4:真実の告白
リープ37回目。
アルトが冒険者になってから、ちょうど一カ月が経過した。
私の記憶という名のパズルは完全に完成しており、今日、彼がゴブリン討伐の依頼を受けることは必然のルートとして組み込まれている。
―――リープのことを、正直に話してみようか。
ふと、そんな衝動が脳裏を過った。
これまで一度も試したことはない。
彼に真実を告げることが、運命を狂わせる禁忌のように感じていたからだ。
だが、この袋小路から抜け出すためには、今の彼との関係性に少しだけ『ノイズ』を混ぜる必要があるのかもしれない。
◇◇◇◇◇
「アルトさん。」
朝の喧騒の中、私はカウンター越しに彼を呼び止めた。
「少しお話したいことがあります。オーダーを受注する前に、あちらで待っていていただけますか?」
ホールの一番端、誰にも聞かれない席を指し示す。彼は一瞬だけきょとんとしたが、すぐにおとなしく頷いた。
忙しない依頼受付が一段落し、カウンターの列が途切れるのを待つ。
私は冷徹な仮面を貼り直したまま、事務的に席を立った。
「お待たせしました。」
向かい合うように座った彼の表情には、微かな戸惑いがある。
「あの・・・僕、何か規則違反でもしましたか?」
あたりまえか・・・。
ギルドの職員から直接呼び出されるなんてめったにないものね。
不安そうに私を見つめるその瞳。私は大きく息を吸い込み、あえて機械的に言葉を紡いだ。
「いえ。そういうわけではありません。
ただ、これから話すことは・・・にわかには信じられないかもしれませんが、すべて事実です。」
私は彼から少しだけ視線を逸らし、淡々と告げた。
「アルトさん。・・・あなたは、死に戻りを繰り返しています。」
「はぁ・・・っ?」
アルトが声を漏らし、周囲を怯えるように見渡す。私は無言で人差し指を口元に立てた。
「信じられなくて当然です。あなたにはその記憶がない。
ですが、あなたが死ぬと、この冒険者登録の日の朝に戻ります。
その異常な連続性を記憶しているのは、おそらく私だけ。」
淡々と、教本のページをめくるように状況を説明していく。
オオカミに襲われたこと。斥候隊に殺されたこと。私がどれほど裏で糸を引いてきたか。
アルトの顔はみるみるうちに青ざめていき、隠そうともしない手の震えが、テーブル越しに伝わってくる。
「・・・俺が、何度も死んでる?」
「ええ。あなたが街の空気を吸い、訓練場へ通い、あるいは採取に出向く。
そのすべての行動が、この街の理不尽な死の罠に絡め取られている。
私はそれを、ただひたすらに修正し続けているだけ。」
私は自分の手元を指先でなぞる。
そこには、数え切れないほどの「失敗」の記憶が、事務処理のログのように刻まれているのだ。
「この先も、ずっと・・・?」
「・・・今から、五カ月先までは。」
私の言葉に、彼は深くうつむいた。その肩が、小さく震えている。
「・・・僕は、これから何をすればいいんですか。受付嬢さんは、何のためにそこまで・・・。」
私はポケットから一枚のオーダーを差し出した。
彼の質問には答えない。
事務的な私の役割は、問いに答えることではなく、生存確率を上げることだからだ。
「これを受けてください。
戦利品に、魔法効果のあるブーツが含まれています。
今のあなたには過酷な依頼ですが、生き残るために必要な装備です。」
アルトは震える手でオーダーを受け取り、蚊の鳴くような声で「・・・明日、受注します」と答えた。
次の日。
朝の光とともに目覚めた私は、いつものようにポケットからメモ帳を取り出した。
―――そこに刻まれた文字を見た瞬間、心臓が凍りついた。
『37 セシリアがアルトに真実を語る』
アルトの死因は書かれていない。けれど、メモが更新されているという事実。
それはつまり、彼が死んだということではない。
―――真実を告げたことそのものが、運命にとって許されざる『エラー』だったのだ。
「伝えたら、ダメだった・・・なんて。」
私の心臓が、嫌な音を立てて波打つ。
真実という重荷を負わせたことが、彼を精神的に追い詰め、生存の判断を鈍らせたのか。
それとも、運命は『告白』という行為そのものを過ぎた介入として検知し、即座にリセットをかけたのか。
答えは分からない。ただ一つ確かなのは、私の事務的な推論が、決定的に外れたということだ。
「・・・もう一度」
私はぐっと拳を握り、自分の頬を強く叩いた。
38回目のリープ。私の日常は、またしても冷たく巻き戻った。
◇◇◇◇◇
リープ38回目。
すでに私の意識は、街の動きを完璧にトレースする最適化プログラムと化していた。
