5:生存の条件
ブーツを入手してから一カ月が経過した。
ギルドで見かけるアルトの足取りは、魔法のブーツの恩恵か、以前よりも目に見えて軽やかになっている。
私の「事務処理」による誘導は、概ね成功していると言っていい。
だが、運命というパズルは、一枚のピースを動かすだけで、全体の絵柄が微妙にゆがむものらしい。
彼がブーツを手に入れたことで、私の記憶にある予定調和に少しズレが生じている。
これまでなら滞りなく進んでいた依頼の完了報告が遅れたり、彼が予期せぬ場所で立ち止まったりする。
そのたびに私の心拍数は跳ね上がるが、それでもアルトは死なずに駆け抜けた。
次は、<新しく見つかった洞窟の地図作成>のイベントだ。
私は気を引き締め、この新たな難関に備えた。
しかし、現実は甘くなかった。
私は前回と同じ手順で彼を誘導し、オーダーを受注させたが
―――アルトは洞窟内で落石の罠に巻き込まれ、呆気なく命を落とした。
落石。不意の死。
考えてみれば当然だった。
今の彼には、死の匂いを察知する「斥候」としての教育が欠けている。
冒険者としての地力は上がっても、狡猾な罠を見抜く技術がなければ、この先生き残ることはできない。
斥候職なら、ギルドにいる元冒険者の職員に心当たりがある。
彼に頼み込み、アルトに基礎を叩き込めば、生存率は飛躍的に上がるはずだ。
◇◇◇◇◇
39回目のリープ。
私は手慣れた動作でアルトの登録を済ませる。
教本のページを開き、規定を説明する。
もはや台詞の一つひとつまで暗記してしまっているが、この古びたしおりを指でなぞりながら説明するのが、私の―――繰り返すループの中での唯一の儀式だ。
「……大分、汚れたわね。」
独りごちて、私は最初の二週間にオーダーを一切入れないという賭けに出た。
最初の七日間は戦闘の基礎訓練。残りの七日間は、斥候としての生存訓練。
アルトは早く冒険者として稼ぎたいと焦っていたが、『まずは生き残る術を身に付けるのが、最優先』と、冷徹に言い聞かせて説得した。
二週間の地獄のような訓練を終えたアルトは、以前よりも引き締まった顔つきをしていた。
訓練を指導した職員によると、彼は『忍び足』と『罠発見』を習得したという。罠解除まで教える時間はなかったらしいが、上出来だ。
訓練の効果は、目に見えて現れた。
その後の依頼で、彼の動きに無駄がなくなったのだ。
ただ、その代償か、私の記憶にある過去の出来事と、微妙に異なる事象が発生し始めている。
私の頭の中には膨大な世界線の記憶がある。
それらが複雑に絡み合い、変化していく様に、私は微かな恐怖を覚えた。
◇◇◇◇◇
訓練から一カ月後。
アルトがゴブリン討伐の依頼を受注しようとした際、予期せぬトラブルが発生した。
よりにもよって、他のベテラン冒険者パーティが偶然その現場を通りかかり、アルトの獲物をすべて排除してしまったのだ。
当然、目的のブーツも彼らに持ち去られた。
「・・・失敗です。」
報告に来たアルトの肩を落とした姿を見て、私は静かに息を吐く。
ここでリープを発生させるべきか?
いや、まだだ。彼自身の成長は著しい。
私はギルドを出ていく彼を見送る。
その背中は、新人の頃の頼りなさとは別人のように、力強さを宿していた。
まだ小手のオーダーが残っている。
あそこで確実にアイテムを回収すれば、半年後の防衛戦をきっと突破できる。
◇◇◇◇◇
一カ月後、<新しく見つかった洞窟の地図作成>のオーダーが発生した。
今回こそ失敗は許されない。
私は直接、彼に依頼書を手渡した。
「罠に注意して。」
そう一言だけ告げた私の声は、我ながら事務的で冷たいものだった。
あとはアルトが身に付けた技術を信じるしかない。
昼過ぎ、夕刻と時間が過ぎ、ギルドに静けさが訪れても、アルトは現れなかった。
地図作成は骨の折れる作業だ。きっと洞窟を独りで歩き回っているのだろう。
その日は戻らなかった。次の日も、その次も。
私の心臓が、少しだけ早鐘を打つ。手帳には何も追記されていない。
リープも発生していない。
つまり、彼は生きている。
四日目の昼前、ようやくアルトがギルドの扉をくぐった。
「おかえりなさい。」
カウンターにやってきた彼は、疲労困憊の様子だったが、無事にオーダーの紙と、手書きの地図を差し出した。
地図には、丁寧に『×』印が記されている。
「これは?」
「罠です。・・・全部じゃないですけど、見つけたところに印をつけておきました。」
『罠発見』が、完璧に機能したのだ。
私は心の中で安堵の溜息を漏らしつつ、淡々と清算を行う。
彼が持ち帰った小手を、私はそのまま彼に返した。
「これはあなたが使いなさい。清算は不要です。」
◇◇◇◇◇
小手を入手してからのアルトの躍進は目覚ましかった。
ソロでの攻略に加え、時にはパーティの応援として名を上げ、ギルド内での評価も確実なものになっていく。
小手入手から二カ月後、ついにあの<小鬼の洞窟で行方不明になった冒険者からのネックレス回収>のオーダーが舞い込んだ。
アルトは難なく達成した。
夕暮れ時、大振りの剣を携えて帰還した彼の姿は、泥と返り血にまみれていたが、その瞳には明確な光が宿っている。
私はいつものように、事務的に剣の保持を促し、報酬を渡した。
これで準備は整った。
小手、剣。そして、彼自身の確かな生存技術。
―――もうすぐ魔王軍がこの街に侵攻してくる。
その未来を知っているのは私だけ。
私の一介の受付嬢としての権限では、この街の運命を変えることはできない。
けれど、盤上の駒である彼を、最強の一角を担える駒へと鍛え上げた。
◇◇◇◇◇
やがて、その日は訪れた。
街の鐘が鳴り響く。重苦しい警報の音色が、損耗街ズォルに響き渡る。
魔王軍の侵攻に伴い、ギルドの掲示板に1枚だけ依頼書が張り出された。
王国軍による防衛戦。すべての冒険者に等しく突きつけられる、強制参加のギルドオーダーだ。
私はカウンターの奥で、静かにその書類を見つめた。
私の管理下にある、冒険者アルト。
彼が運命という名の将軍と対峙する、その時が来たのだ。




