2:オーダー
あれから一週間が経過した。
この一週間、世界は変わらずに続き、夜が明ければ朝が来た。
私の制服のポケットにある小さなメモ帳―――それは私の唯一の『記録』だが―――、そこに新たな死因が書き加えられることはなかった。
「・・・アルトは、大丈夫みたいね。」
毎朝、目を覚ましては震える指先でそのメモ帳を確認する。そこに刻まれているのは、相変わらずあの無惨な三行だけだ。
三度、彼はオオカミに襲われて死んだ。だが、今は違う。
私は彼に「まずは訓練を」と助言し、彼を安全な圏内へ誘導した。
私の助言に従い、アルトはこの一週間、驚くほど真面目にギルド地下の訓練場へ通い詰めている。
カウンター越しに見る彼の肩には微かな埃が付着し、歩く足取りには以前にはなかった自信と僅かな力強さが宿っていた。
「順調ね。」
私は心の中で、事務的にそう処理する。
彼が地下で誰と訓練したか、どれほど上達したか。
そんな情報はギルド職員に聞けばいくらでも手に入る。
けれど、私からアルトに個人的な声をかけることは一度もなかった。
ただの業務の一環。私の明日、平穏を守るための、必要最小限の措置。それ以上でも以下でもない。
夕方、訓練を終えたアルトがカウンターにやってきた。
「お疲れさまでした。」
それだけ言って、彼は冒険者カードを差し出す。私も事務的にそれを受け取り、手続きを済ませて返却する。
「明日、オーダーを受けてみようと思います」
ついに来たか。
受付嬢としては、冒険者の依頼受注を拒否することはできない。
ギルドのルールでは、ランクに関係なく本人の希望があれば受注は可能だ。
たとえそれが無謀な挑戦であっても、成功しようが失敗しようが、あるいは死のうが、責任はすべて冒険者が負う。
私にできるのは、無茶を止める説得だけ。
「そう・・・ですか。でしたら、最初は採取依頼のような低リスクなものをお勧めします。」
「そうですよね。わかりました。そうします。では。」
彼の去り際を見送る。
セシリア、あなたは冷静だ。彼もまた、数ある消耗品の一人に過ぎない。
そう自分に言い聞かせ、私は山積みの書類へと視線を落とした。
◇◇◇◇◇
翌日。ごった返すギルドの喧騒の中、アルトの姿があった。
私の視線は自然と彼を追ってしまう。掲示板の前で少し迷い、やがて一枚の紙を剥がす。
その所作の一つひとつを、私はギルドカウンターという特等席から観察する。
彼が受注手続きを終え、ギルドから出ていくのを見届けると、私は少しだけ遅れて席を立った。
「ちょっと、オーダーの中身を確認してもいい?」
隣のカウンターで作業をしている先輩受付嬢に声をかける。
「ええ?いいわよ。何かあったの?」
「いえ、今の新人さんが何を受けたのかなぁって、ただの確認。」
「ふーん。冒険者のことを気にするなんて、セシリアにしては珍しいわね。・・・はい、どうぞ。」
渡されたオーダーの束をパラパラと捲る。
あった。アルトの署名が入った依頼書。
<セージの採取>
薬草採取。街道の道端にも生えているような、もっとも安全な部類のオーダーだ。これなら大丈夫。
深く頷き、私は自分の席へ戻った。
管理は万全。今日は何事もなく、平和な一日が終わるはずだった。
◇◇◇◇◇
次の日。
私は、自分が何を見ているのか理解するまでに数秒を要した。
制服のポケットにあるメモ帳。その四行目。
『4 アルト 死亡 街道にて魔王軍の斥候隊に奇襲される』
「どうして・・・。」
血の気が引く。オオカミではない。野草採取の失敗でもない。
街道という「安全」であるはずの場所で、彼は魔王軍の斥候という想定外の障害によって抹殺されたのだ。
落ち着け、私。
ベッドの端に座り、呼吸を整える。
アルトが死ぬと、彼は冒険者登録の日に戻る。
なぜ私がこのループに巻き込まれているのか、なぜ彼が死ぬと世界が巻き戻るのか。今はそんなことは考えても無駄だ。
今は、彼を死なせないこと。それが私の「日常」を取り戻す唯一の手段なのだ。
「やってやろうじゃない。」
私はぐっと拳を握りしめ、自分自身に言い聞かせた。
◇◇◇◇◇
また、一からやり直しだ。
カウンターに現れたアルトを、私はこれまで通り事務的に登録する。
地下訓練場へ誘導し、猶予を作る。
その間に、私はカウンターの奥で過去の資料を漁り続けた。
魔王領に近いこの街では、魔物の出現場所や討伐記録は宝の山だ。
しかし、魔王軍の斥候隊というイレギュラーな情報はどこにも記されていない。
淡い期待を持って調べてはみたけど、情報は・・・無しか。
なら、どうする。
受付嬢には金銭的な余裕も権限もない。斥候隊討伐の依頼を出すなんて不可能だ。
・・・そうか。
なら、オーダーを掲示するタイミングを調整すればいい。無自覚なベテランたちを使って。
私はギルドに積まれたオーダーの束をめくり続けた。
街道を通る依頼、かつ難易度が高いもの。ベテランの冒険者たちが、私の誘導で「ついでに」街道を掃除してくれるような、そんな都合の良い依頼を――。
見つけた。街道を必ず通る護衛依頼、計十五枚。
これらをアルトがオーダーを受注する前に適切にバラまき、ベテランたちを街道へ向かわせる。
そうすれば、アルトが薬草を採取しに行く前に、彼らは斥候隊と鉢合わせるはずだ。
そして一週間をかけて私は、その作戦のすべてを実行した。
10枚の依頼を日を分けてバラまき、残りの5枚も、今朝のギルドで冒険者たちに意図的に案内した。
◇◇◇◇◇
昼過ぎ。
ギルドの扉が開き、重苦しい空気を纏ったベテランの四人組が現れた。
ランクはC級。ギルドの中核を担う冒険者達だ。
リーダーらしき男がカウンターに小袋を置いた。中から出てきたのは、禍々しい耳の断片。
「魔族の耳……八つ。魔王軍の斥候だな。」
彼らの報告は鮮やかだった。北の街道で斥候隊と鉢合わせし排除したらしい。
私は努めて冷静に、事務的に報酬の清算を済ませる。
「ご報告ありがとうございます。これで街道の安全は確保されました。」
内心の動悸を隠しながら、私は笑顔を貼り付けた。
あとは、アルトだ。
ひとまず街道の脅威は消えた。今度こそ、彼は生きて戻ってくる。
夕方。ギルドの入り口に、泥をつけただけのアルトの姿があった。その顔には、達成感に満ちた笑みが浮かんでいる。
私はカウンターの奥で、小さく息を吐いた。
一歩、前進。私の管理は間違っていない。
この街という盤面を使って、アルトが死なないようにこの作業を繰り返すだけだ。
そうして今日も、私は次の書類へと手を伸ばした。
これが、私の戦い方なのだから。