誰がどのタイミングで列をなすか。
どのタイミングでギルド長が話しかけてくるか。
カウンターの奥で転がるインク瓶の位置まで、すべてが私の頭の中のデータベースに構築されている。
「最近のセシリアって、なんかすごいわね。書類整理も早いし、冒険者さんたちのフォローも完璧だし。」
隣の受付嬢が感心したように声をかけてくる。
「・・・まあ、三年もこの窓口に座っていれば、ある程度は先が読めるようになる・・・からね。」
私は笑ってごまかす。誰も知らない。
この街の動きを熟知しているのは、私が呪いのように何十回もやり直しているからだ。
・・・・・
アルトが冒険者登録をして一カ月。
前回失敗した地点に、私は再び戻ってきた。
「アルトさん。」
私はいつも通りの事務的な笑顔を彼に向けた。
「少しお話したいことがありますので、オーダーを受注せずにこちらで待っていていただけますか?」
前回と同じような不安げな表情を浮かべ、アルトがテーブルに座る。
冒険者達の列が途切れると、席を立ちアルトの座るテーブルへ向かった。
私は前回とは違う手法をとることにした。
真実など語らない。私はただの、有能な受付嬢。
「実は、アルトさんに優先してお願いしたいオーダーがあります。」
私はさらりと<ゴブリンの討伐>の依頼書をテーブルに置いた。
「・・・なんで、僕なんですか?」
アルトが疑うような目で私を見つめる。私は淡々と、用意しておいた嘘を重ねる。
「・・・さあ? 私も指示されただけですので分かりかねます。
ギルドとして、あなたの適性を見極めたいという判断でしょう。
期待されているんじゃないでしょうか?」
嘘を吐くのは簡単だ。事務処理のように、感情を排除し、論理的な理由を並べ立てればいい。
彼が納得し、行動してくれること。それが私にとっての正解だ。
「・・・そうですか。そういうことなら、受けます。」
彼は少し考えた後、そう答えた。
私は頷き、最後の一押しを加える。
「ただ、今のあなたにとって、この依頼は少しばかり背伸びをする必要があると思います。
装備の確認、ポーションの備蓄、そして退路の確保。
・・・死んだら元も子もありませんから。万全を期して臨んでください。」
送り出した背中を見送り、カウンターに戻る。
アルトの姿がギルドの扉の向こうに消えた瞬間、私は小さく息を吐いた。
三日後、泥だらけのアルトが戻ってきた。
返り血と煤で汚れた姿は、確実に死の淵を歩んできた証だ。
「・・・セシリアさん。依頼、完了しました。」
彼の声には、以前にはなかった確かな疲労と、それ以上の達成感が混ざっている。
小袋から出てきたのは、十個のゴブリンの耳。そして、銀色のブーツ。
「巣は・・・燃やしました。
もう、ゴブリンたちが湧くことはないかと。
・・・それと、巣の奥でこれを見つけました。」
アルトがカウンターに置いたのは、間違いない。敏捷性を引き上げる魔法の武具だ。
「これは換金せず、あなたが使ってください。
これからの冒険者生活で、きっと役に立ちます。」
「・・・分かりました。ありがとうございます。」
アルトがブーツを腰に吊るし、満足げに微笑む姿を見届け、私は深呼吸した。
「……では、清算します。」
私は淡々と計算機を叩き、金貨を並べる。
管理は完璧だ。彼は生きている。
私の指示通りに動き、私の用意したアイテムを手に入れ、そして生存率を上げた。
「あの……」
「はい?」
「セシリアさんは、どうしてそこまで、僕のことを気に掛けてくれるんですか?」
ふと、アルトがそんなことを聞いた。
私は指を止めた。
どうしてか?
答えは単純だ。
彼が死ねば、私の平穏な日常がリセットされるから。
彼が死ねば、私がこなしてきた山のような事務処理が無に帰すから。
それ以外の理由など、あるはずがない。
「・・・冒険者が無駄に死ぬのは、事務処理の手間が増えるので迷惑なんです。」
私は冷淡に言い放った。
彼は一瞬だけ呆気に取られたような顔をしたが、やがて悪戯っぽく笑った。
「・・・相変わらずですね。でも、助かりました。」
彼は去っていった。
カウンターには、彼が置いていったブーツの微かな埃が残っている。
私はそれを指先で拭い、再び書類の山へと向き直る。
半年後の防衛戦まで、残り五カ月。
この調子で彼の「個」を強化し続ければ、あるいは将軍との闘いを突破できるかもしれない。
私の戦いは、まだ続く。誰にも知られることなく、この冷たいカウンターから、私は運命を事務的に書き換えていく。
次の書類をめくる。
これが私の生きる道であり、私の日常なのだから。




