調査は一旦控えろ」
「でも」
「代わりに、監査人が来た時のために、動かぬ証拠だけを、今ある情報の中から整理しておいてくれ。派手に動く必要はない」
セラは少し不満げだったが、やがて頷いた。
「分かった。……気をつけてよ、リド」
「ああ」
ガロが横から口を挟む。
「俺は何すりゃいい」
「お前は、大興行に向けた戦術面での相談役だ。それに…」
俺はガロを見た。
「お前の持っている証拠。使い所が、思ったより早く来るかもしれない」
ガロの目が、僅かに見開かれた。
「本気か」
「まだ確証はない。だが、この属州の腐敗が表沙汰になる日が来るなら、お前の証拠も、大きな意味を持つはずだ」
ガロは拳を握りしめ、静かに頷いた。
「……分かった。いつでも動けるようにしとく」
その夜、鍛錬を終えた俺は、一人、牢の窓から夜空を見上げていた。
大興行、監査人、ヴィクトルの不正資金―そして、貴賓席で見た、あの気配。
一見バラバラに見える出来事が、少しずつ、一つの大きな流れへと収束していくような予感があった。
前世で培った勘が、そう告げている。
(嵐の中心は、まだ見えない。だが、確実に近づいている)
俺は拳を握りしめ、静かに息を吐いた。
積み上げてきた数字が、この先の戦いでどこまで通用するのか。それを試される日が、刻一刻と迫っていた。




