7:最適化された駒
カウンターに座った私は、頬を両手でパンと叩いた。
冷たい石の壁が、この街の過酷さを物語っている。
リープを終わらせる方法など、私の手帳のどこにも記されていない。
ただ一つ、何としてもアルトを生き残らせなければならないという義務感だけが、私の心臓を動かす燃料となっていた。
それがたとえ、魔王という名の理不尽な災厄を相手にしたとしても。
すべては私の平穏な日常のため。
そう、私のため。
大きく深呼吸をして、冷徹な事務員としての自分を起動する。
街の鐘の音と共に、ギルドの重厚な扉が開かれた。
リープ四十回目、開幕。
◇◇◇◇◇
扉を通って、いつもの喧騒がなだれ込んでくる。
それは私にとって、最も退屈で、最も愛しい日常の調べだ。
そして人混みをかき分け、一人の若者が私のカウンターの前に立った。
記憶の深淵に刻まれた、あまりにも見慣れた光景。
まるで古い映画を何度も繰り返し観ているような錯覚に陥る。
「すみません。冒険者登録をしたいんですけど。」
机の下から用紙を取り出し、滑らかに差し出す。その所作には一点の曇りもない。
「では、カードを作成しますので、こちらに記入してください」
教本のページに挟んだ古びたしおりを指でなぞる。この儀式だけは、何度繰り返しても肌に馴染む。
私の脳内には、半年後までやらなければならない全てのタスクが、完璧なタイムラインとしてデータベース化されている。
アルトを誘導し、適切なタイミングで介入する。
まずやらなければならないのは、彼を訓練漬けにすることだ。
「この先の計画を話します。」
私は彼を説得し、二週間の地獄の訓練を課した。
すべては予定通り。
この二週間を確保することで、のちに起こる死の連鎖を断ち切るための猶予が生まれる。
訓練担当の職員に『罠発見』を指導させるための根回しは、ランチ休憩の隙を狙って済ませた。
私の事務的な交渉術は、この街で培われた唯一の武器だ。
二週間の訓練を終えたアルトは、前回までの彼とは見違えるような精悍さを身に付けていた。
順調だ。パズルのピースは、滞りなく正しい位置にはまっている。
◇◇◇◇◇
一カ月後。<ゴブリン討伐>のオーダーを掲示板へ出すタイミングを、私はミリ単位で調整した。
前回、無関係なパーティが割り込んできてブーツを奪われたあの苦い経験を、私は二度と繰り返さない。
他の冒険者が介入する余地など与えない。
私は特定のベテランたちを遠方の街道掃除へ送り出し、彼らが戻ってくるまでの黄金の三日間を、アルトに独占させた。
三日後、泥と返り血に塗れながら、彼は魔法のブーツを携えて帰還した。
「依頼、完了しました」
その声には、以前にはなかった確かな自信が宿っている。
よし。まずはひとつめ。
私はカウンターの下で、小さくガッツポーズをした。
感情を捨て、ただ事務的に清算を済ませる。
私の笑顔は完璧だ。彼がこのブーツで敏捷性を得れば、斥候としての生存率は飛躍的に向上する。
◇◇◇◇◇
ブーツ入手からさらに一カ月。
<新しく見つかった洞窟の地図作成>のオーダーが発生した。
彼が身に付けた『罠発見』の技術は、着実に彼の血肉となっているはずだ。
前回は四日かかった帰還が、今回は三日。
早まる帰還報告に微かな不安がよぎる。
予測を超えた成長は、時に運命の軌道修正を招くからだ。
彼が持ち帰った小手を確認し、私はまた一つ、私の駒を強化した。
だが、小さな違和感は拭えない。
オーダーの発生時期、冒険者のわずかな言動、ギルドの空気感。
何十回ものリープを重ねた私でさえ、完全に把握しきれない『ノイズ』が混ざり始めている。
アルトの成長が、私の描いた絵図を少しずつ、しかし確実に書き換えているのだ。
・・・介入は最小限に。
これ以上は、盤面を崩しかねない。
私は自戒を込めて、ポケットの中のメモ帳を握りしめた。
◇◇◇◇◇
二カ月後、ネックレス回収の依頼が発生した。
これまで剣とブーツと小手、この三つをすべて揃えたことは一度もない。
果たして彼は、運命という名のバグを突破できるのか。
数日後、返り血に濡れた剣を腰に下げ、アルトはギルドに帰還した。
悪い予感は、杞憂に終わった。
私は安堵のあまり、椅子の上で背筋を伸ばす。これで魔王国侵攻への準備は、完璧に整った。
◇◇◇◇◇
剣を手に入れたアルトは、急速に頭角を現した。
あっという間にEランクからDランクへと昇格。今や彼は中堅どころか、このズォルのギルドにおける最高戦力の一角と言われるまで成長した。
小手の魔法効果と、彼が手に入れた剣の鋭さ。その相乗効果は凄まじい。
相変わらずソロ中心ではあるが、他のパーティからも引っ張りだこで、ホールでは常に誰かと同行の話をしている。
「・・・成長したわね。」
他の冒険者と肩を並べてギルドを出て行く彼を見送りながら、私は不意に独りごちた。
かつては私の誘導なしには野草ひとつ採取できなかった青年が、今や皆に頼られる冒険者になっている。
思わず、フフっと笑みが零れた。
事務的なはずの私の心臓が、少しだけ温かい熱を帯びていることに、その時は気づいていなかった。
いや、気づかない振りをしていたのかもしれない。
アルトの存在は、今の私にとって唯一の『変数』だ。
彼が強くなればなるほど、この街の防衛戦は、ただの死の行進から、勝利の凱旋へと変貌を遂げる可能性がある。
私の計算式において、彼という駒はもはや『守るべき対象』から『戦況を覆す最強の刃』へと進化していた。
そして2か月後。
魔王国がズォルへ侵攻をしてきた。




